さかいほういちのオオサンショウウオ生活

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昭和30年の路地

2017年11月19日 20時24分21秒 | エッセイ

子供のころ叱られると「川原に捨てるよ」とか言われたものだ。
また、夜遅くまで遊んでいると「子連れにさらわれて、サーカスに売られるよ」と脅かされたりもした。
「子連れ」などという言葉は、もう死語ではあるが、子供を誘拐してサーカスに売るなど、当時もありえない話ではあったが、子供には結構怖い話だった。

街には、戦争で負傷した片目や片腕や片足の男たちが大勢いた。
そんな人の横を歩くときは、結構緊張したものだ。
近所には、黒のアイパッチをした片目の男が住んでいた。
時々すれ違うと、片目でジロリとにらまられいるような気がした。
後に、その人は小学校の同級生の父親で、無口ではあったが怖い人ではないことが判った。
そんな、戦争で負傷した人々を見るたびに、「ああ、子連れとはこんな人のようなものかな?」とか不遜ではあったが、子供心に感じたものだ。

街角には、従軍負傷兵の乞食がアコーディオンを弾きながら、小銭を恵んでもらうのを待っていたりした。
あの人達は、実際に怪我などしていないのだ、とも言われていたが、本当の所はどうなんだろう・・・・

道端には野良犬がたむろし、「犬殺し」がそれらの犬達を追い掛け回し、虚ろな目つきで涎を垂らした狂犬病の犬がうろつくと、家々の玄関は固く閉ざされた。
主人のいない野良犬の目つきは、卑屈であるか凶暴な目つきである。
「犬殺し」がやってくると、街は犬の悲鳴で溢れた。

怪人も野良犬も冒険も謎も絶滅した町には、退屈さだけが残ってしまった。


黄昏色のガラス瓶

2017年11月19日 20時23分26秒 | エッセイ

自宅で髪の毛を適当に散髪するので、もう床屋と言う所には30年近く行っていない。
1回の散髪料が平均2千円として考え、1年に6回床屋に行くとして、1年で1万2千円。
それの30年分として、36万円の家計的経済効果があるはずなんだが・・・・・

床屋の黄昏色のガラス瓶には、髭や顔を剃るための剃刀が入っていたと思うんだが、実際には何が入っていたのか思い出せない。
しかし、黄昏色のガラス瓶の透きとおった青色だけは潜在意識の奥底に鮮明に刻まれている。
あの青色のガラス瓶にはトワイライトそのもが密封されている用に感じる。

青色のガラス製品を見かけると、ついつい買ってしまう。
100円ショップのコップとかお猪口とか・・・・(貧乏人だ)
10年ほど前には、スポーツ飲料のビンが青色のガラス瓶だったので、たいして美味くも無いスポーツドリンクを、ガラス瓶欲しさに結構飲んだ。

自分にとってはかなり高額と思える黄昏色のガラス瓶に入ったエッセンシャル・オイルも、たくさん買ったように記憶している。
あのオイルは、いい香りだった。
特にペパーミントの香りを嗅ぐと、何故か昔を思い出す。
具体的に何かを思い出すというわけではないのだが、何故か「懐かしい」のである。
私の個人的な事柄に関係しているのだろうか、それとも万人に共通のものなのだろうか・・・
臭覚は、生命の生存に直接関わる感覚器官だったので、脳細胞を直接刺激するようだ。
だから、きっと、具体的な事項ではなく漠然な「感じ」として何かが甦ってくるのかもしれない。


エロスな作家?だった頃

2005年11月22日 02時00分55秒 | エッセイ
昔々その昔のことであります。
知人の知人の知人が発行していた、エロス雑誌がありました。
その編集者とは面識もありません。
私が昔1つ小説を書いたものが本になった事を話していたので、その友人は何を勘違いしたのか「小説家の友人が居る」と、その雑誌の関係者に話してしまったのです。
そんな勘違いで、ひとつ小説を書いてくれないか、と頼まれました。
しかも、それは「読者の実体験コーナー」として読ませる、というのです。
ようするに、投稿する人などほとんどいないわけなのでヤラセで小説を書いてくれといったことなのでした。
面白そうだし、原稿用紙1枚1500円の原稿料もくれるというので、ちょっとガンバって書いてみることにしました。
同級生に偶然にバッタリ会ってイタシテしまったとか、ジャズ喫茶で知り合った女子大生とイタシテシマッタとか、有りそうで無さそうで無さそうで有りそうな他愛無いエロスな話を、妄想を取り混ぜて書いていったのです。
結局、5本ほど実話として掲載され、それなりの原稿料もいただきました。
しかし、5本も与太話を書いていると、妙に創作意欲がモリモリと湧いてきて、そんな馬鹿話では満足できないようになってしまったのです。
そんな訳で、超能力が出来る女とか出てきたり、ミステリーっぽくしてみたり、なんだかんだと現実には有り得ないようなシチュエーションになってしまったのです。
当然、それらはボツになり、それ以来依頼はきませんでした。
あのまま、真面目にエロス話を書いていたら、きっと巨匠に・・・なっていたということは無いとおもいます。
ちなみに、そのエロス雑誌もとっくの昔に廃刊になったようです。



まみず山荘

2005年11月19日 23時29分39秒 | エッセイ
岐阜県郡上市高鷲村に、まみず山荘という山小屋があった。
それは雑木林に囲まれて、まるで無何有の里のようにも感じられた。
空は180度空であり、夜空の星は街中の我が家で見る星の百倍は見えた。
そこにはTさんご夫妻が住んでおられ、遊びに行く時など良くしていただいた。
疲れたときや森林浴をしたい時だけでなく、意味も無くよくお邪魔した。
雑木林を散歩すると、秋には茸が採取できた。
流れる小川の水は、そのまま飲むことができた。
まみず山荘にはテレビが無い。
テレビだけではなくラジオさえない。
世俗の情報がないので、まるで縄文時代といってもよい。
1日が24時間に分断されずに、一塊の1日である。
よくお邪魔していた頃の冬は2m近く積雪があり、山荘の入り口へたどり着くのもやっとだった。
きっと、まみず山荘の冬は1週間や1ヶ月を気にしない一塊の冬に違いない。