ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE)

風の向くまま、気の向くままに……

信長の改革と構造改革はうり二つ

2008-02-21 08:08:32 | 文化・学術

 NIKKEI BP NETニュース欄2月8日付記事を取り上げる。記事は、森永卓郎氏により投稿されており、そのタイトルは、「森永卓郎:信長の改革と構造改革はうり二つ」である。
 記事タイトルに興味を引かれ、目を通すこととなった。ちなみに、記事タイトルにリンクを張っておくので、興味のある方はチェックしてみるとよい。

 森永卓郎氏の意見に対し、賛成し兼ねる部分があるとしても、信長、秀吉、家康の時代の経済と、失われた10年から小泉時代を過ぎた現在を比較し、それぞれの時代の経済の有り様を比較している点が面白い。
 しかし、「構造改革は行き詰まりにより終焉する」といった見方には反対である。
 残念ながら、「日本の構造改革は不十分で、現状の政治情勢の中で逆行基調にある」というのが私の考え方である。

 規制緩和にしても、海外企業の日本への進出にしても、海外の目で見る場合、「魅力のない日本」が定着していく感がある。
 ましてや、高齢化社会の一層の進行である。
 そのような中で、「国力の減退」は十分にあり得るとしても、「次は家康の出番-まともな経済が長く続く」との見方は、残念ながらできないといったところである。
 また、今の政治家層の中に、「家康」的な力量を持った政治家がいるとも思われない。。。
 記事を引用しておく。

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 記事引用
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 先日、テレビ番組のコメントをするために織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の経済政策に関する文献をいくつか読んだが、実に興味深かった。驚いたのは、信長が活躍した戦国時代と今の世の中がうり二つということだ。

 …(中略)…

 そうして見ていくと、この時代の経済政策は、不思議なほどここ10数年間の我が国の経済政策に一致していることが分かる。信長、そしてその子分である秀吉の経済政策は、いまの構造改革派の政策そのものだったのだ。

〇小泉氏と信長の共通点、「対抗勢力つぶし」

 信長の政策の第一は、関所の撤廃や楽市楽座の創設である。これは、誰もが自由に通行ができ、誰でも自由に市場で物を売れる制度のこと。いわば規制緩和の断行である。自由貿易、規制緩和、小さな政府を叫ぶ、現代の構造改革派とまったく同じ主張をしていたのである。

 …(中略)…

 実は、それまで、関所や市場で徴収される税は、信長の対抗勢力である公家や寺社の収入源になっていた。信長はその収入源をつぶしにいったのである。

 これはまさに、小泉元総理が公共事業カットや郵政民営化をすることによって、旧経世会の財源・既得権益を奪いにいったのとまったく同じ構造ではないか。

 結果的に二人とも、敵の財源をうまく絶つことに成功し、敵を撃滅したわけだ。

 …(中略)…

 第二は、マネーで雇った兵士の活用だ。

 信長の時代までは、戦があれば農民が一般の兵士として徴集されて参加していた。普段は農業に従事している人たちであるために、農繁期には戦うことができなかったのである。

 信長はそこでもマネーの力を最大限に利用した。兵士を金で雇うことによって、彼らを農地から切り離し、一年中24時間体勢で戦える軍隊を作ったのだ。戦うことを専門にするのだから、それは戦になったら強いはずである。

 …(中略)…

 よくも悪くも、ありとあらゆるものを金で済ますのが信長のやり方であった。それは、構造改革派と通じるところがある。

 旧経世会の支配の柱となったのは金ではなかった。長いつきあい、べたべたの人間関係もまた、金以上に重要な要素となっていたのである。そのために、きわめて不透明な形で癒着と腐敗をしていたのは事実だ。

 構造改革派のやってきたことは、それまで日本が構造的に持ってきた癒着体質を断ち切ったことである。

 それはいい。だが、それが行き過ぎたため、人間関係を中心としたあいまいなやさしさをも、すべて否定してしまったのだ。困った人がいたら手をさしのべるという発想は消え、すべてを金で割り切るのが彼らの発想である。極論すれば、「弱いヤツは生きる価値がない」というのが構造改革派の思想なのだ。

〇経済弱肉強食主義、構造改革は必ず行き詰まる

 第三は、論功行賞だ。

 信長は、対抗勢力を打ち破った功労者に、新たな支配権を与えることで、大名たちの忠誠心を獲得した。構造改革派が、民営化した企業のトップに仲間を据えたり、不良債権処理で出てきた資産を二束三文でハゲタカに売り渡したりするのと同じやり方だ。

 ただ、こうしたやり方は全国統一-すなわちフロンティアの喪失とともに行き詰まる。分け与える領地がなくなってしまったからだ。

 それでは、大名たちをつなぎとめることはできないので、新しいフロンティアを求めることになる。信長の後を継いだ秀吉が、朝鮮出兵という無理をしたのも、新しいフロンティアを求めようとしたからに他ならない。

 構造改革派も同様である。道路公団や郵政を民営化した時点で、新たに論功行賞を与えるネタがなくなってしまった。また、不良債権処理が終わったとこで、マネーの行き場がなくなってしまった。

 独立法人改革などといって、無理やりフロンティアをつくろうとしているが、既に特殊法人から独立行政法人に変えてしまっているから、改革の余地は少ない。

 先日、いくつかの独立法人廃止を打ち上げたが、いかにもアリバイづくりといった様相で、対象になっているのはどれも小さなものばかり。道路公団、郵政のように、国民を盛り上げるようなフロンティアはもう残っていないのだ。

 こうしたフロンティアの消滅とともに、経済弱肉強食主義、構造改革はブームに陰りがでてきていることは間違いない。早晩、行き詰まることだろう。

 …(中略)…

 これに対して、家康の政策というのは、「無理をするな、みんなで仲良くしよう」というもの。きわめて常識的な経済政策である。その行き着いた先が、江戸幕府による鎖国である。鎖国の功罪については、さまざまな意見があるだろうが、とにかく「小さなところでちまちまとやる」という考え方を採用したのである。

 それが成功し、安定した経済体制が続いたおかげで、元禄文化という素晴らしい文化が花開いたのだとわたしは考えている。

〇この10年はマネーが世界各地を駆け抜けた戦国時代

 戦国時代というのは、室町、江戸というそれぞれ300年にわたる安定した時代の転換期に起きた。政治にしても、経済にしても、まっとうなメカニズムで運営されていたのではなく、転換期特有の混乱を背景にして、オーナーが入れ替わっただけであった。

 そう思うと、この10年間の世界経済もまた戦国時代だったのではないだろうか。マネーが世界各地を駆け抜けるだけの経済であり、とてもまっとうなメカニズムだとは思えない。

 …(中略)…

 次に、そのマネーが日本に入ってきた。さあ、不良債権処理だといわれるなか、ゴルフ場、不動産、株式などが軒並み外資に買い占められた。外資が底値で買った銀行株はその後、劇的に上昇。例えば、みずほ銀行の現在の株価は、これだけ株価低迷が叫ばれているというのに、それでも彼らが買った2003年の春と比べると10倍以上もある。

 こうして我が国でもまた、高値で売り抜けてハゲタカは出ていった。

 そして、その金が米国や欧州の不動産に向かった。そこでも、さんざん地価をつりあげておき、逃げていったあとにサブプライムローン問題が起きた。そこから逃げた金が、いま原油や穀物に向かっているというのが現状である。

〇次は家康の出番-まともな経済が長く続く

 だが、そろそろ雲行きが怪しくなってきた。商品投機は、しょせんゼロサムである。無限に値段を上げるわけにはいかない。石油にしても小麦にしても、ある程度以上価格が上がると、代替商品が登場してそれ以上は上がらなくなる。遅かれ早かれ、原油や穀物の値段を上げるだけ上げてしまったところで、またそこでもマネーは新しい投機先を探すことになるはずだ。

 わたしは、その金がまた日本にやってくると考えている。今は実体経済に比べて、あまりにも株価が安すぎるために、お値打ち感があるからだ。「日本はもう没落」「株は上がらない」と触れ回っている評論家たちが、その水先案内人だと思えばよく分かる。

 …(中略)…

 こうして、現代という戦国時代に世界を駆け回ったあぶく銭は、目ぼしいところをあらかた食いつくしてしまった。やがて行き場を失い、価値を下げつつ消えていくことになるだろう。

 そのあと何が来るか。わたしは、まともな経済が長期間続くのではないかと見ている。信長、秀吉の時代は終わって、そろそろ家康の出番ではないかと思うのだ。

 得体のしれない若者が、一夜にして何十億円稼ぐという金融資本主義の時代は、そろそろ第4コーナーを回ったのではないか。まじめにモノやサービスをつくった人が、働きに応じて所得を得るという、当然の社会が再びやって来るのではないかと期待している。

 ただし、行き場を失ったマネーが、最強のフロンティアを作り出そうとして戦争を引き起こすという危険性もゼロではない。
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 Written by Tatsuro Satoh on 21st Feb., 2008


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