神戸新聞6月9日付一面コラム「正平調」欄で、雑草の話が取り上げられている。
コラムは、タンポポから始まっている。辞書で引くと、タンポポは、漢字で「蒲公英」となっている。何故、漢字でこのように書くようになったのか、不明である。
ちなみに、大辞泉では、「キク科タンポポ属の多年草の総称。野原や道端に生え、根際から羽状に深く裂けた葉を放射状に出す。3、4月ごろ、花茎を伸ばし、頂に黄色または白色の舌状花のみからなる頭状花を開く。種子は上部に白い毛をつけて風に飛ぶ。葉を食用とし、根などを漢方で催乳に用いる。日本ではカントウタンポポ・カンサイタンポポ・エゾタンポポ・シロバナタンポポなどが自生し、セイヨウタンポポが帰化している。蒲公英(ほこうえい)」と紹介されている。
何故、「蒲公英(ほこうえい)」なのか、益々わからなくなる。
また、英語では、"a dandelion"で、「ライオンの歯」である。その語源は、「ギザギザの葉」が「猛獣の歯」を連想させるためであるとのこと。
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コラムの筆者は、「野辺の可憐な草花」をイメージし、「ライオンの歯」との対比で、「あらためて文化や民族の違い」を意識させられたとしている。
しかし、私的には、a dandelion(ライオンの歯)のほうが、なんとなくすっきりとイメージできる。
このタンポポも、西洋タンポポと在来種があり、人間の手が入っている地域では、「人間の手が入っている」ことが原因になって、繁殖力の強い西洋タンポポが繁殖しているとのこと。しかし、他方で、人間の手が入っていない地域では、在来種も、しっかりと群落を維持し、駆逐されてはいないとのこと。
ここにも生命の戦い、「西洋種」対「在来種」相互の戦いがあるのだと思うと、感じるところがある。
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タンポポと雑草をイコールでイメージするのはあまりしっくりとはいかない。しかし、在来種のたくましさから、「ひっそりと、群落を形成」し、何とはなしに雑草をイメージしてもおかしくはないのかもしれない。
記事は、19世紀の詩人エマーソンの名言「雑草とはその良さをまだ見つけてもらっていない植物のことである」で結んでいる。
いわれてみればその通りで、「人知れず、ひっそりと、しかしたくましく」生命力を維持しているから、雑草であると考える。
そういう私自身も、「平々凡々と、世の中の片隅で、ひっそりと生きている」という意味で、「雑草の部類に分類される人間」であるのかもしれない。
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