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トマトの呟き!!

写真付きで日記や趣味を書きはじめました。

【野坂昭如さん逝く】

2015年12月16日 | 日記
作家の野坂昭如氏が他界された。一貫して戦争反対を唱えた人でした。戦争の悲惨さを経験した人でないと言えない事がいっぱいあったのです。戦時下の極限状況では人は普通ではなくなります。それを気持ちだけは受け継いで行きたいと思っています。

【東京新聞のコラムを掲載します。】

 野坂昭如さんが、空襲と妹を餓死させた少年時代の体験を基に書いた小説『火垂(ほた)るの墓』。この名作の抜粋を読み、作者の心境を記せ-。野坂さんの娘さんが、学校でそんな課題を出されたことがあったという▼当然ながら娘さんは、父に「正解」を尋ねた。答えは、「あれはまあ、締め切りに追われて、後先なく、書いたんだけどね、特に心境といわれても」。さすがに、奥さんに「もう少し何とかいいようがあるでしょ」と怒られたそうだ▼野坂さんに言わせると、かの名作は「徹頭徹尾自己弁護の小説」なのだという。小説の「兄」は飢えて死にゆく妹のため、自分の指を切って血を飲ませるか肉を食べさせようかとまで考える。しかし、現実の自分は、かみ砕いて妹に与えるつもりの食べ物を、ついのみ込んでしまっていた▼そうして妹が死に、その体を抱き運んだときの思いなど、自分でもとらえがたい。そういう思いは、他人に百分の一も伝えられず、言葉にしたとたん、自己弁護や美化がまじってしまうもの。他人に思いを伝えるというのは、そういう厳しい営みなのだと(『忘れてはイケナイ物語り』光文社)▼野坂さんは『火垂るの墓』を読み返さず、映画化されヒットしても、悲しくなるからと、終わりまで見ることができなかったという▼八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う。


【ブラウザIEの問題】

2015年12月16日 | 日記
昨日、iphoneで新聞記事を読んでいたら、IEが1月12日から最新版のみしか使えなくなるとの事。IPAから発表されている記事でした。IPAは日本の情報系の独立法人だが、まあ情報系に関しては最たるところでしょう。記事によると、最新版を使えば問題ないのです。ここで問題は、企業とか学校がIEを使った検索システムを構築している場合です。簡単に費用の点でシステムアップ出来ない事情があるからです。個人利用者は最新版にアップをお勧めします。 IEの歴史は脆弱性の歴史でもあります。ブラウザは世の中にはいっぱいありますから、それを使えば良いのですが、殆んどの人はOSにプリインストールされているIEを利用しているのが現状みたいです。
かく言う私は、ブラウザはSleipnir派でChromeも利用します。殆んどIEは使いません。問題が多すぎます。ただ年一回の確定申告の時にだけ、ネット申告に利用してます。これも国税がIEだけが推奨にしているからです。2月の申告に使わないといけないでしょうね。

【今日の東京新聞、筆洗】

2015年06月27日 | 日記
東京新聞のコラム筆洗に同感したので、
そのまま、掲載しました。
歴史の教訓が生かされ無いのはなぜでしょうか。


 ある国で、新しい法律がつくられた。「ペット特別措置法」である。茶色以外の犬や猫は飼ってはならぬ。黒い犬も白い猫も「処分」せねばならぬという法律だ▼この法を批判する記事を連日のように載せた新聞は、政府によって廃刊に追い込まれる。残ったのは「茶色新報」なる新聞だけ。そんな状況でも、人は考える。「茶色に守られた安心、それも悪くない」▼茶色は、フランスではナチスや全体主義を思わせる色。かの国で十数年前に出版されて、大反響を呼んだF・パヴロフ氏の短編『茶色の朝』(藤本一勇訳)は、人々が異を唱えることをためらううちに、あらゆるものが一色に染め上げられるさまを淡々と描いた寓話(ぐうわ)だ▼首相に近い自民党の若手議員の会合で「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」との発言があったという。その場で作家の百田尚樹氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と語ったともいう▼沖縄の二紙とは、安保法制などで反対の論陣を張る琉球新報と沖縄タイムスのこと。「茶色新報」や「茶色タイムス」を求めるような人が、この国の権力の中心近くにいるのだとするなら、茶色の寓話も妙に生々しく響く▼パヴロフ氏は執筆の動機をこう語っている。「最初は重大に見えないことが、恐ろしい結果につながり、気付いたときには手遅れになることを知ってほしい」

【民主国家存立危機】

2015年06月14日 | 日記


民主主義国家の大原則は、憲法を頂とした法の支配の下で政治が行われるのが通例です。
最近の日本には、それを軽んずる為政者があまりにも多く、かけ離れた言動が目につきます。政府自身が違憲とし続けてきた集団的自衛権の行使を容認すること自体、丸を三角と言うに等しいのです。
防衛相曰く「現在の憲法をいかに法案に適応させればいいかを議論し、閣議決定した」
憲法に合わせ法案を作るのではなく、その逆だというから、まさ本末転倒である。
批判を浴びて「正確に伝えられなかったので」とこの発言は撤回したものの、一国の大臣が立憲主義を「正確に」理解しているとは言えないのです。これは日本の戦後民主国家存立の危機と言えます。

基本的接客

2015年04月25日 | 日記
今朝の乗り合いワンマンバスでご高齢のお客と運転手とのトラブルに遭遇しました。降車停留所に止まらないと騒いでいる客。降車ボタンは点灯して居らず、押した押さないで口論になりました。客は「降ろさないならお金を払わない! ! 」と怒鳴る始末、そこでバスはバス停を過ぎた所でお客を降車させ「今度からは降車ボタンを押して下さい」となりました。この運転手がもう少し大人の会話を勉強していたらと思いました。
お客さんは認知症の方かとは思いましたが、「降車サインの機械は故障していなかったとは思いますが、押したボタンがたまたま不具合だったのでしょう。申し訳ございません。」の応対で、周りのお客さんにも不快感もなく過ごせたと思います。
バスの運転手さんにこのような接客マナーをバス協会なり会社が接客指導する時代になってきたのではと思いました。

理解困難

2015年04月23日 | 日記
いつの世に人の事情が理解できない人がいる。株価は上がって有頂天になっている政治家やトレーダー。されど格差は広がる。母子家庭の半分の人たちが年収200万円以下なのです。格差是正の対処より、名だけを残したい政治家が海の向こうと、此方側にいるのは残念な事ですね。

「もらい事故」でも賠償義務負う

2015年04月21日 | 日記


13日の福井地裁判決でビックリした。
車同士の事故でセンターラインオーバーの車に責任がある事故で、被害者に損害賠償を求める判決でした。
多分被害者は控訴すると思いますが、如何なる理由があっても、センターラインオーバーは回避できないのですから、加害者責任ですよ。

下記がニュース記事です。

車同士が衝突し、センターラインをはみ出した側の助手席の男性が死亡した事故について、 直進してきた対向車側にも責任があるとして、遺族が対向車側を相手に損害賠償を求めた 。
原島麻由裁判官は「対向車側に過失がないともあるとも認められない」とした上で、 無過失が証明されなければ賠償責任があると定める自動車損害賠償保障法(自賠法)に基づき 「賠償する義務を負う」と認定。
対向車側に4000万円余りの損害賠償を命じた。

遺族側の弁護士によると、同様の事故で直進対向車の責任を認めたのは全国で初めてという。

死亡した男性は自身が所有する車の助手席に乗り、他人に運転させていた。 車の任意保は家族以外の運転者を補償しない契約だったため、 遺族への損害賠償がされない状態だった。 対向車側は一方的に衝突された事故で、責任はないと主張していた。

時間感覚

2015年04月18日 | 日記

人間の感覚では、待ち時間での苛立ち感化は、結構誤魔化されやすいものである。パソコンのブラウザの画面チェンジで、0.001秒かかる性能機と0.01秒の機器との違いは殆ど感じないのです。カップラーメンの3分もじっと待っていると長く感じるが、他の事をしていると直ぐに経過していまう。歩行者用信号機も待ち時間標準機能付きでは、不表示のより短く感じます。人間の時間感覚は、いい加減にできていて丁度良いのでしょう。

死語

2015年04月16日 | 日記

かぐや姫の[神田川]を久しぶりに聞いた。昨今の銭湯減少に歯止めがかからない時代に、また生活スタイルが固形石鹸から液体ソープに様変わりして、「小さな石鹸カタカタ鳴った」の情景をイメージするのはとても難しいですね。
固形石鹸はプラスチックの石鹸箱に入れて使用していました。石鹸が段々小さくなり、銭湯に行く時に石鹸箱の中で石鹸がカタカタ鳴ったものです。
時代の変遷で死語が増えて寂しく思っているのは、年寄りだけなのでしょうか。

【神田川】

貴男はもう忘れたかしら
赤い手拭いマフラーにして
二人で行った横丁の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪がしんまで冷えて
小さな石鹸カタカタ鳴った
貴男は私の体を抱いて
冷たいねって言ったよ
若かったあの頃何も恐く無かった
ただ貴男のやさしさが恐かった

独り言

2015年04月13日 | 日記

今朝の通勤電車でのこと、朝早くて座席は空席が多い状態でした。
私がインナータイプのイヤホンでラジオを聞いていたら、隣席が空きでその隣で大声で文句を言っている人がいました。何の用事かとイヤホンを外して、聞いてみたら。「独り言に答えるな!!」でした。何を言っているのかは不明でしたが、意味不明な言動でした。最近、このような人と多く遭遇する機会があります。精神衛生学では多分、ストレスが溜まっていて、ストレス破棄のために、独り言で解決して心の安寧を得ているのでしょうね。時代の産物とはいえ悲しいことです。