ドラゴン・ウッド

ブログをおおいに楽しみます。

♪美術館とワサビ田・・・♪

2012-09-30 17:32:50 | Weblog





赤そば畑を後にして安曇野へ行きました。

碌山美術館
日本近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(1879-1910
現安曇野市穂高の農家の五男として生まれる)
碌山の作品と資料を保存して一般公開している。
碌山と関係の深い芸術家たちの作品も
蒐集保存している。

碌山美術館は荻原守衛(碌山)の作品と資料を公開するにあたって
1958年(昭和33年)30万人の寄付と多くの支援によって誕生したそうです。







大王わさび農場

安曇野の用水路(蓼川)の清水でクリアボート遊びをする人たち



大王わさび農場
夏の強い日差しで葉が色やけしないように
ワサビ田全体が黒い布(寒冷紗)で覆われています。
隙間から撮る






道祖神














♪赤そばの里へ・・・♪

2012-09-28 11:39:49 | Weblog








信州伊那谷箕輪町の赤そばの里へお友達と行ってきました。
信州伊那高原標高900mの4.2haのそば畑では
赤そばの花が見ごろを迎えて赤い絨毯を敷きつめたようでした。
4.2haは東京ドーム程の広さです。

ヒマラヤから持ち帰った赤いソバの実は品種改良され「高嶺ルビー」と名付けられた。









































♪嵯峨野へ(その2)・・・♪

2012-09-23 14:34:57 | Weblog


嵯峨野から嵐山へ


愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
愛宕念仏寺は稱徳天皇(764-770)の開基により
山城国愛宕郡に愛宕寺として建立された。
平安朝の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、天台宗の僧、
阿闍梨伝燈大法師千観内供(918-984)によって再興された。
これより天台宗比叡山野の末寺となり等覚山愛宕院と号した。
また千観は生涯仏名を唱えて絶えることがなかったので、世に念仏上人と言われ
当時を愛宕念仏寺と称するようになった。
それから後、大正11年堂宇の保存とあたご山の
信仰的な関係で現在の地に移築された。(パンフレットより引用)







三宝の鐘







ふれ愛観音堂と羅漢

千二百羅漢
お寺の復興のため昭和56年から10年間、1200人の一般の
参拝者自身の手によって彫られた羅漢。





本堂


あだしの念仏寺の竹の小径







天龍寺の北側から野宮神社への竹林の道





後ろ姿の舞妓さんですが・・・舞妓体験?



保津川下りの船

楽しい京都の旅は終わりです。










♪嵯峨野へ(その1)…♪

2012-09-21 17:48:26 | Weblog




嵐山から足を伸ばして、
茅葺きの民家が立ち並ぶ嵯峨鳥居本へお友達と行ってきました。
嵐山から少し離れていますので、ゆっくりと写真が撮れました。



一の鳥居















「人気大よせ」が飾られていました



鮎料理は次回にして
志んこ(米粉で作る)と抹茶と桜湯のセットで一服しました







クロアゲハ

(撮影 9月15日)


次は愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)へ




 


♪天生湿原へ(その1)…♪

2012-09-13 17:50:14 | Weblog





昨日、お友達に天生湿原へ連れて行ってもらいました。
夏休みが終わり訪れる人たちがなくひっそりとしていました。

貸し切り状態で天生の大自然を満喫することが出来ました。


途中、ひるがの高原SAでコーヒータイムをしました
大日ヶ岳



天生湿原



ツタウルシの紅葉が始まっていました



ミゾソバ?



カツラ門



カツラの葉っぱ



ミズバショウの群生地ではサラシナショウマが群生していました



トチの巨木



ブナの原生林



ブナの巨木







次回は天生の花をアップします。










♪ホシホウジャクとチョウ四種・・・♪

2012-09-06 20:53:00 | Weblog





バス通りの歩道沿いに植えられている
アベリアや雑草にに色々なチョウが蜜を求めて来ています。


オオスカシバ大透翅)がの一種 
ホシホウジャク(星蜂雀)






ツマグロヒョウモン ♂

口吻がクルクル巻いているのがみえますか?







ベニシジミ



チャバネセセリ



チャバネセセリ



イチモンジセセリ