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自由気ままなな文学活動
活用なき学問は無学に等し

電車男に毒を沁みこませる

2006-09-17 | 文化・教養
さて・・・昨晩は「電車男」劇場版がやってましたw
テレビ版もそうだが劇場版も初めて鑑賞したが・・・である
言うなれば毒が足りないと言うより毒が無いのである
あのジャンルからすれば毒は必要なさそうだが
ハッピーエンド的な終わり方は解せない
あれに感動する、共感を覚えるとは如何

毒とは、本当の日本昔話の様な感じを持つのである
桃太郎は鬼退治から帰ってくると、「鬼を退治した」と
恐れられて村人から襲われて亡き者にされた・・・とか

グリム童話の「白雪姫」の継母は
王子と婚姻した白雪姫から罰せられ
火で焙った鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされた・・・とか
他にも色々有るのですが1例出すだけでも毒が有る

思うに最近の恋愛映画にしても小説にしても
ハッピーエンドが主流で面白みが欠ける
だからと言って「失楽園」等は目を覆いたくなる位に嫌だ

そもそも日本の恋の意味とは「不義」で御法度である
だから日本に来たバテレンは恋を
「キリシトの御大切~相手を大切に思う気持ち」と意訳した
それ位の世の中であったのである

「世界の中心で愛を云々」がヒットして純愛と騒がれたが
純愛とは時の明治政府が先の時代から続く恋の定義を
少し変えただけであって、本質的にはなんら変わり無い
それも知らずにキャーキャー騒ぐのは如何
厚顔無恥と言うべきである

古典作品の「源氏物語」で空蝉の話を例にすると
主人公の源氏と空蝉のなれ初めは源氏の強引な一方的接近
であって、レイプに近いと言われても仕方が無い
だから空蝉は自分の身の上を考え源氏を拒絶し鳴き苦しむ
(空蝉は人妻です)
作者もその様な空蝉の微妙な心を描いている

ここであんまり書きすぎると原作読むとしらけるので
これ位に留めておきますが
平安朝の貴族でさえも、こんな感情あったと考えるならば
現代に生きる人間にもこいいう感情があっておかしくない
だから解せないと言うのである
人間らしくないと言うべきであろう

「春の雪 豊饒の海」のような
美しく且つ毒も有る感じが良いのである


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