朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

小説感想 信長私記 花村萬月

2022-05-12 10:48:05 | 本 感想
花村萬月さん
信長私記
一巻二巻






魔王、覇王、最凶、敵を
せん滅する、焼き打ち(焼き殺す)、
衆道、使い捨て、合理化、神仏を
屁とも思わない

個人的では
パッと思い浮かべるとこれらが
織田信長のイメージ


一巻は「俺」、二巻も一人称では
あるが「俺」の言葉は一回のみ。
の使用で、信長は進む。

伝記でもない
信長の事実を追うものでもない
無論、史料は丹念に追われている
と思う。

フィクション
そうフィクションですが

終始、一人称で
信長が信長に
語りかけるような述懐、或は日記

そこには
何百年も前に
灰燼となった信長はおらず
いまも、生きてるのではないか
と、感じざるを得ない作品

花村さんの想像力、創造力
をお試しになりたい方が
いらっしゃれば
どうですか?と思ってしまう。




小説感想 「ジニのパズル」 崔実

2022-05-12 09:53:03 | 本 感想
もしも、自分が作品の主人公と
同じような環境、境遇なら
どのように、その時代を感じていただろう。

作者の崔実さん(チェシル)は
1985年生まれの在日コリアン3世
ぼくとは、20年近くの違いが
あるが、同じ3世となる。

小学校まで、日本の学校に通い
中学から東京の十条にある
朝鮮学校に転入する主人公「ジニ」

言葉(朝鮮語)がわからない
団体行動に馴染めない

小学校時代に、かすかに親近感を
持った生徒に
「汚い手で触るな」
と言われ
その意味がわからず
じっと
その手をみつめたジニ。

ジニは言う
(少し長いが引用させていただく)

在日韓国人として生まれて
日本の学校に入学した日から
私たちはある選択をせまられる
ようになった。
それは、とてもシンプルで、
しかし、やり遂げるには、
非常に困難な選択だ。

―誰よりも先に大人になるか、
それとも、
他の子供のように暴れまわるのか。

大人になるのは
周りに合わせて
自我を隠し通しなんでもないように
やり過ごすのか?

暴れまわるのは
暴れまわることで
差別を終わりにするのか?

作品解説の一部によると
革命と救済の物語とある。

そして、ジニは
ここから(この小説から)は
何一つ学ぶものもはないと言う。

政治的主義、主張、はない。
もし、捉えられるなら
こじつけであるが、
金親子への糞野郎
金親子に対する行動であろうか?

優しさに対してジニは言う

―いつか誰かが言っていた。
よく笑う人は、沢山傷ついた人だと。
心から優しい人間は
本当に深い傷を負った人なのだと。
でも、と私は考える。

たくさん傷ついた人間が
数え切れないほどの人たちを
自分以上に傷つけた場合、
それは本当の優しさと言えるのだろうか。
自分の傷を言い訳に
よりによって最も大切な人たちを
傷つけ、騙し、欺き、追いやり、
日の当たらぬ闇の底へ
自ら這いつくばって抜け出すしかない
奥底まで、突き落とした人間。
それが私だ。
これは、そんな私の物語だ。

ぼくが、作者の分身である
ジニに共振した部分を引用させて頂いた。


そして、ぼくのはるか昔、
日本の高校に通っていたころ
鴻池新田駅の近くで
朝高生(朝鮮学校生徒)に
「こら、チョッパリ(日本人に対する蔑称)」と、罵倒を受け、ボコボコの
どつきあいをしたことも蘇る。

ぼくは、
その時、「俺はチョッパリちゃう!!
お前らと同じ民族や!!」
と言えなかったのだ。

「訛り」

2022-05-03 11:33:31 | 日記
「こわん、たべた?」(ごはん食べた?)

「おかさん、おる?」(お母さんいてる?)

「とんかす、ふたつ、ちよといちばまわしてきます」
(トンカツ二つ、できるまで市場行ってきます)

年が寄ったのか、最近
夜中に目覚めたとき
銭湯で独りぼぅっとしているとき
よく一世達を思い出す。

冒頭の言葉は
その一世達の訛りとなる。

「ご」、小さい「っ」、おかあさんの
「あ」は伸ばす音
これらは半可な日本語となる。

生きることに、いっぱいいっぱいで
文字や文法を教わる、よすががなく
稀に達者な日本語を使う一世もいたが
ぼくの周りはキツい「訛り」を
持った一世達が多かった。

本国の韓国での「ごはん食べた?」は
おはようやこんにちは、こんばんはの
挨拶代わりにも使われますが、
在日文化?
うん。在日文化かな🤔
の「こわん、たべた?」は
年長者が年下の
「子、孫、従兄弟」に向けての
いたわりとねぎらいの意味合いが
強い。

いまのように、娯楽が多岐に渡り
それなりに選択肢を持って
楽しみを持つ世代ではなかった。

まず、その日の糧を食いつなぐのが
精一杯となる、猥雑とした
雑踏の中の日常での我が一世達の
楽しみは
男では、酒、博奕
女では、石臼のような骨盤に
その子らをぶらさげの井戸端会議
そして、何のためにこんなになけなし
の、金をはたいて、行うのかと
思った「チェサ」(祭祀)だった。

正月、お盆、先祖の命日
正月、お盆は新暦、旧暦で行い
各2度ずつ行う

普段顔を合わす事が稀な親戚が
銘々、仕事帰りに集まる。
現代、韓国でも行うことが少なくなって
きた、旧習の伝統を頑なに守る。

男達は、チェサ(祭祀)の拝礼を
取り仕切るだけで、拝礼が終われば
供物のおさがりを肴に
たらふく酒を喰らう。

女性陣
幾日も前から、チェサの供物の
買い出しをして
当日は、朝から夜中まで
調理、準備に大わらわで、息つく暇も
ない。

が、
ハルモニ、コモニ、イモニ
(おばあさん)、(父方の叔母)、(母方の伯母)達は楽しそうだった。

磊落で、あけぴろっげで、
お人好しで、騙されたことが多く
哀号を奏で、わいわいわちゃわちゃと
料理(供物)の調理をしていた。

そんな一世の女性陣は
必ず、開口一番「こわんたべた?」と
聞いてくれた。

空腹の辛さをその身を通して
体感した彼女達の
いたわりの言葉だ。

韓服を着て、韓式の女性の正座である
片膝を立てて、調理した
先祖、供養者にまず、与えるべき
食べ物を
屈託のない笑顔(その目尻は笑い皺と人生の皺が刻まれていた)と
家庭内労働で、節が曲がり
やっとこのような手で
「こわん(ごはん)、食べなさい」と
与えてくれたものだ。

そんな一世達は
今ではことごとく、世を去った。
二世である、ぼくの父親、叔父も
早くにあの世へ向かった。

家系は全く興味はないが
気づくと、唯一の男子となった。

娘は言う
「父ちゃん、なんで、毎回話の出鼻が
ごはん食べた?」って言うん?

えっ?そうかな

勝手な思い込みであるが
もし、そうなら
心優しく、逞しく、生きるを
具現した
一世達が後ろから見守ってくれてる
のかなとも思う。

そんな、在日を生きるでいいよなとも。