I think. Therefore I am

自由気ままなな文学活動
活用なき学問は無学に等し

ハーバード白熱教室

2010-06-20 | 文化・教養
「同性婚」について

学部時代に世の中のマイノリティーについて学んだ記憶をたどると、日本じゃ認知されるどころか確実な差別対象であった
ゲイにビアンは歴史的に見れば、陰間とか夜鷹といった具合に否定しようも無い事実である

アメリカでは、宗教などの倫理的なものから、キリスト教の右派は中絶や同姓婚を禁止して声高に叫び、大統領選挙の論点になったりもしていた

私的に同性愛はできないが、否定するつもりもなければ肯定する気も無い、つまり個々人の自由で決めてよいと思える
二十も過ぎれば、自分の中で何をしても良いか悪いかは当たり前のように判断できる理性は構築されているところからすると

人に強要もせず、自分の勝手に自分の世界でやってくれているならば誰が止めようか。もし違法にしたり罰則を設けてもやりたい奴は目をかいくぐってもやるものであると想像がついてしまうのである

仮に結婚を次世代に子孫を残す定義と想定しても
子供が生まれない方もいれば、子供はいらないなんて論もあるわけだ
熟年婚という言葉も最近ではあるが認知されつつある
結婚=生殖というわけではない、受胎能力は関係ないのだ

日本においては望まない妊娠で中絶する女性が多い。それが高校生とかの年齢からという点から見ても現実である
W杯の開かれている南アフリカは犯罪大国だが、殺人・レイプと性犯罪だって多い。
北海道では裁判所の職員が女性に性的暴行をして、携帯で撮影して、脅して金銭を奪うろくでもないことをする奴だっている

結婚せずとも、性のはけ口として残念な行動をとる奴が多い現状で同姓婚や中絶を罰則しても逆効果でいい方向には向かわない

子供をつくっても、育てられずにネグレクトしたり
果ては「しつけ」と称して虐待のはてに殺してしまう親もいる
であるならば、殺されたりするよりも「コウノトリの揺り篭」は1つの受け皿である

国家はガイドラインを作る事が出来ても、全てを禁止するようなことは出来ない。だから1つの道徳的価値を見出して、エイズ問題のように社会から認め理解されるような土台を作っていくべきであろう

禁止したり、罰するのは簡単だが
互いに認めたり理解しあうほど難しいものはない

日本は複合的多民族国家であるが、人種とか肌の色、宗教といったことに、そうこういう訳でもなく「清濁併せ呑む」といった方を重んじる傾向が強い
マイノリティーの声に耳を傾ける力はある

であるならば、物事に耳を傾け・学び・傾聴し、さまざまな善を理解していくことは出来るであろうと考えるところだ
偏見ばかりでは目を曇らせてしまい物事の本質に迫ることはできない

本も出ているし、注文してみよう
そして東京で行なわれる講義に応募してみよう
まずはそこから


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