井上としなりさんのライブは、毎回奇想天外で面白い。
阪本正義さま、ゲスト 佐藤GWAN博さま、素晴らしいライブをありがとうございました。
ゲストの佐藤GWAN博さんとは初めてお会いした。
素晴らしい声と言葉とメロディと。
ただただ聞き惚れてしまった。
恥ずかしながら、何の知識もなかった。
しかし、なぜえか名前だけは知っていた。
なぜだろうとずっと考えていた。
サイトであれこれ見ている内に気がづいた。
70’フォークの草分けの1人であられた方だったのだ。
その手の本や雑誌などなど、若い頃読み漁ってた時期があった。
つまり知らず知らずの内に名前を覚えていたのだった。
著名な方である。
桃井かおりや松田優作までもが、GWANさんの曲をカバーしていたのだから。
驚きである。
1stアルバムは、なんと坂本龍一がプロデュースしていた。
歴史的な人物である。
僕にとっての70’フォークとは、中学までのものだった気がする。
高校生になると、僕の興味は、その頃のミュージシャンが影響を受けたという欧米のミュージシャンへと移行していた。
ビートルズであったり、ディランであったりストーンズであったりクラプトンであったり・・・。
僕の中では、日本の70’Sは、遥か彼方のセピアなフィルター越しのものとなっていた。
ガーンと衝撃的であった。
こんなにも素晴らしい音楽をやっているアーティストが日本には、今でもまだたくさんいるということだ。
時代ごとに言葉や表現方法は変わっていく。
だから、今と昔を比較するものでもない。
しかし僕の中で脈々と息づいていた言葉があったことを再確認した。
阪本正義さま、ゲスト 佐藤GWAN博さま、素晴らしいライブをありがとうございました。
ゲストの佐藤GWAN博さんとは初めてお会いした。
素晴らしい声と言葉とメロディと。
ただただ聞き惚れてしまった。
恥ずかしながら、何の知識もなかった。
しかし、なぜえか名前だけは知っていた。
なぜだろうとずっと考えていた。
サイトであれこれ見ている内に気がづいた。
70’フォークの草分けの1人であられた方だったのだ。
その手の本や雑誌などなど、若い頃読み漁ってた時期があった。
つまり知らず知らずの内に名前を覚えていたのだった。
著名な方である。
桃井かおりや松田優作までもが、GWANさんの曲をカバーしていたのだから。
驚きである。
1stアルバムは、なんと坂本龍一がプロデュースしていた。
歴史的な人物である。
僕にとっての70’フォークとは、中学までのものだった気がする。
高校生になると、僕の興味は、その頃のミュージシャンが影響を受けたという欧米のミュージシャンへと移行していた。
ビートルズであったり、ディランであったりストーンズであったりクラプトンであったり・・・。
僕の中では、日本の70’Sは、遥か彼方のセピアなフィルター越しのものとなっていた。
ガーンと衝撃的であった。
こんなにも素晴らしい音楽をやっているアーティストが日本には、今でもまだたくさんいるということだ。
時代ごとに言葉や表現方法は変わっていく。
だから、今と昔を比較するものでもない。
しかし僕の中で脈々と息づいていた言葉があったことを再確認した。