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カトリック情報

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パレストリーナとトリエント公会議 パレストリーナは公会議に妥協したわけではなく、公会議も音楽を制限したわけではなかった。グレゴリオ聖歌を基盤とすることで共存していた 

2019-12-25 | 音楽

教皇マルチェルスのミサ曲」は、パレストリーナの最も重要な作品の一つである。6声部のために書かれ、1565年6月19日に、カトリック教義における音楽の位置づけを話し合うトレント公会議に臨席の教父らの面前で歌われた曲と伝えられる[6]。この曲は、トレント公会議にまつわる事実と異なるストーリーに、歴史的に結び付けられてきた。ハンス・プフィッツナー歌劇『パレストリーナ』も下敷きにしたことで有名なそのストーリーとは「このミサ曲は、トレント公会議の面々に、宗教曲の歌詞にポリフォニーを適用することを厳しく禁じる必要がないことを訴えるために作曲されたものだ」というストーリーである[7]パレストリーナは改革された教義にうまく適合し、簡潔なポリフォニー様式による宗教的な語法の一例を提供しようとした、と従来信じられてきた。また、パレストリーナが受け容れたトレント公会議により定められた改革とは、歌詞が明瞭に聞き取れるように、また、テクストに密接に結びついた音楽となるようにするというものである。これは、会議でカルロ・ボッロメーオヴィテロッツォ・ヴィテッリの両枢機卿が教皇の教会の地位を調整するために再び会った際にそのように望んだ、とされる[8]

しかしながら、近年の研究者により、このミサ曲が実はポリフォニーへの制限を議論するために会合を開くより前、おそらくは10年近く前に作曲されたことが証明されるようになった[7]。また、トレント公会議の史料によれば、教会音楽に実際に何か制限を加えたり、この件に関して公式な見解や規範作りを行ったりはできなかったことが判明した。上述のストーリーは、会議の議題に関与していない者に自分の考えを話した会議の出席者が何人かおり、そのような出席者の非公式見解から作り上げられたものである。このような意見や噂話は、何世紀もの間、フィクションの中で取り上げられ、紙に印刷された結果、歴史的事実として誤って人口に膾炙してしまった。パレストリーナ自身の作曲意図は不明であるが、彼が歌詞を明瞭に聞き取れる必要性について気になっていた可能性はある。しかしながら、これは対抗宗教改革の方針に従おうとしたものではない[7]。なぜなら、そのような方針は存在しないからである。パレストリーナの特徴的な様式は1560年代から彼が亡くなるまで、首尾一貫している。Roche (1970)は、感情をほとばしらせるような内容のテキストに対しても、パレストリーナが冷静な曲作りをするのは、彼が多くの注文をこなしていた結果か、若しくは、激しい感情表現が教会音楽にふさわしくないという慎重な考えのもとになされた結果であるという仮説を提示するが、確かめられていない[1]

19世紀には、ヴィクトル・ユーゴーや、ある種のロマン主義者が、この時代の作家にはつきものの大げさな表現で、パレストリーナは、キリスト教音楽全体のとは言えなくても、カトリック音楽全体の父であると書いた。20世紀初頭には、ヴァチカン1903年に発したmotu proprioにより、パレストリーナの作品を宗教音楽作品の規範とすることが望ましいとされた。多くの音楽家が、ヴァチカンの意図(若しくはこの発令)が作曲家のロレンツォ・ペロージフランス語版の考えを取り入れて決められたものだと思った。しかし論理的に考えると、この発令は、グレゴリオ聖歌がカトリック教会の中で歌われるべきものであると言っているものであった。パレストリーナは、同時代の他の多くの作曲家がそうであったように、グレゴリオ聖歌の旋律線(トゥヌールフランス語版、例えば「定旋律」)を、多くの音楽作品の基礎に用いていた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A


ミサソレムニス ベートーベンがカトリック信仰に立ち返って作った渾身の最高傑作

2019-12-25 | 音楽

Although others may consider as Ludwig van Betthoven's (1770-1827) greatest work his Eroica Symphony, which introduced the Romantic Period, or his Fifth Symphony with its unforgettable four-note theme, or his Ninth "Choral" Symphony with its memorable "Ode An die Freude," Beethoven himself regarded as his greatest work his Missa Solemnis in D. In the opinion of many, it is second only to Johann Sebastian Bach's High Mass in B-minor.

Curiously, Beethoven admired most highly as the model of true Church music the Renaissance composer, Giovanni Pierluigi da Palestrina (ca. 1525-1594), regarded as the most Catholic of composers. When the Council of Trent (1545-1563) was about to ban polyphonic compositions at Mass in favor of only the Church's own Gregorian Chant, Palestrina composed the Missa Papae Marcelli, whose polyphony was of such beauty that the Sacred Council withdrew consideration of the ban.

http://www.traditio.com/comment/com1912.htm#191227

https://www.youtube.com/watch?v=WFor50sjEaw

https://www.youtube.com/watch?v=BRfF7W4El60