さかいほういちのオオサンショウウオ生活

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ブルース

2005年11月24日 16時20分40秒 | Weblog

100円ショップで「ブルース」を買いました。

宇宙警備隊の隊長です。

なかな凛凛しい勇士です。

こんな仲間もいるんだ・・・・知らなかった!



嵐を呼ぶ本屋 2

2005年11月23日 00時39分07秒 | 小説
嵐を呼ぶ本屋 2
Nonstop The 本州1/2横断2000Km! 曇りのち宮沢賢治ときどき露天風呂!

唐突に、その電話は繋ってきた。
「こんど、青森の六ヶ所村で命の祭りがあるんだけど、行かないか?」
飛騨の高山で絵本専門店をやっている中上さんからの電話だった。
「おお、またお祭りコンサートか?」と、俺は答えた。
「六ヶ所村で核廃棄施設ができるやろ、それの反対派のライブのようや」
続けて中上さんは言った。
「ほら、あの南正人が主催でやるみたいで、鳥取の大山のコンサートと同じ感じやで」
あの大麻で何度も逮捕され、それでも懲りない自称未来人の南正人は、1970年代から続いているフォークシンガーであり、ヒッピー達の兄貴的存在でもある。
俺は少し沈黙してしまった、なぜかと言えば、それは南正人の主催であるからヒッピー達がワンサカ押しかけて、結構面倒くさいことになりそうだからだ。
そして俺は言った。
「俺の場合はアナーキストなんで、そいう反対とか賛成とかのコンサートは・・・・」
街中の仙人生活推進主義者の俺としては、政治的な行動は極力慎みたいのだ。
ましてや、団体でのシュプレッヒコールやら、著名運動やらは断じて御免蒙りたい。
「あれやで、核反対コンサートやけど、ただの普通のコンサートみたいやで」
中上さんは、たいして気にもならない様子でそう言い、もう行く気でいるようだ。
「う~ん・・・・」俺はしばらく考えたが、行くことに決めた。
プラスマイナスでお祭り野郎の血が騒ぎ、ちょっとだけプラスにメーターが振れたといったところだ。
「おお、そんなら、今度の8月14日の夜に高山まで来てくれんか?」
「そうやな、青森の六ヶ所やったら日本海側を走った方がいいかもな・・・」
結局、そんなこんなで8月14日に六ヶ所で行われる「命の祭り」に参加することになってしまった。
そしてまた、あの温泉付珍道中の始まりとなるだろう。

・・・・・・・・続く・・・・・・・・・・

エロスな作家?だった頃

2005年11月22日 02時00分55秒 | エッセイ
昔々その昔のことであります。
知人の知人の知人が発行していた、エロス雑誌がありました。
その編集者とは面識もありません。
私が昔1つ小説を書いたものが本になった事を話していたので、その友人は何を勘違いしたのか「小説家の友人が居る」と、その雑誌の関係者に話してしまったのです。
そんな勘違いで、ひとつ小説を書いてくれないか、と頼まれました。
しかも、それは「読者の実体験コーナー」として読ませる、というのです。
ようするに、投稿する人などほとんどいないわけなのでヤラセで小説を書いてくれといったことなのでした。
面白そうだし、原稿用紙1枚1500円の原稿料もくれるというので、ちょっとガンバって書いてみることにしました。
同級生に偶然にバッタリ会ってイタシテしまったとか、ジャズ喫茶で知り合った女子大生とイタシテシマッタとか、有りそうで無さそうで無さそうで有りそうな他愛無いエロスな話を、妄想を取り混ぜて書いていったのです。
結局、5本ほど実話として掲載され、それなりの原稿料もいただきました。
しかし、5本も与太話を書いていると、妙に創作意欲がモリモリと湧いてきて、そんな馬鹿話では満足できないようになってしまったのです。
そんな訳で、超能力が出来る女とか出てきたり、ミステリーっぽくしてみたり、なんだかんだと現実には有り得ないようなシチュエーションになってしまったのです。
当然、それらはボツになり、それ以来依頼はきませんでした。
あのまま、真面目にエロス話を書いていたら、きっと巨匠に・・・なっていたということは無いとおもいます。
ちなみに、そのエロス雑誌もとっくの昔に廃刊になったようです。



まみず山荘

2005年11月19日 23時29分39秒 | エッセイ
岐阜県郡上市高鷲村に、まみず山荘という山小屋があった。
それは雑木林に囲まれて、まるで無何有の里のようにも感じられた。
空は180度空であり、夜空の星は街中の我が家で見る星の百倍は見えた。
そこにはTさんご夫妻が住んでおられ、遊びに行く時など良くしていただいた。
疲れたときや森林浴をしたい時だけでなく、意味も無くよくお邪魔した。
雑木林を散歩すると、秋には茸が採取できた。
流れる小川の水は、そのまま飲むことができた。
まみず山荘にはテレビが無い。
テレビだけではなくラジオさえない。
世俗の情報がないので、まるで縄文時代といってもよい。
1日が24時間に分断されずに、一塊の1日である。
よくお邪魔していた頃の冬は2m近く積雪があり、山荘の入り口へたどり着くのもやっとだった。
きっと、まみず山荘の冬は1週間や1ヶ月を気にしない一塊の冬に違いない。



今日の干し柿

2005年11月18日 20時31分20秒 | Weblog
寒くなってきたので干し柿を製作。
去年は青かびにやられ、全滅。
ヒヨドリやネズ公にも齧られ突かれ、悲惨な干し柿。
今年は、キリフキにホワイトリカーを入れ噴霧し、アルコール消毒した。
アルコール分で少しの渋抜きもできたかも。
寒いと甘い干し柿が出来る。
今年は気を入れていくぞっ!