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パウロ6世 花の中の花

2018-12-31 | P6 パウロⅥ世

マリオーネ枢機卿が第二次世界大戦中の1944年に死去すると、国務長官の代行としてモンティーニとドメニコ・タルディーニイタリア語版が任じられ、反ドイツレジスタンスの保護に尽力する。

1953年には要職であるミラノ大司教に任じられた。通常は枢機卿へのステップとみなされる地位であったが、彼の権勢を嫌ったピウス12世はモンティーニには枢機卿職を与えなかった(彼はピウス12世の有力な後継者とみられていた)[注釈 1]。ピウス12世が亡くなってヨハネ23世が教皇職につくと、すぐさまモンティーニは枢機卿に任命された

モンティーニはヨハネ23世のよき協力者として第2バチカン公会議の運営を行った。ヨハネ23世が会期途中で死去すると、モンティーニは教皇に選ばれ、「パウロ6世」を名乗った。

パウロ6世は自らの教皇冠をアメリカワシントンD.C.にある無原罪の御宿りの聖母教会に寄贈した。ちなみにパウロ6世が最後に教皇冠を受けた教皇となった。次の教皇ヨハネ・パウロ1世は戴冠式を拒否して就任式に変更し、以後の教皇もそれに倣っているためである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD6%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)


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