オランダ改革派教会教書 『カトリックとプロテスタント その信仰の根本的相違』 1959
迷信・形式固守主義・司祭政治・不寛容・意識的な孤立・勢力拡大への意欲しかこの教会(カトリック)に見出せないのです。p15
ローマ教会は、トリエントの教会会議(一五四五-一五六三年)でおおくの訂正をしたと、反駁することができましょう。しかし、ローマ教会は、そうしたために、独自の道を放棄しなかったばかりか、かえってそれまでより一層忠実にみずからの道にとどまったことが明らかです。そして、みずからそれを明らかに証明しているのです。ローマ教会の教義と宗教改革のそれとのあいだの深淵は、埋められるどころか、そのときいらい絶えず深められてきました。ローマ教会が世界教会会議への参加を拒否しているのは、教義上の権威と教皇の裁治権に無条件で服従することによってのみ、教会の統一を認めているからです。p15
ローマ教会は、宗教改革が教会の全体から聖書を離したこと、聖書を一般信者の手に渡し、それを自由に考察させ、教会と比較させたことなどを批難します。この結果、聖書の矛盾した解釈が生じ、また教会の分裂がたえず行われることとなったことを、ローマ教会は指摘します。p126
ローマ教会は、宗教改革の表現、すなわち「キリストのみ」「恩恵のみ」「信仰によってのみ」恩恵かあるいは人間の協働か、ただ信仰のみによるのかあるいは善行によるのか、などを排他主義とみなします。ローマ教会は、この二者択一に対して、「あれもこれも」を以て接します。ローマ教会は、宗教改革の排他主義に対してかれらの普遍主義を以て接するのです。ゆえにローマ教会は、カトリックの普遍主義にふたたび帰れとわれわれを招きます。p135
カトリック信仰の特色は、人間のわざの重視である。たとえば、「信者は救われるために善行を獲得しなければならぬ」、「秘蹟は司祭の意のままになる」、「司祭は人を赦す人間であり、司祭のためにゴルゴダの犠牲がわれわれにもたらされる」、「位階制度はひとびとを精神的に支配し、この世のひとびととその魂とを救う媒介者となっている」、「聖人はわれわれのためにとりなしてくれる」、「イエスの母は罪のあがないに協力した」・・・など。これらの点に対して、ルターやカルヴァンが疑問を投じたのであった。p155
迷信・形式固守主義・司祭政治・不寛容・意識的な孤立・勢力拡大への意欲しかこの教会(カトリック)に見出せないのです。p15
ローマ教会は、トリエントの教会会議(一五四五-一五六三年)でおおくの訂正をしたと、反駁することができましょう。しかし、ローマ教会は、そうしたために、独自の道を放棄しなかったばかりか、かえってそれまでより一層忠実にみずからの道にとどまったことが明らかです。そして、みずからそれを明らかに証明しているのです。ローマ教会の教義と宗教改革のそれとのあいだの深淵は、埋められるどころか、そのときいらい絶えず深められてきました。ローマ教会が世界教会会議への参加を拒否しているのは、教義上の権威と教皇の裁治権に無条件で服従することによってのみ、教会の統一を認めているからです。p15
ローマ教会は、宗教改革が教会の全体から聖書を離したこと、聖書を一般信者の手に渡し、それを自由に考察させ、教会と比較させたことなどを批難します。この結果、聖書の矛盾した解釈が生じ、また教会の分裂がたえず行われることとなったことを、ローマ教会は指摘します。p126
ローマ教会は、宗教改革の表現、すなわち「キリストのみ」「恩恵のみ」「信仰によってのみ」恩恵かあるいは人間の協働か、ただ信仰のみによるのかあるいは善行によるのか、などを排他主義とみなします。ローマ教会は、この二者択一に対して、「あれもこれも」を以て接します。ローマ教会は、宗教改革の排他主義に対してかれらの普遍主義を以て接するのです。ゆえにローマ教会は、カトリックの普遍主義にふたたび帰れとわれわれを招きます。p135
カトリック信仰の特色は、人間のわざの重視である。たとえば、「信者は救われるために善行を獲得しなければならぬ」、「秘蹟は司祭の意のままになる」、「司祭は人を赦す人間であり、司祭のためにゴルゴダの犠牲がわれわれにもたらされる」、「位階制度はひとびとを精神的に支配し、この世のひとびととその魂とを救う媒介者となっている」、「聖人はわれわれのためにとりなしてくれる」、「イエスの母は罪のあがないに協力した」・・・など。これらの点に対して、ルターやカルヴァンが疑問を投じたのであった。p155