自由と正義のための選択肢

今後の日本の進むべき道を考える政治ブログ

批判 #1834

2021-07-28 22:00:27 | Truths

批判に2種アリ。間違いを指摘する批判とマウントを取るための批判
前者は是正を促す建設的批判。後者は自尊心を満たすためだけの攻撃
抑々、批判は相手の人格を貶めるものでも服従させるものでもない。
加えて、批判のための批判は自己の下劣な人格を吐露するものである。

韓国人の東京五輪批判は正に後者。就中、最悪質の妄想に基づく難癖
奴等の"福島放射能批判"は五輪招致決定以前にまで遡る。
当時から安全上の問題が無いと科学的に証明されていたにも関わらず
事故後10年の今日も「放射能フリー弁当」や「福島産の花束は危険」

奴等の頭は硬化している?脳味噌が腐れてる?倫理観欠如は確かだ。
ローマ法王に「霊的に生まれ変わらなければ」と言わしめた民族
そんなに放射能が怖いなら来なければいい。実際、来てほしくない
周りを不快にするドス黒いオーラで五輪を汚染してほしくない。

一方、日本メディアは戦後一貫して政府に批判的論調を取り続ける。
最初は、敗戦による国民の政府への信頼喪失に同調するものだった。
だが、時が経ち世代も変わり国民の政府への見方も変わりつつある。
メディアだけが"権力チェック"とかで政府にマウントを取り続ける。

"権力チェック"は完全なマヤカシ。騒ぎを起こし利権を守るのが狙い
裏では権力と繋がっている。再販価格維持制度や軽減税率が証拠
メディアの政府批判は国民のためではない。プロレスのようなもの
五輪によって全国民がメディアの嘘に気付くか。民度が試されている。

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