自由と正義のための選択肢

今後の日本の進むべき道を考える政治ブログ

自由 #2100

2022-04-18 21:16:58 | Truths

以前から"自由主義 vs 社会(共産)主義"の問題の立て方に疑念があった。
ロシアのウクライナ侵略により、その疑念の答えが出た感アリ。
ウクライナは自身の自由の為戦っている。自由主義の為ではない。
自由主義 vs 全体主義ではない。反全体主義と全体主義の戦いである。

何故なら自由は現実であり、イデオロギー(観念)ではないからだ。
自由とは「持って生まれた衝動に基づいて行動しうる」という意味
勿論、育った環境や受けた教育によって人の行動様式は大きく変わる。
しかし、基本は幸福追求の道を自分で選択できるのが自由というもの

一方で自由は"我儘"や"勝手"のような否定的な意味でも用いられる。
「個人主義=利己主義」と同様、全体主義がプロパガンダに利用する。
社会矛盾の全てを自由の所為にし、自由を否定、権威に従わせる。
正しくは「個人主義=個人の尊重、自由=他者の自由と共存」なのに

そこで、自由な社会は為政者も民衆も法に支配される法治主義になる。
一部エリートが一方的に民衆を支配すれば、民衆に自由は無い。
だから、自由と法の支配と民主主義は切っても切れない関係
この三点セットが自由で開かれた社会の三要素と言えよう。

権威主義社会は、自由があるのは支配者のみ。支配者は奴隷
「自由は格差の因」として否定する権威主義こそ超格差社会なのだ。
騙されてはならない。自由を否定したところで平等は実現しない。
格差はルールを作って調整すればいい。自由が無ければ発展も無い。


最新の画像もっと見る