ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE)

風の向くまま、気の向くままに……

堂々巡り、かれこれ50年

2007-09-15 07:36:42 | 文化・学術

 
       (川上哲治氏)

 日本経済新聞9月13日付スポーツ欄コラム「チェンジアップ」の記事が面白い。豊田泰光氏が毎週木曜日に投稿しているコラム記事で、今回のタイトルは、「堂々巡り、かれこれ50年」である。
 記事は、「いつでもできると思っていることが案外できないもので、元巨人軍監督の川上哲治さんに尋ねてみたいと思いつつ、果たせていないことがある」というところから始まっている。

 1956年頃、日米交流野球の際、あるとき、豊田氏は川上哲治氏と同じ列車で移動していたとのこと。その際、川上さんは、「勘の研究」という本を読んでおられたようである。
 豊田氏は本のタイトルを見て、その時、「勘を備えたら打撃は百発百中、そんな虎の巻があったか」と感じたようである。
 昭和8年刊行の書籍で、必死で探し回ったもののなかなか見つからなかったが、やっとの思いで入手した時は、小躍りしたとのことである。
 何となく気持ちは理解できるところである。

 しかし、手にして読んでみると、書いてあったのは、剣術の極意から引いた「相手が近づいたら、いつの間にか斬り倒していた。そういう境地に到るまで修練を積むべし」ということで、打撃に関する妙薬を求めた豊田氏としては、がっかりしたとのことである。
 書籍そのものは、黒田亮という学者が東洋哲学の英知を土台に勘を考察したもので、定評があったようである。

 これに関連して、川上さんが「21世紀への伝言」と題する、日刊スポーツへの投稿記事の中で、「精神的な仕事は高尚であり、これに反して肉体的な仕事は低級であるとするのは仕事本来の意義に徹した見方ではない…との一説を引き、『技術と人間の人格は一体不可分』であると記している」とのこと。
 豊田氏が堂々巡りをしている原因は「肉体の鍛錬は本当に精神的な高みに通じているのか」ということで、かれこれ50年になるが、ことここに到っては「ご本人に聞いてみるしかない」というのが現時点の結論のようである。

 私なりに考え直してみるが、「技術を生み出す背景的要因」に言及する必要があるのではないか???
 技術は技術のみで存在する、もしくは、生まれてくるわけではなく、それを生み出す背景考察も必要であると考える。
 例えば、「人の役に立つ技術」、「人を感動に導く技術」…色々な技術がある。そのような、「技術それ自体と、その技術により導き出されるもの」を考えることにより、「技術本来の意義」が理解される。
 その「技術本来の意義」が認識され、「肉体的技量」を経由して、具現されるとき、「技術本来の目的が達成される」ことになると考える。

 川上さんが、「技術と人間の人格は一体不可分」といっておられるのは、「技術鍛錬の過程で、色々と考え、何故を突き詰めていく人間の技量を磨くと同時に、人格も磨いていくことになる」ということではなかったか。。。
 Written by Tatsuro Satoh on 15th Sept., 2007

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