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回勅フマネヴィテの誤謬を指摘したオッタビアーニ枢機卿

2010-12-31 | P6 パウロⅥ世
10。 以上の理由から、夫婦愛は配偶者が自分たちに託された責任産児の使命を完全に意識していることを要求します。現代社会が責任産児を要請するのは正しいことですが、これは正しく理解されなければなりません。従って、わたしたちは産児にまつわる正当で、相互に関連する種々の次元をここで考察しなければなりません。

もしわたしたちがまず生物学的過程を考察するなら、責任産児が意味するのはこれらの過程に関連のある責任を知り、大切にするということです。理性は人間に属する生殖力に関する法則を発見しています。

それ故に、もしわたしたちが魂に備わる生来の衝動と傾向に目を向けるなら、責任産児は魂に備わるこれらの衝動と傾向を、理性と意志が支配する必要を明らかに示しています。

もし、さらに肉体的、経済的、心理的、社会的条件にまで目を向けるなら、賢明に考察し、寛大に多子家庭を選択する人々は責任産児の義務を果たしています。また重大な理由があって、道徳上の掟を大切にしながらも一定期間もしくは期限を定めることなく、もう一人の子供を妊娠しない選択をする両親にも、責任感があると考えられます。
(パウロ6世 回勅『フマネ・ヴィテ』)
http://japan-lifeissues.net/writers/doc/hv/hv_01humanaevitae-ja1.html

Cardinal Ottaviani expressed grave concerns (regarding Humanae Vitae)"I am not pleased" he said, "with the statement in the text that married couples may determine the number of children they are to have. Never has this been heard of in the Church."
(The Rhine Flows Into The Tiber A History of Vatican II p.269,R. Wiltgen,TAN Books)