なぎのあとさき

日記です。

ちょっと何いってるんだろう

2020年09月30日 | にゃんトーク



やっとたいようにあえたぜ~


くさがだいすきなんだ、おれは

Tは、トイレ掃除がラクになって寂しそうにしていた。
猫は調子がわるくなってくるとまずトイレの粗相が始まって、それは長く続く。

ビーはちゃんとトイレに行ってたけど、軟便の日が多くてトイレの踏み台や、前の砂落とし台の上ですることが多くなってた。
なんて、ビーの具合が悪かったのなんてほんの一瞬のことだけど、そんなことすら懐かしい。

今や、トイレ監督モンちゃんも文句つけようのないきれいなトイレが2つ。
その2つのトイレをモンちゃんは丁寧に使い分けている。
私はカード明細を見ても寂しい。病院の引き落としがないと、こんなに少ないのね。



大きな菊の花がずっと咲いてる

粘りに粘って老猫の風情をじっくり見せてくれた殿と違って、ビーはナマリやイワシが食べられなくなったら、かわいさの頂点にいるうちにぴょんと飛び出してしまって、私は覚悟不足だったせいか、いまだ大不在が幅をきかせている。

胸から喉元にかけてボッコリ開いた大穴を、夏の空気が満たしてくれるうちはいいけど、秋風がヒューッと吹き抜けるのはなかなかのもの。
でもこれも、ビーらしい気もする。ビーは用なんかなくても、存在をアピールしていた。
今は不在というかたちで存在をアピールされている。こうなると、もはや不在ではないともいえる。
(ちょっと何いってるのか、、)

ビーのかわいさって、なんなんだろう、と最近よく考える。
猫なのでフィジカルのすべてがかわいいのはもちろんだけど、ビーのかわいさは内側がそのまま肉体に現れているようだった。

ビーの内側とは、猫の中の猫たる猫らしさで、その猫らしさが耳になり目になり顔になり、四肢となり、シッポとなり、ビーになっていた。

ではこの猫らしさとは何か。
まず、自分が一番偉いことの自覚と、それゆえのわがままぶりであった。
私がビーの言いなりであること、ビーを何より大事に思ってること、ビーのためならなんだってすることをよく分かった上で、ビーは私に大いばりだった。

大声で鳴いて私を呼び、強い目力で私を見上げるのは、子猫の頃からずっとそうだった。
子猫のころは、口を大きく開けて、キニャーッと鳴いた。
大人になるにつれ、そこまで口を開けなくても、大声で鳴くようになった。

小腹のへったときに鳴くのは当たり前だけど、手持ちぶさたで鳴くことも多かった。
なでて!抱っこ!ポンポン!側で見てて!というときに、自分から来るのではなく、私を呼びつける。

ちょっと寝てる位置をずらしたり、抱っこ中に爪が服にひっかかったりすると、「にゃああ!」と怒る。
人に何かを強いられることをきらい、常に人の上にいる。
猫が人よりずっと偉いことを、ビーはよく分かっていたのだ。

もう一つ、猫らしさとは、うまいものを食べたい、かわいがってもらいたい、という純粋な欲求に一直線なところである。
とにかく賢いビーは、欲求のためだけに、賢さを活用した。
だからビーは賢さも猫らしさの一環であり、猫らしさとはつまりかわいさなので、賢さ=かわいさである。
(ちょっと何いってるのか、、)



ビーたま何枚かに一枚降りてくる

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久しぶりに、上野に絵を見に行った。ロンドンナショナルギャラリー。
予約制で、人数制限していて、混んでなくて見やすかった。
ルネサンス期から印象派まで、ヨーロッパ芸術の歴史をたどる至福の空間。



フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》は、目の前でゆっくり見ることができた。
構図も色合いも素晴らしかった。
女性は丸顔で、アルベルチーヌがピアノラをひくシーンにリンクした。



ターナーの神話をもとにした海の絵、カンバスが大きくて、海、大気、光が濛々、吸い込まれるようだった。



写真ないけど、ムリーリョ 《幼い洗礼者聖ヨハネと子羊》 もとても良かった。
セザンヌの風景画、モネの睡蓮と橋の絵、そして終りの一枚は、ゴッホのひまわり。
何枚かあるひまわりの中で、花も背景も一番黄色のひまわりで、ゴーギャンもとても気に入ったという一枚。これも目の前でゆっくり見れた。

この日は雨で、公園でゆっくりできなかったのは残念。
駅近くのマンゴーのミックスソフトがめちゃうま。
はしご寄って帰った。

モンちゃん1人でお留守番なので、今も二人で出かけてもとっとと帰る。モンちゃん雨の日はこれでもか、と寝てるけど。

土曜は河原飲みの予定が雨で、R堂の中で飲んだ。
だらだら4時間くらい。久しぶりにたくさん人に会って楽しかった。
ふだん全然人に会ってない、しゃべってないという人もいれば、すっかり元通り毎晩飲んでる、という人もいた。

雨は霧雨で、私にとっては降ってるうちに入らず、外の喫煙所で雨にあたるのは気持ちがいいくらい。
みんな寒がってたけど、まだ「寒い」という言葉を使うほどではない。
涼しいけど。

27日は理事会で、始まるころにやっと日が差した。
20日連続の雨だったらしい。
理事会は、まだまだ話がてんこもりで4時間半もかかった。
それでも、終わって爽やかな笑顔を見せる担当営業の陣内くん(仮名)はほんと頑張ってる。

秋晴れの爽やか天気になり、モンちゃんはますまするんたったで、庭に出たり入ったり。私も一緒に庭に出て、あれれ、この匂いは。
金木犀が咲いた。

河原には、彼岸花も咲き始めた。

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本は「失われた時を求めて11 囚われの女」を読了。

前半は、ヴェルデュラン夫人のサロンにて、シャルシュス男爵が企画したモレルの演奏会。
男爵は年を取ったせいか、自分の性癖を平気で人前にさらした上、お客をヴェルデュラン夫人に紹介せず、自分の手腕に酔いしれて、夫人の怒りを買う。
怒った夫人はアホのモレルに男爵の悪口を吹き込み、二人を別れさせて、男爵はこの後病気になってしまう。
語り手はモレルの演奏するヴァントゥイユの七重奏曲を色彩豊かに描写。その音楽は、マルタンヴィルの鐘楼や、バルベック近郊の立木を前にして感じた印象を体現する。
この楽譜を解読したのはヴァントゥイユの娘の女友だちで、この夜会に来るはずだった彼女たちとアルベルチーヌとの関係を妄想し苦悩する流れは後半につづく。
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シルバー連休

2020年09月26日 | 日々のこと



モンちゃん、4、5日もしたら食欲は元どおり、るんたったモンちゃんに戻り、寂しそうな感じもなくなった。
フアーッと元気に鳴いて、何度も庭に出て、目をきらきらさせてキッチンに立つ私を見上げ、オモチャと新聞紙でよく遊ぶ。

私が外にモンちゃんの好きなブタ草を摘みに行くと、大興奮でうろうろしながら待ってるそうで、戻ると背中の毛がピシッと立っている。タテガミのように。このタテガミが短くてかわいい。テーブルにぴょんして草をはむはむ。
草はみんな好きだったけどビーも束の草を一口で食べた。

私が寝る時は、これまでビーの定位置だった私の枕元に頼んでもないのに来てくれる。涼しくなってくると、これまでずっと私の首にはビーがマフラーのように乗ってたので、今はどうしてもスカスカしてしまうけど、モンちゃんの大きな体がすぐ横にいてくれるのはホントありがたい。ありがたい子!
庭にいる時も、今はモンちゃんとシンクロバイブスする。ぶるるるるの鳴り方が、それぞれ違う。



今年もシャインマスカット美味しかった

私も寂しさに少しずつ適応してきたのかなぁ。朝イチでビーのお花の水を替えて、お供えを出し、ことあるごとに話しかけ、ほかは何もする気力もわかない数日が過ぎて、初七日のあたりからは、ビーの絵も描き始めた。会いたい一心でね。


ああいとしい

あとは、仕事したり、家事もしたり、庭仕事したり、「失われた時を求めて」を読んだり、秋山見たさにドキュメンタル見たりしてふつうに過ごしながら、寂しさに慣れていくしかない。

シルバーウイークはTがほぼ仕事だったし、天気が今ひとつで、前半は家にいた。ついに秋雨前線が始まったみたい。
マンションの外装工事はスケジュールが押していて、連休中も朝から騒々しかった。

河原は変なイルミネーションのイベントをやってて人が多かった。
ふだんの河原には来たこともないスタッフたちが、関係者ぶった顔で車まで何台も乗り入れてうざい。
イルミネーションもライトアップもプロジェクションマッピングも、やりたいなら街中でやってくれ~と言いたい。河原にまでそんなもの持ち込んで、月あかりや星空の邪魔しないで。
今年は火星大接近の年で、10月6日が一番近いらしい。9時頃には東の空に出てくる。

21日の月曜は、葉山へ。キング・オブ・ブタクサ、ススキがついに出始めた。
ラガマフィンでも聴いて、今は7月中旬くらいの気持ちになってみようよ、とやってみたけど、やけに爽やかな空気、くっきりと伸びた影。7月は緑に濃淡があったけど、今あるのは陰影。9月は9月で美しい。
ツクツクボウシは鳴いてる。

高速も下道も渋滞が多くて、海についたらもう16時。

潮温はぬるくも冷たくもない。浅瀬は澄んでたけど、岩周りは少し濁っていた。
腰くらいのところで、アンドンがシャラーッと泳いでいた。白ピンクメタリックで生きがいい。
ゴーグルがいきなり壊れて、すぐ水が中に入ってきて泳ぎづらくて、ほとんど潜れなかった。
兄さんには会えた。
でもボードに乗ったり、ただ泳いで浮かんだりするだけでも最高だった。



鎌倉出るのにも1時間以上かかり、お寺についたら真っ暗。
帰り、久しぶりにTくんに会って、コロナ禍の話


22日の火曜は、久しぶりの横須賀へ。
お彼岸なので、お花とシャインマスカットを持って。
パパは股関節と腰が痛くて家にいて、ママと3人でT浜に行った。
曇り時々小雨で涼しかったけど、潮はよく澄んで、冷たくもなくて、すみずみ泳ぎまくった。
ベラとキュウセンがたくさんいた。大き目のボラも。
あと、小さいアカエイが何度か現れ、私の下に来た。
鋭い武器を持ってるからか、強気な感じ。
泳いで浮かんで潜って気持ち良かった。T浜は今年は初めて入った。
浜で、Tとママが待っていて、Tにママが「ビーは元気?」と聞いたところでちょうど私は海から上がり、ビーのことを話した。ママは、ビーが一番なついた、と声をふるわせていた、私が法事とかでいないとき、ママがご飯をくれることをビーはよくわかってたからね。

話しながら、坂を上がって山の道に上がり、広場まで歩いてジンジャーの香りをかいだ。



今年はずいぶん早くから咲いてたジンジャー。



ママのご馳走は美味しくて食べすぎた。
やっぱり、料理や家事で常に体や手を動かしてるママは、全然変わらなくて元気。
パパが次の日検査なのでお酒飲めなくて残念。

その後も台風12号と秋雨前線でぐずぐずの天気が続いている。


まだ病院にお礼の挨拶に行けてない。ビーを連れて通ってたのはまだ昨日のようで、あの場で平静を保つ自信がまだない。先生にはモンチの頃から続けて6年以上はお世話になったから、一言お礼を言いたいけど、行けないなあ。

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モンちゃんは

2020年09月15日 | にゃんトーク



モンちゃん、あんなに相手にされてなかったのに元気がなくて、食欲も少し落ちている。
オモチャや草で遊んでるときはびょんびょんするけど、フワーン!と鳴かず、庭に出たがらない。
ビーの体を運んだバッグを庭で日干してたら、何度も中を覗いていた。

相手にされてなくても大好きだったんだろうな。
おれの通れない隙間を通って行きたいとこへ行くビーを、ねーちゃんすごい!と見ていた。
ビーに飛びついては「にゃああ!」とうざがられて、ビーがだるそうな時は邪魔しなかった。

ベッド下にビーが引きこもったときも、ビーの動きに最初に気づいて顔を上げるのはモンちゃんだった。

旅立ちの瞬間は、モンちゃんはベッドで爆睡してたけど。

モンちゃんには若いみそらで大変な状況を見せたことは、自然界でもあるとこだし仕方ないとしても、モンちゃんの前では泣かないようにして、目の前のモンちゃんと遊んで撫でて、抱っこして、猫ごっこして、庭で一緒に楽しく過ごしてるけど、モンちゃんもかなり勘のいい猫だから、私のまとうボッコリの寂しさは隠せないんだろうなぁ。

こっそり洗面所で泣いてたら、モンちゃんが足元に来ていてびっくり顔で見上げてた。

先日の4歳ワクチンは、若い女性のK先生。モンちゃんもビーちゃんもいい子で、猫がみんなこんなだったらいいのに、と言ってた。ビーちゃんはよく鳴くけど、暴れたりはしないって。

モンちゃんは診察台から窓枠に逃げようとしたけど大人しかった。女の人はだいたい好きだもんね。

体重8.7。ここで止まってはいるんだけど。このままいくと、ウンチが出づらくなって摘便しないといけなくなる、何かあったときに麻酔が効きづらく覚めにくい、脂肪が邪魔で触診は腎臓がやっと、で6キロ目指してダイエットしましょう!と。

さっそくロイカナ減量サポートなどダイエットフードを混ぜて、湯水のように食べるゼッピンは減らして、モンちゃんの食事管理も始めた。遊ぶときもなるべく走らせるようにして、まずは7キロ台が目標。

という最中に、ビーたまが飛び立ってモンちゃんは食欲が落ち気味になって、体重減ったかなと測ったら8.6。

ビーたまのお供えのアジやクリスピーキスはなくなってる。お供えが消えるのって、嬉しいな。

モンちゃんのためにもどっかで切り替えて元気出さないとなーと思いながら、4、5日の間はでくのぼうだった。ただ寂しさに身を任せていたかった。泣いては泣き疲れて無になってタバコ吸う、の繰り返し。

Tとはちょこちょこ河原やお寺まで散歩して、たくさんビーのことを話した。全部の記憶を共有してるってすごい。会話にはモンチも殿もいつでもふつう出てくる。モンチが先輩風吹かしたらどーしよ、いや殿がいるから大丈夫だよ。

言葉にしていくとまた泣くんだけど、あっぱれハレルヤな旅立ちを忘れたくなくて、日記は書いた。Cくんにメールした。
Cくんも、ブロ友Mさんも、ビーすごい!とまず言ってくれて、嬉しかった。この二人の言葉はさすがで、胸の奥に響いた。




Hさんは、ビーばりに可愛いお花を送ってくれた。

お花は病院からも届いて、祭壇は華やか。



そういえば、ビーを送ってすぐの時、ステレオでボブをかけたらふつうに聞けたけど、マジカルミステリーツアー2回目で音がおかしくなった。長年使ってたスピーカーの一部が突然壊れたのも、ビーが分かりやすくイタズラしたんだね、と話した。ビーは消えてなくて、こんなイタズラもできるから!と、二人同時に軽いダメージを与えるのにスピーカーはうってつけ。


今は雲のベッドでこんな感じかな

13日の日曜は海へ。
CはHちゃんやMユを送った時、すぐには私に言わなかった。言わなければ生きてるのと変わらないかなあ、と思ってさ、と、前に言ってた。
ブドウを持ってきてくれた。

私もビーのことは、Cに言わないことにしてみた。しんみりするより、2週間ぶりの海をただ楽しもう。
いつものように、海に行ってる間、ビーはおうちにいる、と思ったらそんな気がした。

あいにくのどんより曇り空で涼しくて、秋めいたね、花水木の葉っぱが色づいてる、多摩川の桜すっかりハゲた、台風の後で季節動いたね、うわーん!と、結局のっけから二人でしんみり。その後はバカ話で笑った。
虹をよく見る一週間だった、とC。
高速で、天気雨になり、今日も出そうだね、と空を見ていて、C「出た!後ろ!」
おお!
低くて太い虹だった。
ネズミを追いかけてるときの、ビーの動線。おうちにいなかった、遊んでる遊んでる。

海についたら雨。
でも気にせず泳いだ。潮はぬるい。台風の後で、潮はほぼ澄んで、きれいだった。
浅いところに若いボラの群のほか、小さい魚がたくさんいた。

岩周りは、ツノダシを今年初めて見た。クロダイも次から次へと現れて、おれが兄さん、いやおれが兄さん、おれがおれが、と寄ってきた。
チョウチョウウオ、オヤビッチャ、カゴカキ、ソラスズメダイ、黒っぽくてシッポが水色の魚もたくさんいた。

一人で来てるお兄さんがいて、ここの魚、餌付けされてるんですか、すごい寄ってきますけど、と驚いていた。もちろん餌付けなんかされてない。
お兄さんは結んだ髪といい、潜るのが上手いことといいCに似てて私も間違えそうになったので、魚たちもCと間違えて寄ってきたと思われる。

小さなイカ、青く美しいシマダイ、コウナゴの群もいて、冷えきるまで泳いだ。
雨は降ったり止んだりで、遠くの沖には日が射していた。

上がると寒くて、そろそろ袖がいるのか、袖ってなに?世の中には袖ってもんがあるらしいよ、ググるか、としんみり。




お寺についたら6時半でもう暗くてしんみり。虫の声を聞きながらストレッチ。
五感にとどまらずナンバーの数だけあるという感覚を開いていくと、しっとりした空気が体に流れこみ、意識は溶け出し、自然の全てと一体になり、ボッコリの大穴も気で満ちた。
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フッフーン

2020年09月14日 | にゃんトーク


たくさんお花を買いに行って、夕方の空を見に河原に行って、ほかはなんにもしないで一晩すごし、次の朝は10時にお寺に行った。

ビーがついてくるようにたくさん声をかけたけど、あの賢いビーが、もう迷子になることはないのはわかってる。

ボブの歌もずっとかけて歌った。この歌が聞こえたら、私のとこに来てね。

雨予報は外れ、旅立ちの日と同じく青々とした空に大きい雲がたくさんある、夏の空だった。
暑くて、外に出ただけで汗が流れ出た。百日紅は満開がつづき、ツクツクが鳴いていた。

お花のほかに、イワシナマリアジもいっぱい添えた。

担当の方は殿と同じKさん。
殿のとき、とてもきれいな白い骨です、とほめてくれたのは、みんなにいうのかな、と思ってたけど、今回は、お胸にわるいところがあったのでしょうか、といってた。
顔の右側も骨がもろくなっていて、火を入れるのが難しかった、とも。Kさん何者。

Tもこの一週間は夏休みだったので、ゆっくり一緒に送ることができた。
帰りは三茶に寄って、ビーも食べるかなと、お寿司を食べた。少ししか食べられなかったけど。
ビーをつれて河原にも寄った。殿のときと同じくらい暑かった。



ビーのお世話は介護まではいかなかった。ビーをおばあちゃん猫と思ったことは一度もない、Tもそうだという、ビーはいつも可愛いわがままお嬢であり続けた。
お顔ふきふきも、食事管理も投薬も、ずっとやってきた日常で、いつからかずっと、ビーを最優先にして過ごしていた。

ビーとNちゃんはそっくりと昔からTに言われてきて、もちろん私はビーのかわいさや運動能力の足元にも及ばないのはわかってるけど、私はビーで、ビーは私、ビーと私は一心同体とずっと思ってきた。
ビーを抱っこして庭に出て、一緒に風を浴びてるとき、ビーと私に境界はなかった。ビーの体のぶるぶるが、私の体も震わせた。
ビーが楽しければ私も楽しいし、気持ちよければ気持ちいいし、私が元気ならビーも元気でいた。

Nちゃんはビーをえこひいきするともよく言われてた。
モンチがきて殿にべったりになった頃から、私はビーを一番気に掛けて、ビーは私にべったりだった。
ご飯食べるとき、洗濯物ほすとき、ゴミ捨てのときもビーは私の肩に乗り、横になってると胸に乗り、寝る時には顔に乗り。

お互いの息が混ざり会う近さにいつもいた。ビーが首に乗って私の鼻と口にあごを乗せて眠るのは、いつも至福だった。ビーはいつでもいい匂いがした。



シッポやお尻が汚れて洗面所で洗うのも、投薬も、Tだと嫌がってやらせなかったけど、私がやることは嫌がらなかった。病院だけは最後の通院まで嫌そうだったけどね。
病院ではいつも私によじのぼった。

去年の水害のとき、友達の支援で最初に頼んだのはビーの体重をみるための体重計、冷蔵庫が壊れてお隣に借りたのも、ナマリとササミを冷凍するため。

あの夜、ビーを抱っこしてなだめながら一緒に台風を乗り越え、一緒に台風一過の夜空のピカピカの月を眺めたのも、一生忘れない、今となっては幸せな記憶だ。

今年のリフォーム中も、一部屋にトイレもご飯もまとめてずっと一緒にいて、コロナ禍になってからは仕事に行かなくなってますます一緒にいて。

そして、旅立つその時まで一緒にいて、見送ることができた。
20年、最高の幸せを私にくれ続けて、お見送りもさせてくれた。

なんだかすごい時間、すごい関係でいられた。
それは消えたわけじゃない。
ビーとのすごい時間、すごい関係とともに、私はこれからも生きていく。

寂しいのはもう、これはもう仕方ない。

今月の巨匠連載より。
◯犬や猫は自分たちより早く死ぬ。子犬子猫としてうちにきて、暴れまわり、全身で生きる歓びをあらわす。三年、五年とたって落ち着きが出てくる。
そのうちに、あんなにわけがわからず暴れまわってたのが、こんなにものがよくわかると、大人になる。その日々が五年から十年続くと老いてくる。
いとも簡単に跳んでいた棚に跳べなくなり、散歩に行くのも億劫がったりする。
そして死んでゆく。その全体が、十年から二十年だ。
全身で生きる歓びをあらわしていた子猫が、二十年もするとこの世界からいなくなっている。
(中略)
何匹も世話していれば、そのことはよく分かっている。
それはもうホントに避けられないことだと分かっている、けど何年後かに待っている別れを、恐れたり嘆いたり悲しんだりはしない。
生きてあることをことあるごとに喜び、その喜びが期限つきであることを喜ぶたびに思う。
言葉にすればそういうことだが、それは静かな音楽のように絶えず漂っている、それが風の音だったり、夕暮れの光だったりしていた、

ビーの仔猫時代ったらホントにすごかった。
両手を広げてぴょんぴょん跳んで、私の目に着地!流血!なんてこともあった。
1日の大半外にいて、毎日ネズミをくわえて帰ってドヤ顔で見せびらかし、さんざん弄んでしまいに食べた。
ある夜は、ネズミとりのトリモチを体じゅうにくっつけて帰って、私に向かって激おこで鳴いた。
ある夏の日に家出して、私はビーを探すだけの日々を2週間送り、毎日ビーの夢を見た。ビーはちゃんと自分で帰って来た。
家の中でも殿と追いかけっこしたり、本棚の本やソファ、壁で爪とぎしたり、カリカリや鰹節の袋を開けて祭りを開いたり、やりたい放題で遊んだ。
引っ越すときも、外でも遊べるようにと1階を選んだ。
庭では脱走しないように押えてたけど、いつも不意をついて飛び出して、私の手の届かないところから、フッフーンと私を見た。

4歳でモンチが来て、ビーは大人になってからも、外の木陰でごろんして、ときどき私の心配をよそに姿を消しては帰って来て、殿に甘えて、殿とケンカして、モンチとは犬猿で、人のご飯をトンビのように狙い、ゴミ箱をひっくりかえしてケンタの骨を取り出して、Tにしかられるとベッドに走ってごろん、ハイハイこうさーん!
Tが抱きかかえて、「ビー!なんどいったらわかるの!」とやると、耳を伏せて目を閉じて、ごめんなちゃーい!と思ったら片目あけてチラッ、そろそろいいでしょ、しちゅこいにゃ!
Tはポンポン担当として、何時間でもポンポンしてもらい、手をとめるとシッポをバンッで睨みをきかせた。
ベッドにごろんしてニャー!と私を呼んで、見に行って向き合ってごろんすると、ご機嫌で毛繕いを始めた。私の顔を、足を投げ出す台にして。

そして16歳をすぎ、鼻炎、甲状腺亢進、腎臓など持病がでてきて体重が半分になって、ムダな動きはしなくなってからも、トンビのように人のご飯を狙うのは変わらず、好きな物だけむしゃむしゃ、ぶしゃぶしゃ食べて、ポンポンされて、下僕を足がわりにして外で日を浴びたり、風の匂いをかいだりして、ぶるぶる体をならしていた。ついこの春まで、モンちゃんは越えられないフェンスの隙間をするっと抜け、ビー!帰ってきてーと懇願する下僕をフッフーンと振り返った。私を呼びつけることもどんどん増えた。その度に喜んでかけつけた。

20年前、Cと一緒にビーを引き取りにいったとき、ビーは自分からまっすぐ私の膝に来た。
その頃から、いつか訪れる別れは必然であると言葉にしなくても漂っていた、だからビーとの日々は、ことあるごとに特別な喜びで、ありがたかった。
避けられない時が来た今も、喜びの日々はどこにもいかない。私とTの間に、この部屋や庭に、世田谷観音の一角に、どかっと広がっている。

ビーは不意をついてぴょん!と飛び出した。ビー!と呼び続けるちもべを振り返って、今もフッフーンだ。素早いビーは私にはつかまえられないけど、いつだってビーは、自分で私のところに帰ってくる。

One love one heart,
let's get together and feel alright.
Give thanks and praise to the load,
and i & i will feel alright!
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猫の中の猫

2020年09月10日 | にゃんトーク


やりたいようにやるだけにょ。
だって、あたちはビーよ。
ねこのなかのねこだもにょ!

私の腕の中にいるビーが、突如ぴょん!と素早く飛び出して、フェンスを越えて遊びに行ったら、私にはつかまえられない。

いとしのビーたまは、どこまでも猫らしく、どこまでもかわいく、9月10日の朝早く、Tと私を起こしたと思ったらその足でぴょーん!と空へとジャンプした。

ビーを抱きかかえるようにして、この腕の中で送ったのに、現実感がなかった。寝起きでコンタクトしてなくて、はっきり目が覚めてなかったかもしれない。あっというまだった。

遊びに行っちゃった。
今回は、邪魔になった身体を置いて行っちゃった。
自由になったビーは、持ち前の運動神経が復活して、目にも止まらぬ速さでびゅんびゅん空を飛び回って遊んでる。
でもまた会えるよ。ビーはいつも、私のところに帰ってくる。

その日の夕方、河原に出たらビーのシッポみたいな太くて短い虹が出た。

少し戻って、これまでのこと。

前回の通院で胸の水を抜いた翌日、9月4日に利尿剤をスタート。
5日土曜日には、ビーの食欲は100%復活。ゼッピンのカリカリ、アジとナマリMIX懐石店のおかか添えをむしゃこい。
調子よさそうで、パラディア再開。

この日は、台風10号の警戒が色濃くなっていた。

6日は台風が日本に近づいて、関東も天気が崩れた。中央道の早めの封鎖で、Cと話して海に行くのは諦めた。
何度かゲリラ雨があった。

私は鐘中というのもあってダルダルで、ビーも寝てばかり。
カリカリとちゅーる(総合とエナジー)、メルミルは自分で食べたけど、好物の魚は食べなかった。

7日の月曜は下痢したのでパラディアやめ。
鼻上部の腫れが爆発して、膿がどっと出た。きれいに拭き取り、腫れはゆっくりひいてきた。

日中は和室で寝ていて、ビーの寝息を聞きながら、アルベルチーヌの寝息と眠りの描写を読んでいた

朝は固形物はほとんど食べなかったけど、午後にナマリをむしゃむしゃ食べた、ペロリまでいがず、残した。

この日はモンちゃんの4年目ワクチン。詳細は後述。

8日、アジやナマリ、イワシを出してもプイッとされたけど、ちゅーるやメルミルはちゃんと自分でなめた。
お皿に出しても今ひとつでも、私の指に乗せると何度もペロペロ、全部なめた

呼吸が少し速かった。
ベッド下にいるビーを、何度も見に行って、静かに眠ってると安心した。寝てる間は起こさないようにした。起きてると、こっちを見る顔がかわいくて、何度も見に行った。

好物の魚を食べないこと、呼吸が少し速いこと、ニャー!と下僕を呼び出さないことは気になった。
利尿剤を飲ませても、尿量はあまり変わっていなかった。

とはいえ、かわいくてフワフワで、自分で食べてトイレも行くし、離陸が近いとは思わなかった。
調子さえ戻ればまた、涼しくなったら顔の上で寝てくれると思っていた。



失われた時を求めての6巻を読んでる時に殿を送り、一時中断したあとまた読み出して、今は10巻を終えたところで、ビーなら14巻全部終わるまで余裕だろう、と思っていた。

その10巻の終わり、ベルゴットがフェルメールのデルフトの眺望を見るくだりはとてもよかった。
そのくだりの始まりの一節。
◯自然は病気を長引かせることはない、医学と薬が患者を小康状態にして新たな病気を生み出し、病気を長引かせる

9日の午前中はちゅーるもプイッだったので、初めてロイカナリキッドをあけてシリンジご飯。
午後はメルミルをよくなめたので、小分けにしながら80kcal自分で食べた。

ちゅーるもメルミルも私の指につけると全部なめた。ビーの舌の感触は、昔ほどザリザリしてなくて、柔らかくてかわいかった。指先のご飯は二なめくらいできれいになくなった。
何度も指に乗せて、なめるビーを見ながら舌の感触が幸せで、かわいいね、ビーはぁと何度も言った。

呼吸が少し速いままなのが気になって、心細さはあった。
好物をむしゃこいしないと、私も食べられなかった。
でもまた、これまでみたいにけろっと食べるんだろうな、と思ってもいた。
夕方、Tが外に連れて行ったときも、ビーはご機嫌だった。

夜、ビオフェルミンを少量のロイカナリキッドで溶いて飲ませた後、吐いた。

そして10日の6時半頃、和室で寝てたビーは、横で寝てたTの顔の横で飲んだばかりの水を吐き、その場でオシッコした。
Tはそれで起きて私も起こして、
ビーのお尻が濡れてるから拭いてあげて、とビーを連れてきた。
ビーはトイレの前で下痢もしてたので、Tはトイレと吐いた水の掃除を始めた。
ビーを抱っこして洗面所のお湯を出してたら、ビーの呼吸はさらに速くなって、口呼吸になった

2週間前に胸水が見つかってから、診察のたびに先生は口開けて呼吸することはないか、と言っていた。これがそうか、と思った。

すぐにバスタオルを広げて寝かせた。口呼吸がおさまるように胸を撫でた。一度起きて、歩こうとして、よろけて倒れた。

まさか、と思いながら、前足の肉球を撫でたら、ぎゅーっと、私の指を握った。え、そうなの。ビーを両腕で抱え込むようにして、苦しまないでね、ありがとうビー、愛してるよ、と声をかけてすぐ、掃除中のTを呼ぶ間もなく、後ろ足で蹴る動きが2回あって、ぴょん!と飛び立った。

すぐに駆けつけたT、「ビー、起こしてくれたんだね」、抱っこがまずかったのかと気にしてたけど、ビーは抱っこが好きで、前夜も何度もしてた。
それより、下僕を起こして、いつものように使いたかったんだと思う。

心臓だった。2週間前、このまま悪くなると酸素室に、、と先生がちらっと言ってた。

しょんにゃの、あたちいや!
ちもべのうでのなかにちとくわ!

だったのかな。この日も通院予定だった。

あまりの早業で、すぐには涙も出なかった。
ただ呆然とする下僕だった。

殿は賢者から仙人になって子猫に戻って顔つきが変わっていったけど、ビーは顔つきも猫のままで飛んでった。

足腰が立たなくなる前に、自分でご飯を食べられなくなる前に、酸素室に入れられる前に、するっと飛んでった。

もうビーは苦しくない。
きらいな通院もない。
腺がん細胞に骨や組織をやられることもない。

初めてあけたロイカナリキッドは、20しか飲まなかった。

猫の中の猫だもん。
すきなものは、あおざかな!
きらいなものは、びょーいんよ!

その後コンタクトも入れて、目もしっかり覚めて、夢じゃなかったとわかって、みるみるあふれる悲しみ、寂しさ。

殿のときは、安堵が強くあったのと、ビーがいた。
殿とともに私の猫人生の最初からいて、イニシアチブをとってきた猫だ。
寂しさは、尋常じゃない。

もー、ビーったら、こんなに突然遊びにいっちゃって!
下僕を足蹴にして飛び出して!

そんなビーは、10日前に、20歳の誕生日という人生最高のプレゼントをくれた。
好きなものをむしゃこいして、祝わせてくれた。その日は21歳いけるかも、とまで思った。
長さじゃないと思ってはいるけど、20歳はずっと夢だった。2002年に2歳のビーが2週間の家出から戻った日は人生で一番嬉しい日で、その日についで、2020年に20歳になった日は嬉しい日だった。2が多いな、猫だもんね。
もー、かわいいんだから、ビーはぁ。




その日、日中は晴れて真夏の暑さだった。夕方、涼しい風が吹いて、今年初めて秋を感じた。



夜は、クーラーきんきんの部屋でビーの体と一緒に寝た。
脱け殻になっても、ビーの体のすべてが愛しくて。

夢には殿がでてきた。目覚めても忘れないように、目を見開いたちょっと変な顔で。

あとはおれに任せろ!
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ビーの9月上旬通院

2020年09月04日 | にゃんトーク


まだまだあついんだぜ

9月になった。
ビーは変わらずご飯をよく食べて、よく寝て、マイペースに過ごしている。
20歳になって、ますます偉くなったことを自覚してるのか、ベッドから降りるときも立ち止まって人に降ろしてもらうのを待ち、押せば開くドアも自分では押さず、ドアの前で待っている。
できないわけではなく、急いでる時はベッドの上り下りも軽くこなしている。
朝、足にトイレ砂が付いたら、ベッドで寝てる私の横に来てごろんして足を投げ出し、
「ふきなちゃい!」

今はこの場所がブーム

1日の夜は近所のお寺に、ビーが20歳を迎えたお礼のお参りに行った。
ここからの1日1日が、どこまでも続きますように。

3日は、ビーの週1検診。
この1週間はご飯をよく食べて、痛そうなとこもかゆそうなとこもなく、いい調子だった、が、胸水は200ミリくらいたまっていたので、抜いてもらった。今回も透明なきれいな水。

1週間でこれだけたまったということは、今は腎臓より心臓の負担が大きい、なので同じくらいに持っていくため、利尿剤を使うことに。水を尿として排泄できれば、胸はラクになる。

利尿剤は、24分の1錠とかに切ってあって、ものすごく小さいのを、2日に1回。
薬ってこんなに小さく切れるんだ~という小ささ。

利尿剤を使うと多飲多尿になってくるとのこと。
高齢猫の腎臓に少しでも負担をかけるなんて!とはじめは思ってたけど、先生の説明はわかりやすくて、先週の時点で納得していた。

先生は、聴診と触診と体重だけで見立てたことが外れない。どうしても必要な時だけ血液検査やレントゲンで確認する。殿を診てもらってた時以上に、経験を積んだ老練な獣医の感じが滲み出ている。いい先生だ。

心臓が弱ったことが、分子標的薬の副作用ってことはない?と聞いたら、即答で「ないです」。
そんなら、また膿が出てるので再開したいとこだけど、「下痢がおさまったら」とのこと。
下痢は日によりけりで、この薬のせいとは思えないけど、今は自分の判断で勝手なことはしないで、先生のいうことをきちんと守ってみる。
膿は出てるけど、前みたいに腫れてくる感じはない。
ビーも気にせず、かきむしることもない。

今回はおっかねえこともなく診察終了。
次は利尿剤を使ってどうなるかを見るため1週間後。


かえりたいわ~

待合室の中でも外でもニャアニャア鳴いて疲れたビーは、帰ってベッド下に入ってひと眠りして、起きたらカリカリ、ナマリをむしゃこい。

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8月の猛暑の頃は毎日スイカを食べてたけど、今年は最安でも498円だった(4分の1)。
9月入って698円。高すぎ。
野菜もずっと高くて、長い梅雨の影響がまだ続いてる。
なので今年は、梅雨の後に実るオクラやシシトウなど真夏野菜をよく食べてる、旬のものは美味しい。

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手羽元8本が200円代だったので、カレーをつくってみた。タマネギショウガニンニクと一緒に1時間煮込んで一度火を止めて、冷めたら軽くこげつくまで炒めたジャガイモ入れてさらに30分。
カレー粉、スパイスは適当。ハチミツ、レモンも適当。
鶏はほろほろになり、コクがはんぱなくて、これまで自分で作ったカレーで一番うまかった。
すべて適当にやったので、再現はできない。

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外装工事で庭の水やりができない日があり、10年以上愛でてるピンクユキヤナギが枯れてガビーンと思ってたらちゃんと新緑がでてきた。良かった。
外装工事はまだ終わっていない。
暑くてとんでもない格好してるときに、おじさんが窓の外に来る。

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マスクを保存するとき、ラベンダーのオイルをたらしたキッチンペーパーにくるんでおくと、つけたとき爽やか。

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《読書メモ》

本は、真夏の間はお休みしてた「失われた時を求めて」を再開。10巻《囚われの女Ⅰ》から、200Pくらいまでのところ。
前の巻で、アルベルチーヌがゲイであることに気づき、こうなったら結婚してやる!と決めて家に住まわせる語り手。
もはやアルベルチーヌに恋心はないし、むしろ飽きた、孤独を取り戻したいと思いながら、(女性の知性がいかに優れていようと、つねづね私はそれに興味を抱いたことはない)という語り手は、彼女の肉体をとめどなく賛美したり(花と咲く髪のつややかな束は、はるかに肉体とつながりが深く、肉体をさざ波に移し替えたように思われて)バルベックの海と花咲く乙女たちを回想したりしている。
彼女を手元に置くのは、側にいて欲しいからというより、世間から隠しておきたいだけとも言う。
で、彼女の肉体を見たいのも、肉体を通じて彼女の(女性たちとの)数々の思い出や、間近に迫った逢引をメモのようにのぞき見たい願望から、と変態が熟成されてきた。
アルベルチーヌは高価なプレゼントをばんばん買ってもらい、アンドレと連れ立って好きに出かけていて、語り手の家に住むことを嫌がってはいない。
男爵とアホのモレルは相変わらずで、モレルは仕立て屋ジュピアンの姪と結婚することにして、男爵はこの二人にとっての全能の神として君臨せんとしている。
モレルと男爵のゲスの極みぶりはいい勝負で、やっぱりこの二人の話はおもろい。
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いとしのビーたま20歳

2020年09月02日 | にゃんトーク



あたちはビーよ!この20ねん、まいごもしんさいもすいがいもこえてきたにょ。こわいものにゃんてにゃいわ!

毎年8月は一日一日、夏をかみしめようとしてきたけれど、今年ほど一日一日のありがたさをかみしめた8月はない。

ビーは26日の検診で胸水が見つかって、ドキドキを抑えられないまま見守っていたところ、翌日から週末にかけてビーの食欲はどんどん戻り、カリカリも食べ、イワシやナマリはほぼペロリ食い(一口残す)。

日曜には補助給餌がいらない、食欲100%の状態に戻った。

毛づくろいもしてるし、顔つきもいいし、鳴くし、ポンポンされたいし、寝てるときも静かに伸びていた。今回も、検査で一気に高まった緊張が、ビーに寄り添ううちに徐々に消えていつもの日常に戻った。




金曜にまたまぶたが少し腫れて、土曜から膿が出て来て、腫れは収まった。膿の量は少なく、ビーも気にしていないので、カラーはつけなくても大丈夫。

一日一日モードに入って先のことを考えるのは止めてるなか、ビーは自分のペースで一日一日を過ごし、そして迎えた8月31日は、ビーの20歳の誕生日。

嬉しい。すごい。20歳を越えた猫より偉い者なんていない。いや0歳から誰より偉かった。

ビーにはもちろん、ありとあらゆるすべてに感謝の気持ちでいっぱい。

ビーに身を捧げてくれた下馬のネズミたち、たくさんのカツオやマグロ、イワシやアジなどの魚類たち、ニワトリたちにも心より感謝。

ビーは保護猫なので誕生日ははっきりしないし、この春くらいから「ビーは20歳」と何度もいってたけどね。

いざ公式の誕生日を迎えるとなると、日付が変わる瞬間から嬉しくて感無量だった。

当日のビーはすこぶる調子が良くて、出すもの出すものよく食べた。

お祝いは、うなぎの白焼きをと思ったけど白焼きはなくて、タレ付きのを水煮して、タレと脂をよく落としてからあげた。それでも脂っこかったみたいで少し食べただけだったけど、トータル200Kcal、しっかり食べてくれた。

Give thanks and praise!おめでとう20歳!ありがとう20歳!

これからもよろしくね。ずっと一緒にいてね。

この日はTも休みで、Tはウナギと中トロも買ってきたけど、中トロは下痢のおそれありなので人が食べてお祝い。

ビーの誕生日っていったら私の誕生日みたいなものなので、今年全然着る機会のなかったお気に入りサマードレスを着て、河原~駅まで散歩した。夕方の風が涼しくなってきた。

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8月終わりの週のメモ

このところ食欲にばらつきのあるビーは、ないときは1割まで落ちたけど、そこから10割に戻る。

カリカリはもう食べないのかと思いきや、食べる。

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8月30日は海へ。

残暑がふるっていて行きの高速は38℃。いい天気、海はギラギラ。
風がけっこうあって、水面は小さく荒れており、濁っていた。
透明や極小ほかいろんな稚魚の群れ、ソラたち、フグ、コウナゴ群、兄さんにはなんとか会えた。

刺さないけどやたら触るおさわりクラゲが多くて泳ぎにくかった。

岩の上でギラギラの日を浴びて、一度浜に戻る途中で、ビリッときた。

17時前にボードで中盤に出て、しばらく小波に乗ってゆらゆら。

葉山はダイヤモンド富士の日で人が多くいたけど、夕方には雲が出て富士山も太陽も見えなくなった。
北の方に、テーブルみたいなへんな形の雲がずっとあった。


お寺に寄ってストレッチ。
久しぶりにマックのポテトLを一気食い。

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