さかいほういちのオオサンショウウオ生活

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短編小説 夕焼けマン

2017年11月26日 09時16分46秒 | 小説

夕焼けマン

学校の帰りにいつも通る小高い丘で、僕は突然バッタリと夕焼けマンに出会ってしまった。
夕焼けマンも僕を見て、ギョッとした表情をしていた。

「・・・や・・やぁ・・」
夕焼けマンはドギマギしながら、手を小さく振り僕に挨拶している。
「・・こんにちわ・・」
僕も戸惑いながら、つられて挨拶をしてしまった。

夕焼けマンは、ペンキをタップリ含んだ刷毛で空に色を塗っていた。
ペタペタと、それは凄い勢いで、青い色の空を夕焼けの赤い色に塗り替えている。
僕に突然に発見されてしまったので、今は刷毛を空から外し右手に握ったままブラブラさせている。

「何をやってるのですか、夕焼けマンさん!」
僕は尋ねてみた。
夕焼けマンは、本当にギョッとした顔で僕の顔を見ながら言った・・・・
「な、なぜ、俺の名前を知ってるんだ・・・・??」
男の目がキョロキョロと定まらない感じだった、きっと知られてはいけない事だったのかもしれない。
「あ・・・」と少し間をおいて僕は答えたのだった。
「だって、その服の胸の部分に書いてあるよ・・・」
僕は、男の服を指差しながら言った。
そうなんだ、男の作業着のような服の胸あたりに(夕焼けマン)と書いてあったのだ。
しかも、それは印刷や刺繍のようなカッコイイ文字じゃなくって、自分でペンキで書いた下手糞な手書き文字だ。

「あああ・・・そうかっ!自分で胸に書いてたんだっけ!?」
いやぁ~まいったまいった・・という感じの仕草で、男は自分の頭を掻く真似をしていた。
「・・しかし、人間の少年に会うのは久しぶりだなぁ。」
そうして夕焼けマンは、夕焼け色のペンキのついた刷毛を軽く1回転させた。

怪しい・・怪しすぎる!
胸に書いた文字も怪しいが、こんな時間に空に色を塗ってるなんて。
非常に、大変に、猛烈に、ムチャクチャ怪しい!!
僕は、声をかけたのを少し後悔し、何も言わないようにして少し後ずさりし始めた。
「ああ・・今、君はヤバイ!逃げようと思ってるね・・」
男は、そんに怖がらなくてもいいという風な感じで、ちょっとおどけて言ってみせた。

僕はほんの少しだけだったが、安心した、が、逃げる準備はシッカリしていた。
こうやって、おどけたふりをして、いきなり襲いかかるって事もないとはいえないからね。
「ああああ・・・その目つきは、まだ不気味な」やつと思ってる感じの目だなぁ・・・」
僕の心の中を見透かしたように、夕焼けマンは右目をウィンクさせながら言った。
しかし、夕焼けマンのウィンクは右目を閉じると同時に、左目も少し閉じてしまうのだった。
「あなたは、人の心が読めるのですか?」僕は言ってみた。
「・・いやぁ・・ただ当てずっぽうに言ってみただけさっ!」夕焼けマンは、また両目ウィンクをして僕に言ったのだった。

夕焼けマンはつなぎのズボンに赤いシャツ、髪の毛は長くてバンダナを鉢巻にして頭に巻いている。
そう、それはまるで、昔流行ったフォークシンガーみたいな格好だ。
なんだか知らないが、夕焼けマンは怪しいやつだが悪い奴では無さそうだ。

「どうだい、俺が怪しくない奴だという証拠に、バケツの中のペンキを見てみるかい!」
夕焼けマンが僕に言いながら、大きなバケツの中を見せてくれた。
夕焼けマンが空に塗るペンキは、不思議なペンキだった。
赤い色だと思うと黄色に変わったり、黄色だと思って見てると紫色に変わったりする、つまり一定の色ではなく「夕焼けの色」なのだ。
刷毛についたペンキも空に塗るたびに7色に変化する。
いや、7色どころじゃない、10色にも20色にもみるみる変化していく。

夕焼けマンは、僕に言った。
「こんなペンキ、どこへの店にいったって買えるもんじゃないぜっ!」
かなり自慢げに夕焼けマンは、エッヘンとでも言った感じで胸を張ってみせた。
「ちょっと触ってみてもいいんだぜっ!」
そう言うと、夕焼けマンは僕のほうにバケツを近づけてきた。
僕は、おそるおそるそのバケツに手を突っ込み、ペンキに触ってみた。
少しヒンヤリとして気持ちがいい手触りだ。
夕焼け色のペンキの付いた僕の手は、赤や黄色や朱色や紫色に変化している。
あんまり綺麗な色だから、しばらく何も言わないでジッと見つめていた。

そうすると、夕焼けマンがまた自慢げに言ったのだ。
「どうだい、素敵なペンキだろう。色だけじゃなくって、いい匂いもするんだぜぇ!」
僕にそう言いながら、自分の刷毛についてるペンキの匂いをクンクンと嗅いでいる。
僕も、自分の手に付いたペンキに、鼻を近づけてみた。
いい香りだった・・・春のような匂いだ。
花の香りだとか草の匂いだとか、そんな匂いがフワッと優しくしている。
もう一度、ペンキに鼻を近づけて、匂いを嗅いでみた。
すると、さっきと違って、海の香りや森のさわやかな匂いも、うっすらと匂っていた。

「・・・夕焼けってのは、人の心を優しくしてくれたり、元気ずけたりしてくれるもんさ!」
夕焼けマンは、そう言うと遠くを眺め、フッとため息をついたように見えた。
「哀しい時に夕焼けを見る、楽しいときに夕焼けを見る、恋をしたときも失恋したときも、夕焼けを見る。そんなことばかりしてたら、いつのまにか夕焼けマンになっちまったのさ・・」
聞いてもいないのに夕焼けマンは、僕にそんな経緯を説明してくれた。

「ところで、手に付いたペンキは、どうやって落とすのかなぁ?」
あんまり綺麗だったので気がつかなかったけど、気になるので僕は、夕焼けマンに聞いてみた。
「絶対に落ちない!」夕焼けマンは、きっぱりと言った。
「えぇぇ~!そんなぁ~!」僕は、ちょっと怒ったように叫んでいた。
「いやぁ・・大丈夫、大丈夫。夕焼けの時間が終われば、自然に消えるから。」
ちょっと笑ったように、夕焼けマンは言ったのだった。

「俺の担当は夕焼けだが、夕焼けが終わるころには、星空マンが、星空のペンキを空に塗るよ。」
え~?なんだ、その星空マンってのは?夕焼けマンが、また妙なことを言うもんだから、僕は悩んでしまった。
「そうなんだ、空ってのは、みんな俺の友達がペンキを塗って出来上がってるんだぜ?知ってた?」
夕焼けマンが、またそんな爆弾発言をするので、たまらず僕は叫んでいた。
「そんなこと知るわけ無いよ~!」
そう言いながら、妙に可笑しくなってしまい、笑ってしまっていた。
怪人夕焼けマンも、大きな声で笑っていた。

「青空を塗るのは青空マン、曇りの空は曇りマン、朝焼けを塗るのは朝焼けマンっていうわけさっ!」
外国の映画の人みたいに人差し指を立てておどけてい言うので、また僕たちは笑ってしまった。
「そうそう、朝焼けマンと俺は、けっこうウマが合うんだぜっ!」
両目を閉じてしまう、下手糞なウィンクで、夕焼けマンは僕に向かって言った。
だんだん楽しい気分になってきて、時間も経つのも忘れそうだった。

そんなマッタリした気分でいた時、突然に空の上の方から、大きな大きな声が響いた!
「こらっ~!サボるな夕焼けマン!もう時間が無いぞっ!」
あまりに大きな声だったので、僕は耳をふさいでしまった。
「ああ!すみません親方!」
夕焼けマンは、ビクッとしながら答えている。
「早く夕焼けを塗り終わらないと、星空マンがしびれをきらして待ってるぞ!」
空からの親方の声は、怖そうな声だった。
「ここにいる子供と話こんでしまたっもんで・・・」
決まり悪そうに、夕焼けマンは言い訳している。
「なに!また人間の子供に見つかってしまったのか!不注意にも程があるぞっ!」
たしなめるような口調で、親方の声は響き渡る。
「すいません・・」夕焼けマンは、頭をかいている。

「そこの子供!」低音の響く声で、親方が僕に言った。
「な、なんですか・・・」僕は、怖くなって答えた。
「今日のことは、誰にも話してはいかんぞっ!さもないと・・・」
空の親方が、恐いような声で含んだ話し方で言った。
「さもないと・・・・なにか恐いことがあるんですか・・・」僕は、かなりビビッてしまっていた。
ちょっとだけ間をおいて、親方は言った。
「特に何もない!特に何もない!安心しろ!がっはっはっ・・・!」笑い声が、空中に響き渡った。

夕焼けマンも僕もホッとして、つられて笑ってしまっていた。
わっはっはっ・・と、3人の笑い声が、まだらに塗られてしまった夕焼け空にこだまする。

笑い声がとまったころ僕は言った。
「もうそろそろ帰るよ」
「おお、もうこんな時間になっちまった。親方すみません、今日はこの辺で止めます」夕焼けマンは空の方角に向かって大きな声で叫んだ。
「まぁ、仕方が無い。明日はちゃんと仕事をするんだぞ!」親方は、しょうがないなといった声で夕焼けマンに言った。
そんな二人の会話を聞きながら、僕は夕焼けマンに手を振りながら小高い丘を急いで下りて行った。

夕焼けマンが塗り忘れた、まだらの夕焼けを見上ながら僕は家に帰った。
玄関を開け「ただいま~!」と言うと、お母さんの声が「もうすぐご飯だからね~!」と台所から元気よくした。
僕は、そのまま2階の自分の部屋に行き、窓を開いて、もう無くなりかけの夕焼けを眺めた。
夕焼けマンが手を抜いてしまったので、所々夕焼けだったり青空だったり星空だったり変な空だったが、きれいな夕焼けだった。
そして、僕の手についた夕焼け色のペンキが、赤くなって紫色になって青くなって最後には消えてしまった。
窓の外は、もうすっかり星空マンのペンキ塗りの作業が終わったようだった。

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短編小説 蚊帳の影

2017年11月26日 09時16分38秒 | 小説

蚊帳の影

私が子供の頃、夏になると蚊帳をつって寝たものだ。
蚊帳というのは、麻を網状に編んで部屋につるす、蚊に刺されないための寝具である。
蚊帳をつるすと、見慣れた部屋がどこか別の部屋のような楽しい気分になったものである。
蚊帳には、白い蚊帳と緑色の蚊帳とがあって、白い蚊帳をつるすと高級な旅館に来たような気分になった。
緑色の蚊帳は、どこか森の奥に居るような、深い水の中にいるいような神秘的な心持になったりもした。

夏になると私は、時々蚊帳をつって祖母と一緒に寝ることがあった。

祖母は、幼いころこの家に養女に貰われてきた娘である。
養女に来たころは夏の盛りで、寂しくて蚊帳の中で毎日のように泣いていたらしい。
そんな祖母が養女に来て間もなく、生みの母である曾祖母が亡くなったということである。
その時からである、この蚊帳の北側に人の影のようなものが現れたのは。

私がその影を見たのは、深夜もふけてきたころである。
その影はボヤッとした人型で、ユラユラと揺れているように現れた。
蚊帳の右側から左側へ行き来し、しばらくすると真ん中に座るかのように停止する。
深夜に目が覚めた私は、最初は夢の続きかとも思っていた。
うつらうつらしながら影を見ていたら、祖母が布団から起き上がり、その影に話し出した。

「お母さん、今日も遠路遥々きてくれたんですねぇ」
祖母が影に向かって懐かしそうに話している。
影がうなずいたように見えた。
私には何も聞こえなかったが、祖母が微笑んでいるのは何か声が聞こえるからではないだろうかと、そのとき私は思った。
「寝ているのは、私の孫ですよ、可愛いでしょう」
祖母が私のほうを見たので、びっくりして私は寝たふりをした。
そして祖母がまた影に向かって話し始めた。
昨日の出来事や、私の学校のことや、息子である父のことなど、取り止めも無く話が続いていた。

小1時間も経ったころだろうか、祖母が名残惜しそうに言っている。
「お母さん、また来てくださいね、明日も待ってますよ」
その瞬間に、蚊帳の陰がスゥーッと消えたのを、私は見ていた。
それから祖母は、嬉しそうに布団に入って眠った。
それから、私も眠ったが、不思議な気分は夢の中まで続いて朝を迎えた。
あれは、幼い私の夢だったのか、あるいは祖母の妄想だったのか、数年前に他界した祖母に聞くことはもう出来ない。

今年の夏には、息子と一緒に蚊帳でもつって、祖母の部屋で一晩寝てみるつもりだ。
もし蚊帳に影が映ったなら、話しかけてみようと思っている。


短編小説 記憶屋ジャック

2017年11月26日 09時16分32秒 | 小説

記憶屋ジャック

「ほう、連続女性殺人犯がつかまったのか・・」
記憶屋のジャックは、薄暗い店の奥で新聞を見ながらコーヒーを飲んでいる。
ジャックの商売は、記憶屋という商売だ。

記憶屋は、他人の記憶を売買する商売である。
違法な仕事なのだが、需要が多くあるため、こんな場末のビルで店を出している。
記憶は、ジャックのような記憶屋の特殊な技術によって液体のような物質に還元される。
極細い針を脳に刺し、そこから脳の記憶中枢を刺激し、記憶を吸い取るのだ。
液体に還元された人間の記憶は、色々な色の液体になって瓶の中につめられて売られている。
それら楽しい記憶や悲しい記憶は、色とりどりの瓶につめられ、店の棚いっぱいに並べられていた。

楽しい記憶や快楽を伴う記憶は、高額で売買される。
誰も楽しい記憶など手放したくはないだろうと思うだろうが、そのような記憶を金に変えたい連中も大勢いることもたしかだ。
また、辛い記憶や悲しい記憶を吸い取ってもらいたい人々も大勢いいる。
そんな人たちは、大金をはたいて記憶屋で辛い記憶を消してもらう。

違法だといったのは、他人の記憶は危険でもあるからだ。
他人の記憶を飲むことによって、努力無しに高度な知識を得たり、快楽やスリルを味わったりすることが可能ではある。
しかし、他人の記憶には中毒性があり、他人の記憶を飲みすぎた場合など、自分の記憶か他人の記憶かが分からなくなり、人格が崩壊することある。
そんな危険な薬であるにもかかわらず記憶屋が繁盛しているのは、自分の経験だけでは満足できない人間の業のようなものだろうか。
ある意味、不幸な人間がこの世界には多すぎるともいえるだろう。

「俺がこんな仕事してるのも、不幸な奴がいっぱいいるからさ・・・」
ジャックは、殺人犯逮捕のニュースなど直ぐに忘れ、記憶の調合に勤しんでいる。
記憶液の調合は芸術的センスが要求される。
微妙な色のニュアンスが、記憶の刺激を彩るのだ。
楽しい記憶には、微量な悲しみの記憶を数滴混ぜ込む。
そうすることによって、楽しい記憶がより楽しくなり、記憶のリアリティが倍増するのである。
香水の中に、微量の便の匂いを混合させるのと同じ法則だ。

悲しい記憶ばかり飲む人々もいる。
悲しみ中毒という奴だ。
心に深い傷を負った人々は、幸福になることを極度に恐れ、悲しみの記憶を飲み続ける。
金持ちは、金に飽かして快楽の記憶や楽しい記憶を飲み続ける。
そんな連中は、本当の幸福などとうの昔に忘れしまった奴らだ。

ジャックは、調合した記憶液を瓶につめ、店の棚に並べた。
その時、店のドアを乱暴に開け、よれた皺だらけコートを着た男が突然入ってきた。
「ジャックというのは、あんたか?」
男はぶっきらぼうにジャックに言った。
「ああぁ、そうだけど、あんた誰だい!」
ジャックも負けずにぶっきらぼうに答えた。
「おれか、おれは刑事だ!」
そう言いながら、その男は警察手帳をジャックの目の前に見せた。
「刑事さんか・・・・」ジャックは、無表情に答える。
「ちょっと聞きたい事があるんだが」半分になったタバコに火をつけながら刑事が言う。
「どんなことだい」ジャックは無愛想に言う。

「あんた記憶屋だろう・・・記憶の売買は違法だと知ってるな」刑事が嫌みったらしく言った。
「世の中不幸な奴が多すぎる、記憶屋は必要悪ってやつさ!」強気でジャックが言う。
続けてジャックが言った。
「政治家も、警察の上の連中も、その奥さんたちも、ここのお得意さんだぜっ・・・」
刑事が、タバコの煙にむせながら言った。
「・・・まぁ、今日は記憶薬の取締りってわけじゃぁないんだが・・・」

薄暗い店内に、タバコの薄紫の煙が、切れかけの蛍光灯の下をユラユラと漂っていた。
刑事とジャックの沈黙が気まずさを通り越して、緊張感になっていく。

「最近、この男が店に来なかったかい・・」
刑事がジャックに写真を見せた。
「だれだい、こいつ」
ジャックが写真を見ながら無愛想に言う。
「こいつは、連続女性殺人の犯人とされてる奴さ」
と言う刑事は、ほとんどフィルターだけになったタバコにも気づかない。

「記憶に無いねぇ・・」ジャックが言う。
「記憶屋に記憶がないってか」刑事が苦笑いをして言った。
「奴は、自分が犯人だと言って自首してきたんだが、俺は奴じゃないと睨んでいる」刑事が言う。
「自首してきた奴だろう・・そいつが犯人じゃないのかい?」ジャックが答える。
「自白した殺人の状況も一致しているし、死体も場所もそいつの言った場所に埋めてあった・・」刑事が言う。
「じゃ、間違いないね、そいつだよ、殺人犯は!」ジャックが強く言った。
「こいつは、長年やってきた刑事のカンってやつだが」
そう言いながら、刑事は新しいタバコを口にくわえ、火をつけた。
「カンなんて、あたったためしがないな・・」
ジャックが煙い顔をしながら言う。

「喉が渇いたな・・刑事さんもコーヒー飲まないか?」
ジャックが、店の奥にあったコーヒーメーカーのポットを持ってきて、カップに注いでいる。
「いただこう・・」
刑事が、タバコの火を消しながら、ジャックからコーヒーの入ったカップを貰った。
店の中は、タバコとコーヒーの匂いが咽るように充満している。
グビッとコーヒーを一口飲んだ刑事が言った。
「美味いコーヒーだな・・・」
「特別な高いコーヒーだからさ!」ジャックが言う。
「よほど儲かっているとみえる」
グビグビとカップからコーヒーを飲みながら刑事が嫌味っぽく言った。
「あんたも刑事なんか辞めちゃいなよ!」
ジャックが言った。
刑事の手がプルプルと震えている。
「なんか悪寒がするな、風邪でもひいたか・・」
刑事が言うが早いか、床にドカッ」と倒れこんだ。

「高級なコーヒーなんだよ、それは!」
床に倒れた刑事を見ながらジャックつぶやく。
「そのコーヒーには連続殺人犯の記憶液がタップリ入ってるからな。
人殺しの記憶の入ったコーヒーは美味いだろう・・・」
「あんたはやってもいない殺人の罪悪感で、一生苦しむかもな・・・」
ジャックは、不気味に微笑んだ。

連続殺人の真犯人はジャック!
自分で自分の殺人の記憶を消し、犯人が自分であることも気づかない。
そして吸い取った記憶液を他人に飲ませ、そいつを犯人に仕立て上げる巧妙な罠。
今日もジャックは、穏やかな気分で記憶液を調合している。


短編小説 夢博士

2017年11月26日 09時16分25秒 | 小説

夢博士

優秀な脳外科医である夢野博士の愛すべき妻の咲子が、脳梗塞で昏睡状態になってから数年になる。
愛妻が昏睡状態に陥ってからは、夢野博士の研究対象は「夢」そのものになっていった。
博士は、夢の中に入り込む方法を探っているのである。

夢野博士の友人でもある、医師の宮澤の経営する総合病院の一室に、夢野の妻は入院している。
ほぼ毎日のように看病に現れる夢野のことを、友人の宮澤は心配していた。
医師の宮澤は、夢野博士に言った。
「そんなに根をつめると身体に悪いぞ・・」
夢野が答える。
「いや、大丈夫だ、俺のことより妻のことをたのむ」
「言われるまでもなく、最善をつくしているさ」宮澤が言う。
「やはり、咲子はこのままなんだろうか・・」夢野がつぶやく。
「医師としてはっきり言うが、目覚める可能性は低いだろう」つらい口調で宮澤が言う。
無言のままうなずく夢野の表情は暗い。

夢野博士は研究のことを誰にも話してはいなかった。
夢の中に入り込む研究などしていると公表しようのもなら、変人扱いされて学会から抹殺されかねないと思ったからだ。
もう何年にもなるのに、夢の研究はさほどす進んではいなかった。
夢という主観的なものを扱う限り、客観的な数値に置き換えることは困難を極める。

妻の看病をする夢の博士の身体は疲れ切っている。
眠る妻と夢野博士だけになった病室には、静けさだけが漂っていた。
椅子に座っていた夢野博士は、うとうとと眠り込んでいた。

何時間も眠り続けている博士の身体に異変が起こったのは、もう深夜になりかけた頃だった。
椅子に座った博士の身体の一部分が、細い細いまるで釣り糸のような透明な糸状になっていく。
最初は手の部分から、そして腕や胸や頭、そしてついには身体全体が何億何兆もの細い糸になって病室の上を、雲のように漂っていた。

細い細い糸になった博士の身体は、まるで染み込んでゆくように愛する妻の頭に1本1本入っていった。
そして、耳から口から毛穴から、糸状の夢野博士は妻の身体に同化してゆく。

暗い何も無い空間の中を、妻の咲子は彷徨っていた。
それは、まさに何も無い空間の闇であった。
すると時間すらない無の空間に、突然光の条のような何兆もの糸が咲子の身体を包んだかと思うと、咲子は先ほどの暗闇から一瞬に懐かしい我が家に戻っていた。
懐かしい部屋の中にいたのは、あの夢野博士だった。
「あら、あなた、ここは私の家ですわね・・・」
咲子は不思議な感覚に捕らわれながら言った。
「そうだ、あの懐かしい我が家だよ」
夢野博士は続けて言う。
「しかし、本当の我が家ではないんだよ、ここは咲子の夢の中なんだよ」
咲子は状況が飲み込めないまま微笑んでいる。
「お前はもう、目覚めることはないんだよ、ずっと・・・だから私が会いにきたんだ」
「私・・・死んだの?」
「いや、生きている、生きてはいるが永遠の夢の中に封印されてしまったんだよ」
「永遠の夢・・・現実とどう違うの?」
博士は説明するのを止めて、強く強く妻を抱きしめた。


宮澤は警察に捜索願の電話をし終え、夢野咲子の病室へ向かった。
「夢野が愛妻を残して失踪するなんて考えられないんだがなぁ・・」
宮澤医師は、咲子の看病をしている若い看護師に言った。
「事故にでも巻き込まれたのかも・・・」看護師は、言い終えないうち口ごもった。

昏睡状態の咲子の表情は無表情で、ときおり苦痛のようなゆがんだ顔にもなっていたが、今日の表情はまるで幸せそうに眠っているかのようだ。
「先生、なんだか咲子さんの表情が微笑んでいるように見えませんか?」
看護師は、咲子の腕の脈を測りながら言った。
「うん・・なんだか幸福そうな顔だね、今までこんな表情になったことは一度も無いんだが・・」
宮澤は、咲子の顔を見ながら言った。
「夢野博士と一緒に暮らしている夢でも見ているのかしら」
看護師も咲子の顔を見て言った。
「そうかもしれないな・・・きっと、そうだと思うよ」
病室の窓の外に見える山々を見ながら、宮澤はそう願った。