なぎのあとさき

日記です。

ちょっと何いってるんだろう

2020年09月30日 | にゃんトーク



やっとたいようにあえたぜ~


くさがだいすきなんだ、おれは

Tは、トイレ掃除がラクになって寂しそうにしていた。
猫は調子がわるくなってくるとまずトイレの粗相が始まって、それは長く続く。

ビーはちゃんとトイレに行ってたけど、軟便の日が多くてトイレの踏み台や、前の砂落とし台の上ですることが多くなってた。
なんて、ビーの具合が悪かったのなんてほんの一瞬のことだけど、そんなことすら懐かしい。

今や、トイレ監督モンちゃんも文句つけようのないきれいなトイレが2つ。
その2つのトイレをモンちゃんは丁寧に使い分けている。
私はカード明細を見ても寂しい。病院の引き落としがないと、こんなに少ないのね。



大きな菊の花がずっと咲いてる

粘りに粘って老猫の風情をじっくり見せてくれた殿と違って、ビーはナマリやイワシが食べられなくなったら、かわいさの頂点にいるうちにぴょんと飛び出してしまって、私は覚悟不足だったせいか、いまだ大不在が幅をきかせている。

胸から喉元にかけてボッコリ開いた大穴を、夏の空気が満たしてくれるうちはいいけど、秋風がヒューッと吹き抜けるのはなかなかのもの。
でもこれも、ビーらしい気もする。ビーは用なんかなくても、存在をアピールしていた。
今は不在というかたちで存在をアピールされている。こうなると、もはや不在ではないともいえる。
(ちょっと何いってるのか、、)

ビーのかわいさって、なんなんだろう、と最近よく考える。
猫なのでフィジカルのすべてがかわいいのはもちろんだけど、ビーのかわいさは内側がそのまま肉体に現れているようだった。

ビーの内側とは、猫の中の猫たる猫らしさで、その猫らしさが耳になり目になり顔になり、四肢となり、シッポとなり、ビーになっていた。

ではこの猫らしさとは何か。
まず、自分が一番偉いことの自覚と、それゆえのわがままぶりであった。
私がビーの言いなりであること、ビーを何より大事に思ってること、ビーのためならなんだってすることをよく分かった上で、ビーは私に大いばりだった。

大声で鳴いて私を呼び、強い目力で私を見上げるのは、子猫の頃からずっとそうだった。
子猫のころは、口を大きく開けて、キニャーッと鳴いた。
大人になるにつれ、そこまで口を開けなくても、大声で鳴くようになった。

小腹のへったときに鳴くのは当たり前だけど、手持ちぶさたで鳴くことも多かった。
なでて!抱っこ!ポンポン!側で見てて!というときに、自分から来るのではなく、私を呼びつける。

ちょっと寝てる位置をずらしたり、抱っこ中に爪が服にひっかかったりすると、「にゃああ!」と怒る。
人に何かを強いられることをきらい、常に人の上にいる。
猫が人よりずっと偉いことを、ビーはよく分かっていたのだ。

もう一つ、猫らしさとは、うまいものを食べたい、かわいがってもらいたい、という純粋な欲求に一直線なところである。
とにかく賢いビーは、欲求のためだけに、賢さを活用した。
だからビーは賢さも猫らしさの一環であり、猫らしさとはつまりかわいさなので、賢さ=かわいさである。
(ちょっと何いってるのか、、)



ビーたま何枚かに一枚降りてくる

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久しぶりに、上野に絵を見に行った。ロンドンナショナルギャラリー。
予約制で、人数制限していて、混んでなくて見やすかった。
ルネサンス期から印象派まで、ヨーロッパ芸術の歴史をたどる至福の空間。



フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》は、目の前でゆっくり見ることができた。
構図も色合いも素晴らしかった。
女性は丸顔で、アルベルチーヌがピアノラをひくシーンにリンクした。



ターナーの神話をもとにした海の絵、カンバスが大きくて、海、大気、光が濛々、吸い込まれるようだった。



写真ないけど、ムリーリョ 《幼い洗礼者聖ヨハネと子羊》 もとても良かった。
セザンヌの風景画、モネの睡蓮と橋の絵、そして終りの一枚は、ゴッホのひまわり。
何枚かあるひまわりの中で、花も背景も一番黄色のひまわりで、ゴーギャンもとても気に入ったという一枚。これも目の前でゆっくり見れた。

この日は雨で、公園でゆっくりできなかったのは残念。
駅近くのマンゴーのミックスソフトがめちゃうま。
はしご寄って帰った。

モンちゃん1人でお留守番なので、今も二人で出かけてもとっとと帰る。モンちゃん雨の日はこれでもか、と寝てるけど。

土曜は河原飲みの予定が雨で、R堂の中で飲んだ。
だらだら4時間くらい。久しぶりにたくさん人に会って楽しかった。
ふだん全然人に会ってない、しゃべってないという人もいれば、すっかり元通り毎晩飲んでる、という人もいた。

雨は霧雨で、私にとっては降ってるうちに入らず、外の喫煙所で雨にあたるのは気持ちがいいくらい。
みんな寒がってたけど、まだ「寒い」という言葉を使うほどではない。
涼しいけど。

27日は理事会で、始まるころにやっと日が差した。
20日連続の雨だったらしい。
理事会は、まだまだ話がてんこもりで4時間半もかかった。
それでも、終わって爽やかな笑顔を見せる担当営業の陣内くん(仮名)はほんと頑張ってる。

秋晴れの爽やか天気になり、モンちゃんはますまするんたったで、庭に出たり入ったり。私も一緒に庭に出て、あれれ、この匂いは。
金木犀が咲いた。

河原には、彼岸花も咲き始めた。

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本は「失われた時を求めて11 囚われの女」を読了。

前半は、ヴェルデュラン夫人のサロンにて、シャルシュス男爵が企画したモレルの演奏会。
男爵は年を取ったせいか、自分の性癖を平気で人前にさらした上、お客をヴェルデュラン夫人に紹介せず、自分の手腕に酔いしれて、夫人の怒りを買う。
怒った夫人はアホのモレルに男爵の悪口を吹き込み、二人を別れさせて、男爵はこの後病気になってしまう。
語り手はモレルの演奏するヴァントゥイユの七重奏曲を色彩豊かに描写。その音楽は、マルタンヴィルの鐘楼や、バルベック近郊の立木を前にして感じた印象を体現する。
この楽譜を解読したのはヴァントゥイユの娘の女友だちで、この夜会に来るはずだった彼女たちとアルベルチーヌとの関係を妄想し苦悩する流れは後半につづく。

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