さて・・・昨晩は「電車男」劇場版がやってましたw
テレビ版もそうだが劇場版も初めて鑑賞したが・・・である
言うなれば毒が足りないと言うより毒が無いのである
あのジャンルからすれば毒は必要なさそうだが
ハッピーエンド的な終わり方は解せない
あれに感動する、共感を覚えるとは如何
毒とは、本当の日本昔話の様な感じを持つのである
桃太郎は鬼退治から帰ってくると、「鬼を退治した」と
恐れられて村人から襲われて亡き者にされた・・・とか
グリム童話の「白雪姫」の継母は
王子と婚姻した白雪姫から罰せられ
火で焙った鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされた・・・とか
他にも色々有るのですが1例出すだけでも毒が有る
思うに最近の恋愛映画にしても小説にしても
ハッピーエンドが主流で面白みが欠ける
だからと言って「失楽園」等は目を覆いたくなる位に嫌だ
そもそも日本の恋の意味とは「不義」で御法度である
だから日本に来たバテレンは恋を
「キリシトの御大切~相手を大切に思う気持ち」と意訳した
それ位の世の中であったのである
「世界の中心で愛を云々」がヒットして純愛と騒がれたが
純愛とは時の明治政府が先の時代から続く恋の定義を
少し変えただけであって、本質的にはなんら変わり無い
それも知らずにキャーキャー騒ぐのは如何
厚顔無恥と言うべきである
古典作品の「源氏物語」で空蝉の話を例にすると
主人公の源氏と空蝉のなれ初めは源氏の強引な一方的接近
であって、レイプに近いと言われても仕方が無い
だから空蝉は自分の身の上を考え源氏を拒絶し鳴き苦しむ
(空蝉は人妻です)
作者もその様な空蝉の微妙な心を描いている
ここであんまり書きすぎると原作読むとしらけるので
これ位に留めておきますが
平安朝の貴族でさえも、こんな感情あったと考えるならば
現代に生きる人間にもこいいう感情があっておかしくない
だから解せないと言うのである
人間らしくないと言うべきであろう
「春の雪 豊饒の海」のような
美しく且つ毒も有る感じが良いのである
テレビ版もそうだが劇場版も初めて鑑賞したが・・・である
言うなれば毒が足りないと言うより毒が無いのである
あのジャンルからすれば毒は必要なさそうだが
ハッピーエンド的な終わり方は解せない
あれに感動する、共感を覚えるとは如何
毒とは、本当の日本昔話の様な感じを持つのである
桃太郎は鬼退治から帰ってくると、「鬼を退治した」と
恐れられて村人から襲われて亡き者にされた・・・とか
グリム童話の「白雪姫」の継母は
王子と婚姻した白雪姫から罰せられ
火で焙った鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされた・・・とか
他にも色々有るのですが1例出すだけでも毒が有る
思うに最近の恋愛映画にしても小説にしても
ハッピーエンドが主流で面白みが欠ける
だからと言って「失楽園」等は目を覆いたくなる位に嫌だ
そもそも日本の恋の意味とは「不義」で御法度である
だから日本に来たバテレンは恋を
「キリシトの御大切~相手を大切に思う気持ち」と意訳した
それ位の世の中であったのである
「世界の中心で愛を云々」がヒットして純愛と騒がれたが
純愛とは時の明治政府が先の時代から続く恋の定義を
少し変えただけであって、本質的にはなんら変わり無い
それも知らずにキャーキャー騒ぐのは如何
厚顔無恥と言うべきである
古典作品の「源氏物語」で空蝉の話を例にすると
主人公の源氏と空蝉のなれ初めは源氏の強引な一方的接近
であって、レイプに近いと言われても仕方が無い
だから空蝉は自分の身の上を考え源氏を拒絶し鳴き苦しむ
(空蝉は人妻です)
作者もその様な空蝉の微妙な心を描いている
ここであんまり書きすぎると原作読むとしらけるので
これ位に留めておきますが
平安朝の貴族でさえも、こんな感情あったと考えるならば
現代に生きる人間にもこいいう感情があっておかしくない
だから解せないと言うのである
人間らしくないと言うべきであろう
「春の雪 豊饒の海」のような
美しく且つ毒も有る感じが良いのである