放射能除去と骨炭 一筋の光

私たちの想いを全国に

野田佳彦に見る政治家失格の条件・・・「私たちにできること」は野田佳彦を政治家と認めないこと

2012年06月18日 | 武田教授
民主党の「書いてある公約」には次のようになっています。

 

ここには、1)マニフェストで国民に約束した重要政策を政治の意思で実行する、2)「税金のムダ使い」を再生産している今の仕組みを改め、新たな財源を生み出す、とあります。

この「国民に約束した重要政策」はマニフェストの1番、つまり「国の総予算207兆円を全面組み替え。税金のムダづかいと天下りを根絶します。議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します」です。この中で310議席をもっている民主党だけでできることは「議員の世襲と企業献金の禁止」、「衆院定数の80削減」です。もともと政治家は自らの行動を他人の責任にすることはできませんが、自分だけでできることもしないのですから、政治家とはいえません。

また「官僚が抵抗する」というなら、「誰がどのように抵抗したか」を公表することは政治家には可能です。私たちは選挙における投票を大切にしなければならないし、今まで「投票に行きましょう」と呼び掛けた人も声を上げる責任があります。

 

 

これは野田佳彦が街頭演説しているもので、「書いてあることは命懸けて実行する」と国民に言っています。この前には「政治家は国民との約束を守らなければいけない」という趣旨の事を言い、さらに「まして文字に書いて国民に約束したことは、命をかける・・・つまり、もしやらなければ自分の命を差し出す・・・(現代では)政治家を辞める」と明言しています。

しかし、野田佳彦は政治家としてではなく、普通の日本人としても「嘘つき」か「詐欺師」というのがふさわしいでしょう。言葉が汚いということや、非難がきつすぎるということもありません。もともと「嘘つき」とか「詐欺師」という日本語が存在するのは、このような時にそれを的確に表現する必要があるからです。これほど矛盾したことを言う政治家はほとんどいません。

 

さらに演説は続くのですが、「そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです」といっています。そばで森山さんという人がたすきを掛けて聞いています。天下の公道でマイクを使い、国民に呼び掛けているこの2つの発言は、国民が「忘れてはいけないし、不問に付してもいけない」という内容です。

今や、「増税」という形で国民はその財産を奪われようとしています。野田佳彦が議員として私たちの代表になり、権力を持つに至ったのはこのような「ウソ」だったのです。再び刑法236条を示します。

●刑法246条 詐欺罪 「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。」、

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ことがここまで来たら、私たちは野田佳彦を政治家と認めないという断固たる立場を取る必要があります。またその野田佳彦と同調している民主党、自民党、公明党もまた政治家ではありません。本来、政治家としては認められない人を相手に交渉をして同意するというのは本人も政治家としての矜恃を持っていないことを示しています。

まず「私たちにできること」、それは「政治家の資格要件は、口から出たことを違えない」ということをハッキリし、野田佳彦の言動は無視し、報道は見ないということをまずは実行することです。

野田佳彦の政策や政治的言動は政治家の発言ではありませんから、報道するマスコミな雑誌を買わないということや、自民党、公明党に抗議をするなどが私たちにまずはできることです。民主主義というのはお殿様がいるのではなく、私たちがその意思を具体的な形で示すことです。それは「デモ」や「革命」でもありますが、普通の生活の中でできることです。

野田佳彦の政策について論評してはいけないと思います。もちろん野田政権が決めた原発再開を「実行する人」は国民にはいないと思います。

 


被曝による子どものがん死・・・ごまかされないのは親の責任だから理論武装

2012年06月17日 | 武田教授





子どもに法定以上の被曝をさせようとする自治体、専門家、マスコミの記者が跡を絶ちません.

このような非常識な人が出てくるのは、「除染や移動、食材に余計なお金をかけたくない.それなら子どもに被曝させた方が安上がりだ.子どもは法規を知らないから」という理由や単に「仕事が面倒になるから(主として自治体)」、「被曝する子ども達だけを切り捨てれば、保守層のおじさんが満足するから(主としてNHK、保守系の新聞、雑誌)」という理由があるからです.

また、法規で原発の事故からの被曝は大人でも1年1ミリ以下と決まっていて、子どもはその3倍の余裕を取らなければなりませんが、なにせ被曝も統計も難しいので、ごまかしがかなりあります.

最近、「1年1ミリなどという非現実的なことを言い続けている」ということを書いてある雑誌に、ごまかしが多くありましたので、子どもを守る親として以下にできるだけ丁寧に彼らのトリックを示しましたので、是非、被曝量の低減に役立ててください.

とくに「1年100ミリまで安全だ(山下医師らの発言)」、「ガンで30万人死ぬのだから、大したことはない(原子力安全委員会の女性の元委員長代理の国会発言)」に対する反撃材料です.

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【被曝による子どもの危険性の増大】

小児ガンによる死亡数は10万人あたり3人程度です(人口動態統計から。年齢は0才から14才まで)。これに対して「1年100ミリで発ガン率は100人に0.5人だから大丈夫」という事との比較をします.

1年100ミリの被曝によってガンになる人は「100人に0.5人」と言うことは「10万人あたり500人」です。医療関係の疾病数などは常に10万人あたりで表示するのが普通です.

子どもは大人に比べて3倍の危険性があります。つまり子どもの場合、10万人あたり1500人です。つまり1年100ミリの被曝は子どもがガンで死ぬ可能性を通常の状態の500倍にするということを意味しています(普通は3人で、1年100ミリなら500倍になる)。

ここまでの数値は「原発推進派」、「被爆注意派」、「産業優先派」など日本のあらゆる人が合意しています.つまり1年100ミリで、大人も入れた平均で10万人で500人ががん死をして、子どもは大人の約3倍という数値だけを使っています.

●ここで、もし相手が「1年100ミリまで大丈夫」と言ったら、「1年100ミリと言うことは山下医師の数値を使うと、通常の時の小児ガンに対して500倍も危険ということですが、なぜ500倍が「大丈夫」なのか説明してください」と明瞭に求めてください.これは被曝する子どもの代わりに親が質問するのですから、気を強くして単純に聞いてください.

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【ガンで死ぬ人は多い?】

私が出席した2011年5月頃の国会の委員会で、元原子力安全委員長代理だった女性が「ガンで死ぬ人が30万人もいるのだから、被曝で死ぬ人の数など問題ではない」という趣旨の発言をして、これも山下医師の「1年100ミリまで大丈夫」と同じく、子どもを被曝させたいと思う人を勇気づけています.

でも、大きな錯覚があります。小児ガン死は10万人で3人ですから、日本の小児人口が約1700万人(2011年)なので、全部で510人です。それが山下医師の「1年100ミリで100人に0.5人」という数値では小児で25万5000人という膨大なガン死が予想される事になります.

この女性の元委員長代理が使ったトリックは、被曝については1年100ミリを想定し、ガン死については1年1ミリを基準にするというダブルスタンダードを採っていることです.たとえば、「被曝については1年100ミリ以下では医学的にガンの発症は明確ではありません.また、通常のガン死30万人に対して、被曝によるガン死の数は比較にならないほど小さいのです」という説明をします.

なかなか高級なトリックなので何となく被曝は安全だという錯覚に陥ります.この手の人の特徴は「ずる賢く恨みを持つ」という特徴があり、なかなかやっかいです.

人の死には何種類かあります。第一に天寿を全うしてガンなどで死ぬという場合で、これは「天寿を全うしたけれど、死亡原因はガンだった」というものです。第二に天寿を全うするには少し早かったけれど60才を過ぎて病気になって死んだという場合です.さらに第三に病気ではなく階段から落ちたり、交通事故に遭ったりして60才以上で死んだという場合、さらに最後に子供の頃に事故や他人の責任で死んだというようなものです。

これらの同一に考えることはできません.たとえば、80才の老人が間違って階段から落ちて死亡する(年間10万人に30人)という場合と、10才の子供が誰かに(故意ではないが、偶然に)突き落とされて死亡するというのはまったく違います.

80才の人でも天寿を全うせず、事故で亡くなったのは残念ですが、偶然でも10才の時に人に突き飛ばされて死ぬというのは悲惨です。これを同一にすることすら許されません.まして、80才を過ぎた人が死んだときの原因がガンであるということと、10才の子供が東電の事故で被曝して死ぬのを同列で比較する感覚はまったく異常です。

原子力安全委員会が機能せず、事故になり、事故後も委員が居座っているというのは、このように感覚自体が異常な人が担当しているという事にもよります.

通常ならこういうべきです.・・・「通常の小児ガン死は年間510人ほどですが、1年100ミリの被曝があるとそれが日本全体では25万5000人まで増える可能性があります。」

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【ICRPに従え?】

もう一つ、私が見た保守系の雑誌には、「ICRPは緊急時に20ミリから100ミリまで被曝しても良いと言っている.外人が言うのだからそれに日本人は従うべきだ」という趣旨のことが書いてありました。

なんと情けない日本人か!と思います.まず第一にICRPは外国のNPOであり、国連などの正式な機関ではありません。たとえば環境で過激な活動を続けるグリーンピースもNPOです.

自分の都合の悪いことでは「グリーンピースの言うことなど聞けるか!捕鯨は正しい!」と言い、除染のお金がもったいない時には「ICRPに従え、なんと言っても相手は外人だ」という論理なのです。こんなにひどい大人の判断で子供達が被曝したら可哀想に思います.

ICRPはなかなか優れた学者の集まりですから、その意見を尊重するのはかまいません.でも、ICRPは「直線仮説」を採っていますから、子供のガン死については、1年100ミリなら500倍、1年1ミリなら5倍のガン死ということになります。

もし、ICRPの勧告を議論するなら、「東電の事故で、日本の子供達のガン死を500倍にして良いなら1年100ミリ、5倍なら1年1ミリ」と言うことを明示し、その上で「日本人としてどうするか?」を考えなければなりません。

その点では「1年20ミリ」を決めた文部科学省は、「東電の事故で子供のガン死を100倍までOKとする」という事なのです。1年に階段から落ちて死ぬ子供が5人とすると、東電が495人を突き落としても良いということを言っているわけです.

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親や先生が少しでも子供を被曝から守るために、日本の「大丈夫おじさん」、「NHKや保守系の新聞、雑誌」に対抗するために科学的な事実を整理しました。是非、活用して子供の被曝の低減をしてください.子供を守るのは戦いですから、緩んではダメなのです.私も攻撃的になりましたが、それはやむを得ません。

 


緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(2)

2012年06月16日 | 武田教授





大飯原発が再開された後、北海道泊、九州玄海など現在、停止している原発が次々と再開されるでしょう。そして、どこでも同じ事が行われるはずです。

1)国が「電気がいるから安全である」というメッセージを出し、地元に多額の税金を投入することとなどを裏で工作する、
2)地元市町村長、知事が「苦渋の選択」をして再開を受け入れる、

昔はこのようなことをあまり良い言葉ではないですが、「田舎の猿芝居」と呼んだものです。なぜ、このようになるかというと、もともと原発は「危険だからへき地に作る。それを安全と言って良いと国民全部が認めてきた」ということだからです。

今までも原発は「危険だけれど地元と地方議員にお金が行くからやる」というのが基本でしたから、原発事故が起こってもこのことは変わりません。

もともと原発が安全だというのは「安全神話」であることも国民は承知の上ですから、神話が原発事故で覆らないからです。その証拠に主として保守の論陣(テレビ、新聞の論評、雑誌の記事など)は「原発が危険であるかどうか」の論議を避け、「日本は電気が必要だ。それに反対するのは非国民だ」という事故前の論理を展開しています。

だから、大飯原発再開は日本人のこれまでの「理」にかなっていて、その他の原発も同じ「理」によって再開されることになります。つまり「金がすべて。日本の将来も何も関係なし」というスタンスを少なくとも日本の保守層、指導層が持っているし、それを国民が支持しているのです。

地方の人は農林業、水産業、工業で日本に貢献しているのに、何もしていない東京にお金をピンハネされ、その東京の人がもともと自分たちが稼いだお金をもって来るとひれ伏しているのです。

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ただ一つだけ、事故によって変わったことがあります。それは「原発の地元は加害者になる」ということです。自分たちはお金が欲しいから「危険を安全」と言って「苦渋の選択」で原発を受け入れますが、事故が起こると受け入れた県は加害者になるということが現実として理解されたのです。

今後は原発を受け入れた県は事故が起こったら、その償いをしなければならないでしょう。もちろん、誰も助けようとはしない・・・それは自分たちの判断で危険なものをうけいれ、それでお隣さんに被害を与えたのですから。

最後に「核廃棄物を片付けずに原発の電気だけ欲しがるのか?」、「電力会社は巨大なリスクを背負ってまでなぜ原発をやりたいのか?」などの謎が残るでしょう。

 


緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(1)

2012年06月15日 | 武田教授
大飯原発は再開される可能性があります。福島原発ほどの事故があり、その原因もまだハッキリしていないのに、また地元の町も県も原発の電気が必要なわけでもないのに、再開するのはとうてい会では当然のこと」が起こっているのです。

もともと日本人は原発が危険だと思っています.だから、東京や大阪で電気を使うのに、福島、新潟、そして福井県が東京や大阪に作るべき原発を僻地に作っているのです.

つまり、日本中の人が「原発は危険だ。だから僻地に作る」ということを知っているし、納得もしています.しかし、そんな国は日本だけでアメリカもヨーロッパも基本的には、「電気の消費地に近いところで内陸で淡水で冷却できるところ、可能な限り地震がなく、もちろん津波もないところ」に立地しています.

 

大飯原発は「危険でも再開される」と言うことですが、それは「これまでも原発が危険だからへき地に作ってきた。今更、原発が危険だから再開できないという理屈はない」と言うことなのです.

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日本国民は、3階級に別れています.Aクラス日本人は、東京、大阪、名古屋などをはじめとした大都市に住んでいる人たちで、その特徴は「原発の電気は使い、原発の立地も廃棄物もイヤだ。お金だけ出す.そのお金は生産地からピンハネしたものだ」ということです。

Bクラスの日本人は原発の立地のところの日本人で、「原発の立地を引きうけ、危険を被るが、お金をもらう。生産地だが大都市にピンハネされているので子どもを危険にさらしてもお金は欲しい。電気はご主人様のものだからもらわない」ということです。

そして、Cクラスの日本人、この人達については言うと悪いので、ここでは控えますが、私は本来平等であるはずの日本人が3つの階級に分かれているのを許すことは出来ません.でも、私が息巻いても仕方が無いことで、原発の電気も使わないのに、大都市のご主人様に電気を送るために自らBクラスの日本人になるという人たちがおられるのですから、それは本人の決断です.私ならプライドが許さないということですが、それは人によって違います.

でも今回の福島事故でわかるように、原発の事故は他県に被害をもたらします.それも覚悟の上で引きうけていると思いますので、原発が爆発したら、立地のところは「被害者」ではなく「加害者」になる事になります。

今まで、つまり福島原発事故が起こる前は「事故が起こるかどうか、事故が起こったらどういうことになるか、は専門家しかわからない」ということでしたから福島は加害者ではないような気がします。つまり政府が「安全神話を言ったのでそれにだまされた」と言うことが言えますが、すでに福島原発事故が起こっているのですから、今度は事故が起こったら福井県の人は加害者になります.

日常生活ならお隣さんに甚大な被害が及ぶようなものを家に置くのは誠実な日本人はやらなかったのですが・・・


野田佳彦は首相なのか?

2012年06月12日 | 武田教授
日本人としては残念ですが、次の4つをまず比べてみたいと思います。

●刑法246条 詐欺罪 「人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。」、
●民主党2009マニフェスト 「増税無き財政再建」、
●野田佳彦の政治生命 「消費税10%に増税」、
●選挙をしたら負けるから絶対に解散しない。

選挙が「人」を中心に行われ、国民が「人」を選ぶ方式なら別ですが、現在のような小選挙区制で大政党がそれぞれの公約を掲げて行う選挙では国民は選挙公約を見て投票しました。

国会では「党議拘束に違反するな」と民主党首脳は言っている。公約に反する党議は存在できないのは当然です。

選挙によって選ばれて「国民の信任」を得るというのは「言ったことを守る」ということであり、「選挙すれば負ける」というのは「国民の信任を得ていないことを本人が理解している」ということだから、国会議員で選ばれて首相になるということはできない。

つまり、野田佳彦という人は首相ではないのに、テレビ、新聞では首相として報道されています。ここはハッキリとした国民の意思を日常的な生活の中でしめすか、暴動を起こすかしかないけれど、暴動より日常的な生活の中で首相を首相として認めない方が穏やかで良いと思う。

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たとえば大手の銀行員がある人の自宅を訪れ「今までは・・・でしたが、もしこの預金をしていただければ2%の利子を出します」と約束して、実際には逆に銀行の手数料として2%を差し引いたという事件があったとします。

この場合、銀行員が会う約束をし、身分証明書を出し、すべてのことを「正しく」行ったという「手続き」が問題ないから詐欺にならないということではありません.形式が整っていればいるほど、むしろそこで何を話したか、人をだましたか、さらには書いたものを渡したのにそれに反することをしたかが詐欺というものです。

だから、選挙をして、国会で使命を受けたから首相ではなく、詐欺行為がなかったかどうかが問題になります.

2009年の民主党の第一公約(マニフェストの1)とその実行手続き(いずれも民主党自身が選挙の時に国民に示したもの)をここで示します。


誰が見ても公約は破綻したのですから、公約を作り直し、選挙をやり直さなければならないのは明瞭です.もしこのまま野田佳彦という人が「消費税10%へ増税、原子力安全員会の勧告無く原発再開」などの重要政策を実施したら、「法の前の平等」から言えば詐欺罪が疑われます.

およそ日本のような誠実を持って国の柱にしてきた国、教育で子ども達に「誠実であれ」と教えている国の首相としては、詐欺罪が成立するかどうかは別にしても、首相でないことは明らかです.

「裸の王様」がこのまま首相として待遇され、報道されないように多くの日本人が自らの態度を決める必要があるでしょう.選挙自体が破壊されるとさらに日本の将来が危うくなります.


原発短信・・・NHK、誤報を続ける(崩れた専門家とNHKのタイアップ)

2012年06月11日 | 武田教授
原発短信・・NHK、誤報を続ける(崩れた専門家とNHKのタイアップ)            
 
 
(私もNHKのことはもう書きたくないけれど、誤報は修正がいるので)

6月2日のNHKの報道で栃木県の子どもの2ヶ月の被曝状況が報道されました。被曝量は2ヶ月で0.1ミリから0.4ミリで、期間は聞き漏らしましたが、2012年6月の報道であるところから見ると、今年の測定と考えられます。

この報道はいくつかの問題点があります。まず第一に測定方法がないのにどのようにして現在の被曝状態が測定できるのかという点、第二に2ヶ月間の測定でその子どもの累積被曝線量を計算していない点、そして第三に「多くの子どもは大丈夫」ということと放射線防護の問題は基本的に異なるということです。

ごく普通に考えますと、被曝というのは体を突き抜けていく放射線量(外部)と体の内部を通っていく放射性物質(内部で通過物質)、体の中に滞留する放射性物質によるものの3種類になります。事故から1年経ったところで2ヶ月間の被曝を調べるには本人が線量計を携帯して外部被曝をはかり、食べたり吸ったりする食材や水、ホコリの放射線量をすべて量り、体内に滞留する元素をはからなければなりません。

そんなことはしていないと考えられますし、NHKは放送分の問い合わせに応じませんから永久に不明です。第二に調査の期間の2ヶ月の結果で、その子どもの累積被曝量はまったく不明であり、かつ0.1ミリから0.4ミリというと単純に計算してもその6倍だから、0.6ミリから2.4ミリになります。

従って、事故直後にある程度の被曝をした子どもは規制値の1年1ミリを超えているでしょう。それを「健康に影響はない」という専門家のコメントは「ハッキリと法律に違反し、間違っている」と言えます。当然だが、このような初歩的な間違いをNHKがしてはいけないし、むしろ結果的に防御が甘くなり、子ども達の被曝量を増やしますから「視聴者の子どもを被曝させたい」という悪意すら感じます。

福島県の山下医師が「1年100ミリと言ったのは不用意だった」と謝罪していますが、子どもが被曝してから謝罪しても意味はありません。まずは「逃げろ」と言い、安全なら「戻れ」というのが専門家です。

また、放射線の障害というのは1000人に1人ぐらいが問題になるので、999人が「大丈夫」というのを「大丈夫」としてはいけません。これは交通事故なども同じで、1億人で1年5000人の犠牲者だから残りの約1億人は交通事故に遭いません。

社会的に起きるこのような確率的に起こる被害は「大丈夫だった人」を示しても意味が無いことは、これも専門家なら誰でもわかっていることです。

この報道に際してNHKは「専門家」にコメントさせ、「健康に影響がない」と言わせていましたが、このデータから健康に影響がないということは言えず、むしろ「健康に影響がある可能性が高い」というのが専門家の見解でしょう。

専門家が平気で自らの専門性を否定するコメントをするのは日本で普通のことになってしまいました。それは実に日本にとって哀しいことです。誠実さ、まじめさ、職務に対する忠実な心、それが日本人だったからです。

【脱線】

輜重兵の話

ある自衛隊の高官に話を聞いたことがあるのですが、かつて日本軍の輜重兵(兵隊に食料や武器を運ぶ後方部隊の兵士)は、「本人が餓死しても食料に手をつけなかった」という極端な「職務忠実型」だと言われていました。

やや極端な例ですが、「自らの職務を規範を守るために、自らの命を省みない」という輜重兵の魂を現代の専門家も学んで欲しいと思います。


市民や保護者は「危険を科学的に示す」必要はありません

2012年06月08日 | 武田教授
市民や保護者は「危険を科学的に示す」必要はありません


福島原発事故が起こってから、被曝を心配する市民や保護者に対して、「そんなに心配なら、危険であることを科学的根拠を示せ」と言う地方公務員や学校や幼稚園の経営者が後を絶ちません。きわめて悪質なので、役人や教育関係者に「良心」を取り戻すことを求めます。

 

放射線の被曝計算は極めて困難で、「シーベルト(直接、体への影響)」の解釈でも難しいのに、「ベクレル(あるものがだす放射線量に比例する数値)」は専門的知識が必要です。

 

そのために、法律では「原発からの放射線は外部+内部で1年1ミリ」(自然放射線、医療放射線などとは足し算)、「土壌は1平方メートルあたり4万ベクレル」、「1キロ100ベクレル以上のものは低レベル廃棄物」、「食品基準は(おおよそ)1キロ40ベクレル以下」、「水道水は1リットル10ベクレル程度」と数値を決めています。

 

市民や保護者は子どもや家族を守るためにこの数値を示すことです。たとえば、幼稚園の砂場が1キロ500ベクレルとすると、保護者が「その危険性を科学的に示す」という必要は無く、反対に、仮にこの数値でも安全だと考える幼稚園があったら「なぜ、法規の基準より高いのに安全なのか」を幼稚園側が示す必要があります。

 

高速道路の制限速度が80キロの時、80キロ以内なら証明の必要は無く、80キロ以上でも安全というならかなりの資料と説明が必要だということです。間違いないでください。国が法律を守らないからという理由は成立しません。法規は国民同士の約束だからです。国はそれを監視する役割に過ぎません。

 


日本の子どもに贈るもの(3) 核廃棄物

2012年06月08日 | 武田教授
日本の子どもに贈るもの(3) 核廃棄物





日本の大人は、自分たちは原発の電気を使い、電気をおこせば必ず出来る核廃棄物を処理して、しまおうとしていません。なぜ、電気は欲しいのに核廃棄物は知らない顔をしているのかというと、「得はしたいけれど、危ないものは子どもに任せる」ということです。

私がこれまで知っている日本人的な考え方というのは、「命をかけても田畑を守る(たとえ俺は死んでも、子ども達には田畑を残す)」というもので、原発の場合はどちらかというと「核廃棄物は俺が処理するから、子ども達には豊富な電気を」という方向に考えると思います。

長く自民党政権でしたが、その中でも「原発からでる核廃棄物をそのままにして、原発の電気だけもらい、核廃棄物は子ども達の世代に任せる」ということは「反対が多いから」という理由で手がつけられていませんでした。

原発再開問題で、経団連会長(誇り高き日本経済会のトップ)は「電気がいるから再開して欲しい」と言いましたが、核廃棄物には触れませんでした。今までもそうで「電気は欲しいが、核廃棄物は俺たちは知らない」という態度でした。

日本は「政治三流、経済一流」と言われてきました。政治的な力で核廃棄物の貯蔵が出来なくても、経済界が一流なら「政治はどうか知らないが、日本の経済界は原発の電気を使うから、核廃棄物も引きうける」と言わなければならなかったのです。

原発を始めて40年ほど経ち、新しい原発が次々と建設されるなか、「今度、増設するなら核廃棄物の貯蔵所を作ってから」という考え方がまったくだされず、核廃棄物問題が片づかないのは原発反対派のせいとしていたのです。

・・・・・・・・・
今、日本には130万本の使用済み核燃料があります。福島原発4号機に1500本の使用済み核燃料があると言っても、それに比べて約1000倍のものがあちこちにあるのに福島4号機の核廃棄物だけが問題になるのはどうも感心しません。

「見えないから問題にしたくない」、「あれは子ども達の任せたものだ」、「今、俺たちが危険なものだけ問題にする」ということでは無責任です。私たちは「自分たちの安全」より「日本の将来」により多くの関心を持たなければならないと私は思うのです。

このままでは私たちの子どもの時代の日本は、
1)石油、石炭、天然ガスを獲得できない、
2)貧弱な電気量で活動ができない、
3)親の残した核廃棄物が満載、
という状態になるでしょう。何という日本を引き継ごうとしているのでしょうか?

未来はどうしても視野に入りにくいので、普段から「このことは子どもの時代に何をもたらすのか?」を繰り返し考えなければならないと思います。

核廃棄物問題では、「私たちはこれまでの核廃棄物を処理して格納し、今後は電気をもらったら核廃棄物を引き取る」という原則を確認し、まずは東京に核廃棄物貯蔵所を作ることが「原発再開の第一条件」としなければならないでしょう.


原発短信 腐葉土と日本の国土の汚染

2012年06月04日 | 武田教授
原発短信 腐葉土と日本の国土の汚染


セシウム入りの腐葉土が販売されています。読者からの情報では腐葉土で1キログラム200ベクレル程度のものが普通に販売されているようです。1キログラムを1平方メートルに直すとおよそ1万3000ベクレルになりますから、一回限りなら放射線障害防止規則の基準以下になります。

でも、この腐葉土を3回使うと基準値を超えますので、庭に使っている人はこれまでより少なめに腐葉土を使う必要があるでしょう。もともとの土地自体は汚染されていなくても、腐葉土という形で全国で汚染された商品が運搬されますと、少しずつ日本列島が汚染されます。

 

ここで問題なのは、
1)これまでの法律は、大規模な原発事故を想定していないので、繰り返し汚染度の低いものを移動したときの規制がない、
2)学問的にも計算されていない、
3)現在のところ政府は「低線量被曝が全国的に広がった時にどの程度の健康被害が国民にもたらされるか」について全く知見がなく、根拠なく、ただ今の政治をうまく進めるということで「大丈夫」と言っているに過ぎない、
4)政府に追従して「大丈夫」と言っているコメンテーターなども根拠を持っている訳ではない、
5)最終的に健康を害して苦しむのは「大丈夫」を信じた人たち、
ということになります。

 

千葉県柏市の土で1キログラム2567ベクレルが見つかっています。これは1平方メートルあたり約17万ベクレルになり、基準値4万ベクレルの4倍以上に当たります。栃木県那須では2万ベクレル以上のものも出ています。

 

放射線障害防止規則(厚労省、放射線の障害を防止するための国の法規)の第28条に「1平方メートルあたり4万ベクレル以上のところは直ちに東電が除染する」とあります(条文には東電などの字はありませんが)。つまり、国は国民に対して「放射線の障害を防止するために」、公僕である公務員が「土壌を除染する、もしくはさせる義務を負っている」ことを示しています。

 

これらのデータは個人の努力でなされていますが、マスメディアはこれほどのことが起こったのですから、毎日、詳細に汚染状況をレポートして国民に知らせ、国立環境研究所などは、現在の日本の環境問題でもっとも大切な「放射性物質による国土の汚染の拡大とその阻止」について出来るだけ早く、有効な情報の提供をしてもらいたいと希望します。

 

誠実に仕事をすること、それが現在の日本の大人に求められます。

 

 

 

 


国は正しい?? 水俣病と福島原発

2012年05月31日 | 武田教授
国は正しい?? 水俣病と福島原発


水俣病では多くの人が苦しみました。それは「水銀が毒だ」ということが始めてわかったからです。それまでは神社の朱色は硫化水銀、女性のおしろいは酸化水銀、奈良の大仏は水銀アマルガムを使っていました。

 

水銀を工場で使ったのは日本窒素という会社でしたが、もちろん国の許可をえて創業を開始し、社会にも貢献していました。でも、事件が起こると国は責任を逃れ、日本窒素は裁判所から「無過失責任(過失はないけれど責任はある)」という判決を受けました。

 

まさに、何かが起こると「国は正しい、民に罪をかぶせる」ということを裁判所が追認しているのです。操業手順を守り、認可を得て、排水基準を守っていた日本窒素は残念だった出しょう。もちろん日本窒素にも若干の問題点はありましたが、「国が正しい」ということを前提としているので、責任を一手にかぶったのです。

 

福島原発も同じでした。東京電力の態度はいただけませんが、「民間の会社に任せておいては危険だから」という理由で「原子力安全委員会」、「原子力保安院」、「原子力安全機構」など公の機関を数多く使い、あたかも「安全は国が責任をもって審査している」ということだったのですが、未だに国は訴えられず、誰も罪に服していません。

 

役人は何をしても罪はない、国の認可は何も認可している訳ではない、でも国の認可を得ないと何も出来ないという社会は間違っています。司法がシッカリしないので、法的に改善されることもないでしょう。私たちがこのことを意識し、日本国の主人として直していくしかないと思います。


原発の再開問題で、誰もが合意できる項目

2012年05月29日 | 武田教授
原発の再開問題で、誰もが合意できる項目





原発の再開問題を「思想の対立」ではなく、民主的手続きに沿って、異論があるのを認め、合意できるところは合意するのが日本国のためによいだろう。次のことは誰でも日本人なら合意できると思う。

 

1.震度7で壊れては困る(地震国に建てる原発の最低条件)、
2.少し高い津波が来たら爆発してもらっては困る(多重防御をする)、
3.原発の電気を受け取るなら、核廃棄物も受け取る(大人なら)、
4.120万本以上の核廃棄物を子ども達に任せたまま原発を再開しない、
5.事故が起こったら発電所から直接消防に連絡する(企業の社会的責任)、
6.事故が起こったらNHKは事実をそのまま報道する、
7.スピーディーなどを隠さない(隠蔽体質を変える具体的システム)、
8.逃げるためのバス、マスク、ヨウ素剤、疎開先の学校を準備する(救命ボート)
9.汚染された農作物などの食材を出荷しない、
10.被曝の限度は法律を守る(法律を隠さない)、


まずこれらを合意し、具体的な議論を専門家で進め、その結果を国民に提示して合意ができるかが「民主的手続き」である。最後は国民投票をして、この困難な問題を解決するのが適当と考える。

 

 

 


保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?!

2012年05月20日 | 武田教授
保安院、必死の抵抗・・・どうしたら原発を危険にするか?!

2006年、原発の地震指針の改定は、原子力安全委員会―基準部会―指針作成委員会 という組織で検討が進んでいた。すでに指針作成委員会では、あまりにいい加減なそれまでの地震指針に対する異議がでて、一人の委員(大学の先生)が委員を辞任していた。

 

私が所属する基準部会に、原案が上がってきたときには審議自体がきわめて異様な雰囲気だった。「この地震指針は何が目的ですか?」という私の質問に担当課長は答えになっていない答えをして時間を稼ぎ、横にいる委員長も十分に言い含められていて、何もいわない。

 

原子力の委員会は原子力基本法で決められているように「自主、民主、公開」の3原則があるので、マスコミが同席している。でも原発は危険だという内容の議論は全く報道されず、最終的な官僚的結論だけが報道される。マスコミ以外の傍聴人はほとんどが原発関係者だから公開の意味を持っていなかった。

 

「民主主義とは勝ち取るものであり、それを維持するには不断の努力がいる」と言われるがまさにその通りで、「お上を信用する」などと言う日本の文化とは今のところ相容れないのである。

 

ともかく、2006年に新しい地震指針を作るに当たって、保安院は「古い地震指針を形式的にだけ改正し、何も変わらない」というスタンスを取ることに全力を注いだ。そうしないと「これまでの原発は危険だった」と言うことになり、全国に訴訟が起こってそれを止められない・・・「原発が危険なままである」と言うことには役人は責任を追及されないが、「原発の訴訟が頻発する」ことに対しては「管理」を問われるからだ。

 

2006年、保安院が原子力安全委員会に対して「地震指針は変わっていないということで行く」という圧力をかけたことが報道されているが、保安院は終始「原発をいかに危険に保つか」に全力をあげていた。この事件はその一幕に過ぎない。

 

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日本国民はこのことをまだ認めない。理由は「役人は正しいはずだ。日本国のために働いているはずだ」という形式論に縛られているからだ。でも「日本国のために働く」などという役人は100人に1人ぐらいしかいないので、周囲の圧力でつぶされていく。現在、出世している役人は「日本のためより自分の保身」に終始している役人だけである。

 

だから地震指針の改定に当たって、保安院は「安全な地震指針を作りたい」という委員に対して最大限の抵抗をしたのである。それに対して抵抗できなかった東大教授などの主要な学者は目の前に「勲章」がぶら下がっていて、どうにもならない。

 

一般の日本人は定年を控えた東大教授などの主要教授が、やがて70才ぐらいでもらう「天皇陛下」からの勲章のことばかり考えている。勲章は天皇陛下からもらうように錯覚しているが、陛下は決定のご意見を述べられない。すべては官僚が決めるから、官僚に逆らえば勲章はあきらめなければならないのだ。

 

今年から「勲章をもらった人を蔑む」という運動でもすれば、少しは委員会の議論はまともになるだろう。勲章は陛下からいただくものではなくなっているからである。

 

いずれにしても本来原発の安全性を守る一つの組織である保安院が、実体的には「原発を危険に保つ」と言うことに全力を注ぐ姿、それが2006年の地震指針での保安院であった(「原発の安全」を保つのではなく、「危険に保つ」ですから、注意してください)。

 

人間とは恐ろしいもので、原発が安全であることが何よりも大切なのに、「原発が訴訟されることを防ぐ」という目的があると、自分たちが「原発を危険にする」のに躍起になっていることに気がつかず、また気がついても村の中でそれに「おかしい」と声を上げることが出来なくなってしまう。

 

 


若い人も年配者も注意しよう!  論文から見た被曝による発がん

2012年05月20日 | 武田教授
若い人も年配者も注意しよう!  論文から見た被曝による発がん

先日、放射線影響研究所からの最新論文をご紹介しました(第14報)が、すでに第13報でも、「閾値がないこと、直線近似できること、発がん性は若い人が、ガンになる時期は年配者が、危険なこと」が示されています(このブログにも解説をしてありますが、グラフ化した労作もあります(http://blog.livedoor.jp/hardthink/archives/51932680.html)。

 

よく「閾値はみとめられていない」とか「1年100ミリ以下はデータが無い」というのはハッキリとした間違いですから、学者は「低線量の被曝で健康に障害がでるというデータは多いが、私の意見は違う」と学会で述べるにとどめるべきです。医師や資格を持った専門職がそのようなことを言えば、医師は医師免許を、専門家は専門職を辞する必要があるでしょう。これについての理論的なことは小学館でネット放送している「ガリレオ放談」をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

さて、この図は、10才の時に被曝した人が30才までにガンになる確率は、30才の人が50才でガンになる確率の実に5倍という数を示しています。若い人だけが危険ということではありませんが、私たち大人が原発の電気は欲しがったために子どもたちを被曝させ、原発を動かせば必ずでる核廃棄物の貯蔵もせずにそれを「危険だから」という変な理屈で子どもたちに回そうとしています。

 

今回の原発事故をきっかけにして、「大人が責任を回避し、利益だけをとって、後は子どもに任せる」といういつの間にかついた悪い習慣を止めたいものです。若い人が希望に満ちて生活できる社会、それが年配者にも楽しい人生をもたらします。

 

とても悲しいことですが、今のように学問的にも法律的にも許されないことを子どもたちにしていたら、将来、子どもたちは病気になるでしょう。そのときにこれも悲しいことですが、補償問題で裁判になるでしょう。かなり厳しい裁判になると思います。なにしろそのお子さんのガンが福島からの被曝によるものという証明が難しいからです。

 

せめて、そのときのために被曝の履歴や、「被曝しても大丈夫」と発言していた人の記録を取り、個人的にでも賠償を請求するしかないと思います。少なくとも統計的にはガンの発症が増えるでしょうから、大人としてはそれに備えるだけの精神力が求められると思います。

 

悲しい日本になったものです。こんなことを防ぐには線量の高いところの子どもを戦時中と同じように疎開させればすむことですし、原子力の年間予算4500億円でおつりが来ます。大人の決意だけで子どもを守ることが出来るのです。自治体が「大丈夫おじさん」を呼んで住民にさらに被曝させることが続いています。

 

日本のような閉鎖的な社会では自治体が作り上げた雰囲気を壊すと村八分になると思って、子どもを守る行動に出ることが出来ない人も多いのです。今一度、放射線による被曝の病気は「時間がかかる」ということを確認し、1年1ミリが法律の限度、1年1ミリが広島の原爆症の認定基準、1年5ミリが成人男子の白血病の労災認定基準、1年1ミリが電力会社の被曝の内部基準ですから、子どもについては大人は十分に注意してあげたいと思い


原子力、被曝の重要ニュース

2012年05月18日 | 武田教授
原子力、被曝の重要ニュース

1) 原子力委員会の議題が官僚の妨害で議論できず
これは毎日新聞のスクープで、他の新聞やテレビではあまり報道されていませんが、原子力委員会でこれからの原子力の主たる政策を議論するための議題が、「原発再開の妨げになる」という理由で事務方(官僚)がストップをかけて推進派の機関に修正を依頼していました。このようなことを認めていると、完全な官僚支配になります。原子力委員会の委員は首相の任命になるもので、官僚がその上にいるわけではありません。

 

2) 環境省とNHKが中学校で教育??
環境省(大臣官房長)とNHKの撮影部隊が都内の中学校にでむき、「瓦礫を引き受けるか」の教育を担当した。教育は政治と独立であることが日本国憲法の大前提であり、今、政治的に厳しい状態にある瓦礫問題を、一方的な情報をもとに中学生に考えさせるということが起こった。
1キロ100ベクレル以上の瓦礫(焼却後の灰も含む)は「核廃棄物」であり、その説明はされていないと考えられる。NHKも放送するとはとんでもないことだ。

 

3) 南相馬市で規制値の100倍以上の土壌(ほぼ報道されず)
南相馬市の大山さんのブログは個人的にもご連絡をいただいていたのですが、1キログラムあたり550万ベクレルなどの汚染物(土壌と乾燥した藍藻類)が見つかっています。おそらくこれだけではなく、かなり汚染されたものが多く散乱していると思います。線量計でしっかり測定して子どもを守りましょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4) 日本の電気代が高い理由の一つ
大阪市が関西電力から市立科学館の経費73億円の寄付をもらっていた。電気料金の流用にあたり、こんなことをしなくても良いのだから、なにかの目的がある。目的がなくて電気料金を流用するのは犯罪になる。このように「自分の勢力を保つため」にお客さんからの電気料金を目的外に使うので、日本の電気代はアメリカの2倍になる。利用者から「独占で」高い電気代を取り、それをまるで自分たちのお金のように自由に配ることは、今度の原発事故を境に全部、中止してもらいたいし、なにかの法的な措置ができるようにしなければならない。

 

5) 名古屋大学教授が審査直前に1100万円をもらって審査
浜岡原発の防潮堤の安全審査で名大教授が2006年から2008年にわたり中部電力と関係会社から1100万円程度をもらっていた。常識的には審査に当たるときには「審査される会社と利害関係が無い」ことが前提で、最低でも5年は無関係でなければならない。「お金をばらまいて有利な審査をしてもらう」ということが横行しているが、これも法的制限をかける必要がある。

 

6) 個人バッシングがさらに盛んになる
被曝は危険とか、汚染の事実を報じる人への個人的なバッシングが続いている。匿名なので発信元は不明だが、かなり専門的なものもあり、もしかすると関係機関の関与も考えられる。私のブログで三重県の放射線量の増加を書いたら、これもバッシングの対象になっている。多くの人が「バッシング記事」でさらに知ってもらえるので、良いと言えば良いが・・・。誠意のないイヤな社会になったものだ。原子力や被曝を判断できる力のある人が、違法を勧め、遵法をバッシングするのだから。

 


原発推進派も反対派も原発再開に反対なのに・・・

2012年05月01日 | 武田教授
原発推進派も反対派も原発再開に反対なのに・・・





 

原発推進派は何が何でも原発を再開しようとしているように見えますし、反対派は絶対に再開を防ごうとしています。なぜ、「安全でなければダメ」というのはなのに、これほど対立するのでしょうか。
原発推進派: もう一度、事故が起こったら原発は最終的にダメになるから、絶対に安全でなければならない。なぜなら原子力を続けたいから。
原発反対派: もう一度、事故が起こったら原発は最終的にダメになる。絶対に安全でなければならない。もう原子力はやりたくない。

 

どこが違うのでしょうか? 途中までは完全に一緒なのに最初から対立しています。つまり、どちらも原発が安全でなければならないという信念には変わりはありません。そうなると、原発推進派も反対派も再開はイヤなはずです。では、誰が原発を再開しようとしているのでしょうか? 実は、今、原発を再開したいと思っているのは、驚くべきことに原発推進派(原子力の人たち)ではなく、原発には興味がなくお金に興味のある人たちのように感じます。

 

お金に興味のある人たち: 原発が安全かどうかを議論していたら、原発を再開できない。安全かどうかを議論せずに再開すればお金は得られる。事故が起こったらその時はその時だ。原発を止めれば良い、ということですから原子力に信念がない人です。

 

今、議論がややこしくなっているのは、あたかも原発推進派と原発反対派が争っているようにマスコミが見せているからかも知れません。本当の対立構造は、「原発に興味ある人たち」と「原発よりお金に興味ある人」の対立とも思います。また「子供の健康が大切な人」と「自分だけがよければよい」という人の争いとも言えます。

 

すでに原子力委員会が2度にわたって「原発を止めた方が電気代が安くなる」という報告を出していますから(日本の原子力委員会です)、産業界が「原発の電気が欲しい」と言うはずもありません。また思想的に右の論客の多くの人が「原発を止めると日本が弱くなる」というのも原爆を保有したいということ以外は、根拠を持っていません。もし思想的に右の人が原爆を持った方が良いというお考えなら素直にそれを訴えた方が良いと思います。

 

また、ヨーロッパが太陽光発電、風力発電、バイオマスなどをやったおかげで電気代が高くなり、経済的に大きな圧迫を受けていることはよく知られています。また1988年から始まった地球温暖化騒動もその多くが間違いであったことも指摘され始めています。

 

「お金が欲しく、自分だけが良ければ良い」という人の特徴は「原発の電気は欲しいけれど、核廃棄物は引き取らない」というものです。原発を再開したい人はその敷地に原発からもらった電気に相当する核廃棄物を引き取る義務を設けるべきと思います。そうするとその人たちは「自分だけ良ければ良い」ということですから、原発再開に反対するでしょう。

 

ところで、原発の事故が起こった後も、東京の人たちで原発再開を支持している人が多いのはどういうことでしょうか? 俺たちはお金を持っているので、危ない原発は貧乏な新潟県と福島県、核廃棄物の中間処理はこれも貧乏な青森県にということなのに、それを「絆」と言っているのでしょうか? すでに、核廃棄物は発電所を中心にすでに12万本が貯まっているのですが、それは「子供たち、孫たち」に任せるという感じです。

 

原発の電気は自分で作り(多摩川立地)、そこから出る汚いものは自分で処理する(千代田区に核廃棄物貯蔵所)という前提で議論をしなければならないでしょう。そうすれば常識的な答え、つまり「原発はしばらく休止し、今年の夏はなんとか我慢して、石炭や天然ガス火力発電所を緊急に作る」ということになると思います。