ウェザーコック風見鶏(VOICE FROM KOBE)

風の向くまま、気の向くままに……

「師」の原義及び意味

2007-02-02 08:43:33 | 文化・学術
 久し振りに新聞のコラム欄に目を通してみた。
 やはり、目新しいものに触れることもあり、また、これまで自分自身が特に意識していなかったり、認識の外側にあったことに触れ、改めて自分なりに考える機会を与えられることがあり、面白いものだと感じる。

 日本経済新聞一面のコラム欄「春秋」で、「師」について取り上げられていた。
 白川静さんの字書で「師」を引くと、「戦勝を祈願して供える肉と、その肉を切り分ける刀を組み合わせた字形で、供えた肉を切り分ける権限を持つ軍長・将軍」が原義とのことである。
 さらに、「将軍は現役引退後、若者の教育にあたっていたので、師は『せんせい』の意味に用いる」と解説しているとのことである。
 他方で、「同じ『師』でも、…<中略>…詐欺師・ペテン師の『師』は、…<中略>…動詞『為る<する>』の連用形が名詞化した『為<し>』に同音の別字をあてたもので、一つの技術や技芸を示す語と合体してその道の専門家であることを表す」と解説されている。
 
 このようなコラムに目を通していると、知識が増えるという意味で勉強になると同時に、「言葉の面白さ」を感じることができる。
 私も、「書くこと」は嫌いではなく、むしろ、「自分の考え方なり、思っていることを素直に表現し、第三者の反応を見る」のが好きなのだと思っている。
 現にこうして、「自分のブログ」を公表していること自体が、「自分自身の考え方・思いの表現を他人が触れる」ことを好んでいるためである、と考えて支障ないと感じる。
 あるいは、「目立ちたがり屋」の側面を有しているのかもしれない。

 多かれ少なかれ、ブログを公開している人たちについては、そうした側面があり、また、議論することが好きなのかもしれない。
 個人個人それぞれ自分の考え方に固執する側面があり、多くの議論は平行線をたどることが多いとしても、多くのことが大いに議論され、「このように考えている人もいる」ということを知るだけでも、議論する価値はあるといえるのではないかと考える。

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