朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

「訛り」

2022-05-03 11:33:31 | 日記
「こわん、たべた?」(ごはん食べた?)

「おかさん、おる?」(お母さんいてる?)

「とんかす、ふたつ、ちよといちばまわしてきます」
(トンカツ二つ、できるまで市場行ってきます)

年が寄ったのか、最近
夜中に目覚めたとき
銭湯で独りぼぅっとしているとき
よく一世達を思い出す。

冒頭の言葉は
その一世達の訛りとなる。

「ご」、小さい「っ」、おかあさんの
「あ」は伸ばす音
これらは半可な日本語となる。

生きることに、いっぱいいっぱいで
文字や文法を教わる、よすががなく
稀に達者な日本語を使う一世もいたが
ぼくの周りはキツい「訛り」を
持った一世達が多かった。

本国の韓国での「ごはん食べた?」は
おはようやこんにちは、こんばんはの
挨拶代わりにも使われますが、
在日文化?
うん。在日文化かな🤔
の「こわん、たべた?」は
年長者が年下の
「子、孫、従兄弟」に向けての
いたわりとねぎらいの意味合いが
強い。

いまのように、娯楽が多岐に渡り
それなりに選択肢を持って
楽しみを持つ世代ではなかった。

まず、その日の糧を食いつなぐのが
精一杯となる、猥雑とした
雑踏の中の日常での我が一世達の
楽しみは
男では、酒、博奕
女では、石臼のような骨盤に
その子らをぶらさげの井戸端会議
そして、何のためにこんなになけなし
の、金をはたいて、行うのかと
思った「チェサ」(祭祀)だった。

正月、お盆、先祖の命日
正月、お盆は新暦、旧暦で行い
各2度ずつ行う

普段顔を合わす事が稀な親戚が
銘々、仕事帰りに集まる。
現代、韓国でも行うことが少なくなって
きた、旧習の伝統を頑なに守る。

男達は、チェサ(祭祀)の拝礼を
取り仕切るだけで、拝礼が終われば
供物のおさがりを肴に
たらふく酒を喰らう。

女性陣
幾日も前から、チェサの供物の
買い出しをして
当日は、朝から夜中まで
調理、準備に大わらわで、息つく暇も
ない。

が、
ハルモニ、コモニ、イモニ
(おばあさん)、(父方の叔母)、(母方の伯母)達は楽しそうだった。

磊落で、あけぴろっげで、
お人好しで、騙されたことが多く
哀号を奏で、わいわいわちゃわちゃと
料理(供物)の調理をしていた。

そんな一世の女性陣は
必ず、開口一番「こわんたべた?」と
聞いてくれた。

空腹の辛さをその身を通して
体感した彼女達の
いたわりの言葉だ。

韓服を着て、韓式の女性の正座である
片膝を立てて、調理した
先祖、供養者にまず、与えるべき
食べ物を
屈託のない笑顔(その目尻は笑い皺と人生の皺が刻まれていた)と
家庭内労働で、節が曲がり
やっとこのような手で
「こわん(ごはん)、食べなさい」と
与えてくれたものだ。

そんな一世達は
今ではことごとく、世を去った。
二世である、ぼくの父親、叔父も
早くにあの世へ向かった。

家系は全く興味はないが
気づくと、唯一の男子となった。

娘は言う
「父ちゃん、なんで、毎回話の出鼻が
ごはん食べた?」って言うん?

えっ?そうかな

勝手な思い込みであるが
もし、そうなら
心優しく、逞しく、生きるを
具現した
一世達が後ろから見守ってくれてる
のかなとも思う。

そんな、在日を生きるでいいよなとも。