この本がもたらしてくれるものは…
神聖と秩序の裏側。すなわち神聖や秩序は、超越的概念などではなく、人間を守り、人生に意味を与えるために、人間によって作られた、天蓋(キャノピー)であるということです。
http://www.ikedahayato.com/20151026/42988045.html
実際、「ブラック企業で毎日残業つづきで、うつ病になりかけてます」なんて人に「置かれた場所で咲きなさい」なんて言えないじゃないですか。本当に死んでしまいますよ。まったく笑えない。
「置かれた場所で咲きなさい」というのは、かなりの度合いで「恵まれた」人にしか「言ってはいけない」言葉です。
弱った人、追い詰められた人にとっては、死に追いやられる可能性のある言葉です。
恵まれた者の責任逃れ
少しうがった言い方をすると、これは「責任逃れ」でもあります。
たとえば、「ブラック企業でうつ病になり、生活に困窮した結果、ホームレスになってしまった若者」に、「置かれた場所で咲きなさい」と言ったって、彼・彼女は多分救われないですよね。
これ、ほとんど「お前の自己責任だ、死ね」と同義じゃないですか。
ちゃんと社会としてすくい上げないと、路上からの脱出もままなりません。置かれた場所から、ぼくらの手で引っ張り上げるべきなんです。
無論、本書がそういう「責任逃れ」の書物だ!と批判しているわけではありませんよ。でも、この言葉は、そういう文脈でも読めてしまうくらい、怖いものなんです。
自分で納得して「置かれた場所で”私”は咲こうと思う」と決意するだけなら無害です。
が、ひとたび他人に対して「お前は、置かれた場所で咲く努力をしろ!」と偉そうに説教するようになると、大きな害悪になります。
実際、大企業のおっさんとか、ブラック企業の社員とか好きそうじゃないですか、この言葉。おー、いやだいやだ。
豊島教会のある信徒の方から森一弘元司教(正確には名誉司教?)の著書「これからの教会のありようを考える」を先日プレゼントされました。その本の最後のほうでセクハラ問題に触れています。「そもそも罪を隠蔽することは、教会の本質ではないはずである」、「その根本的な理由の根は深く、それは、カトリック教会の聖職者たちの、・・・・・すべての権限を委ねられているという自己理解にあるように思われる」と述べていますが、元司教の言う”自己理解”とは”傲慢”に他ならないということでしょう。それでも元司教自ら一般論として公にセクハラ問題に触れているのにはちょっとびっくりもさせられたものです。
ついでにあとで詳しく触れたいと考えていますが、この著書の内容のなかには大きな誤りと思われる箇所が何箇所かあるような気がします。 森氏にとって教会とは、プロテスタント教会であれ、カトリック教会であれどちらでもよいということなのでしょうか。考え方の発想がカトリック的というよりプロテスタント的に思えることです。たまたま自分は縁があってカトリック教会に籍を置いているということでしょうか。この著作本を読む限り、著者がカトリック教会に籍を置いている理由はなにも見当たらないし、その必要はないと思われます。余計なことですが、ある神父にこの森氏の著書を送り、感想を求めたら、この本は一つもカトリック信仰の役に立たない、と一蹴されました。
森氏の大きな誤りと思われる一つは「わたしが強調したいことは、それがたとえ、教皇から提示されたものであったとしても、うのみすることをせず、自分の良心に誠実に真剣に問いかけるべきだということである」としていることです。
教皇、ローマを批判することはカトリック聖職者として如何なものでしょうか。また別の著書で、バチカンの財宝を売り払って貧しい人々に分かち合えばとの、プロテスタントがよくバチカンを攻撃する、揶揄的な考え方をカトリックの元司教である森氏が述べていることについても、とても異和感を感じるものです。 そのような単純な発想も、文化遺産や世界遺産など、歴史的文化の意義、価値、影響を理解しない森氏独特の価値観、偏見でしょう。歴史から学ぶことの必要性がないということのようですが、如何なものでしょうか。これも余計なことですが森氏がカトリック聖職者になったのは何かの間違いだったような気がします。
・・・けれども、第二ヴァティカン公会議以降、カトリック教会の典礼はまったく新しいものに刷新されました。・・・・ミサの犠牲の性格と合わせて、食事の性格が強調されるようになりました。祭壇は聖堂のまん中に設置され、司祭と会衆がこれを一つに囲むように変えられました。現代のカトリック教会のミサは、祭壇を食卓として皆が囲む姿を表わしています。p86
・・・ともに食卓を囲む人々の交わりということも、ミサの本質に属するものです。p87
・・・プロテスタントの教会では少し違う考え方をします。主の晩餐をとり行うという、その行為をキリスト臨在のシンボルとして重視しますから、パンそれ自体を礼拝の対象にしません。極端に言えば、聖餐式が終われば、余ったパンは捨ててしまってもよい、ということになります。p95
・・・私たちはプロテスタントの聖餐理解から、やはり大切な真理を学びます。聖体への信仰が、聖体をあまりにも即物的に、聖餐式から切り離して、それだけで独立した礼拝の対象にするとすれば、それはやはり偏りと言わざるをえません。・・・昔のカトリックの典礼の中で、聖体賛美式とか聖体行列とかが、ミサとは別に盛大に行われたのは、それぞれ歴史の中の特別な発展過程に由来するのですが、あたかも聖体の礼拝が一番中心で、ミサはその聖体を準備するものであるかのように考えるとすれば、それは行き過ぎと言わざるをえません。p96
百瀬文晃『キリストとその教会』
According to the Cardinal, Freemasonry’s first objective at the Council was to break the Mass by so altering the Catholic Rite as to undermine in the long run the celebrant’s Catholic Intention: “to do what the Church does.” Gradually the Newrite was to induce priests and laity alike to take the Mass rather for a “memorial” or “sacred meal” than for a propitiatory sacrifice.
http://stmarcelinitiative.com/bishops-valid-ii/
カトリック要理は、あくまでもイエズス・キリストの福音を中心にしてなされるべきこと、... 教会の教義や慣習は、... そのすべてが、どの時代、どの民族にも同等にあてはまるというわけではありませんし、同等の比重を持っているわけではありません。... 原点であるイエズス・キリストの福音に帰って、そこからキリスト教信仰にとって本質的なことがら、キリストの教会と信仰生活の核心となることがらを、しっかり把握することではないでしょうか。p390
... だから、テキストとしては、新約聖書、しかも福音書をおいて、より適したものはほかにはありません。p391
... 私がここで解説した内容や取り扱い方は、たぶんに私個人の主観的な信仰理解であることを、私は否定しません。p391
福音を宣べるということで祭り司(つかさ)の任務をはたす。ひつじとかやぎとかを祭壇にささげた旧約の祭司と違います。p279
いずれにせよ、主が制定したものとしてくりかえされることになったものは、食事ではなかった。p24
実際の食事を連想させる「パンを裂くこと」や「主の晩餐」というような名称は、もう使われなくなった。p24
トリエント公会議によれば、主は、自分の十字架上の奉献が、感謝の祭儀で現在化されることを望んだのである。p123
アナムネシス(記念)、エピクレシス(呼びかけ)、エウカリスチア(感謝)、プロスフェラ(奉納)p138
...原則が、トリエント公会議で明文化された。すなわち、ミサのなかで司祭を使ってささげるのは、十字架上でささげている、あのキリストなのである。司祭は聖別のことばを、自分の名においてではなく、キリストの使者として、彼を雇った唯一の大祭司の名において、となえるのである。p158
ふつうミサの目的を語る時、奉献のねらいとして、四つの目標があげられる。礼拝、感謝、嘆願、あがないである。p173
トリエント公会議は、... ミサがあがないというものであることを、つよく弁護した。p173
トリエント公会議は論争の雰囲気のなかで、教会の本質的な遺産を守り、キリスト教生活の刷新をおし進めなければならなかったが、第二バチカン公会議では、そんな雰囲気はもうなかった。いまやミサを守ったり、危険にさらされた立場を強化する必要はなくなった。/公会議が始めた典礼やミサの刷新のねらいは、ただひたすら、ミサの本質的なものをより完全に実現し、その豊かさをよりよく発揮させることにあった。... そこで強調すべき点がはっきりされた。このことで最もはっきりしたのは、豊富になった感謝の祈り(叙唱)と新しい奉献文の式文ではなかろうか。p183
第二バチカン公会議は、中央集権的な拘束と個別の自由との間の、中道路線をとろうとした。... 相当の権限が、司教協議会や司教個人に付与されている(『典礼憲章』22.37-40.57)p281
そういう自由のなかで慣れていくうちに、個々の場所でしっかりした秩序がふたたび出来る... p281
どの感謝の祭儀においても、典礼を担当する人が自由な自発性を発揮して、新しいものを作っていきたいものである。p281
この本は、教会当局から ... 店頭に置かれていたものはみな回収されることになった。p343
この刷新の根底には典礼の考え方自体の変遷があり、その考え方が深められたので具体的な典礼の刷新が可能になったわけです。p11
典礼は神と神の民との出会いであり、対話であり、交わりであると言われています。神から造られた人間が創造主である神に感謝と賛美をささげるために神の民が一つに集まるのです p12
典礼運動は、グワルディディーニ(ドイツ)、ボードウエン(ベルギー・フランス)、パルシュ、ユングマン(オーストリア)などの努力によって、司牧的な典礼と教会刷新の運動に展開していきました。この運動を学問的、神学的に支えたのは、ローマのカタコンベの発見などによるキリスト教考古学をはじめ、ドイツやフランスの典礼史及び典礼神学の広範にわたる研究が大きな力になったようです。・・・さらに神学的には、オード・カーゼルの「秘儀と秘義」(・・・)によって始まった神秘神学が新しい教会論、秘跡論と典礼神学を生むことになり、第二バチカン公会議の典礼刷新に大きな影響を与えたようです。こうして、いわば、ルブリカ・ミサという固定された典礼(トリエントミサのこと)の状態が続いていた間に、教会の中に典礼と教会を刷新する力が養われ、第二バチカン公会議の典礼憲章となって実を結んだと見ることができるでしょう。p174
確かに第二バチカン公会議のあと、典礼は変わってきました。これは急に変わったようですが、長い間の典礼運動の歴史がその背景にあって実を結んだのです。p215
典礼において絶えず新しい事が試みられることは、「旅する教会」の典礼にとって、ある意味で当然な、その本性から出ることなのです。p242
感謝という意味の「エウカリスティア」というギリシャ語の詞が・・・聖別されたパンとぶどう酒を指す詞にもなってしまいました。p10
現代の教会は古代教会に帰って、聖体の秘跡としての完全な姿は、「感謝の祭儀」であるミサ全体にある、と考えるようになりました。p13
キリストは新約の唯一完全な大祭司として、預言者でも王でもあり、キリスト者となった私たちは、皆が例外なくその使命に与っています。p22
ミサ全体は、キリスト者の聖なる民が主の過越を記念してささげる共同の信仰行為であり、これによってキリスト者は、互いに祭司の務めを果たし合っているのです。p22
祭司の民がいなければ、司祭はミサを司式することができないほど、司祭の務めは祭司の民に依存しているのです。p25
・・・典礼の場は、・・・礼拝なのです。その中心には、復活されたキリストが奉仕者として立っておられ、p29
祭司の民である会衆は、全員が聖なる民としての典礼奉仕者 p31
みんなのミサ・私のミサ・いつも新しいミサ ミサは共同体の祭り、司祭、侍者、信者のみなが主の名においてひとつに集まる祭り。p88
本来ミサは共同体の食事の場で行われました。ミサは司祭一人がささげるものではありません。共同体がささげるものです。p33
教会は神の民であり、典礼は共同体が行うものである、と基本的な軌道修正をしたのが第二バチカン公会議の英断です。p38
司祭がささげるミサに信者が与るのではありません。キリストと結ばれた共同体がささげるのであり、司祭も共同体の一員として、司式者として共同体のミサに奉仕します。決して司祭のミサではありません。p39
...あの不思議なことばを言うと聖変化が起こる、と。これではまるで魔術で、...p58
「共同体の変化」それこそが本物の秘跡なのです。p60
祭壇の上でいくらパンがキリストのからだになっても、それを見ている私たちが何も変わらなかったら、それは秘跡ではありません。p60
「聖別のことば」について、多くの典礼学者は、奉献文全体が聖別のことばである、と言って、ただ「わたしのからだである、血である」という即物的な考えは退けています。p61
私たちはミサという具体的な形でイエスの記憶を共同体の記憶として保ち伝えていくのです。p85
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私は、33~4歳の頃から典礼委員会で働いています。最初はワープロもない、すべて手書きの原稿の時代でした。幸い典礼委員会は、委員長に長江司教様(当時の浦和教区)がおられ、イエズス会の土屋、サレジオ会の中垣神父様方がおられました。そういう意味で当初の典礼委員会は神様がそろえてくださったのだと感じています。
長江司教様のことを知っている方が少なくなって来ていますので、お伝えしたいと思います。そもそも日本の神学院は、カンドウ神父様が始められました。彼は日本の司祭は、日本で養成しなければならないと思われていたのです。そのために日本人の教授を用意しなければならない、そこで何人かの神学生がローマに送られました。長江司教様もその一人でした。
バチカン公会議後の典礼神学の特長は、典礼を通して神様の救いの働きが現在のものとなるという観点だと思います。典礼はシンボル、しるし、言葉、動作、音楽、建物などいろいろな要素の集大成で、そこに信者の共同体があり、それらの集大成を通してキリストの神秘、救いの働きが現在のものとなるのです。2000年前のイエス様の死と復活が、救いの恵みとして、現在に現れているのです。そのすごい現実をどのようにして表すかということです。まだまだ、今の日本の典礼は、ラテン語からの翻訳の典礼なのです。もうそろそろ、翻訳の世界を抜け出して創造の世界に入らなければならないと思います。
http://c-v-team.com/B01_syoumeiwoikiru/B01_06a.html
禁書目録はカトリック信徒の多い国家ではそれなりの影響力をもっていたため、東はポーランドから西はケベックまで出版物が盛んに流通する大都市を除けば、禁書目録に載っている本が見られることはあまりなかった。禁書目録が公式に廃止されるのは1966年6月14日の教理省宣言(AAS 58, p.445)および同年11月15日の同省教令(同 p.1186)によってである. 時あたかも第2バチカン公会議が行われるなか、カトリック教会に残っていた多くの形式的習慣が廃止されたが、とくに1966年の11月の教令は、禁書目録規定違反が1917年教会法典2318条に謂わゆる「破門」の効果を有しないことを明言するに至った。しかしながら禁書目録に載るようなカトリック信仰を危うくする書物を積極的に読むことが推奨されているわけではなく、1975年3月19日の教令(AAS 67, pp.281-284)によって、1917年教会法典の禁書の条項が刷新され、現行の1983年の新教会法典第822条乃至第832条に明文化されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E6%9B%B8%E7%9B%AE%E9%8C%B2