金曜日の地震があった時は工場での勤務中でした。ちょうど前段者との交代時で、揺れがあってから3分ほどで工場内の機械は全機停止になりました。すぐさま外へ避難かと思っていましたが、連絡がなく各人自分の部署での待機です。結局屋外に出たのは20~30分してからでした。結構のんびりしてましたね、皆こんなことで良いのでしょうかと思ってましたが、会社側も情報不足でどうしていいのか分からなかったようです。まあこんな揺れは初めてのことですから。
で、外で全員の安全確認が終わってからは食堂でまた暫らく待機。携帯で自宅や町田に遊びに行っている長男へ連絡を試みましたが既に回線パンクで繋がりません。こんな時に繋がらないって、携帯の意味がないじゃん!と皆思ったことでしょう。
そして夕方5時前ごろに工場内に戻り生産の再開です。皆「おいおい、家族と連絡が取れないのに仕事かよ!」と言っていて、私も仕事どころではなく、早く帰宅させろよと思っておりました。そして6時になって食事休憩です。食事後に何度も携帯で連絡を試み、6時30分ごろにやっと長男の携帯に繋がりました。心配していた長男ですが、町田から境川沿いの遊歩道を歩いて無事帰宅しているとのこと。家内と次男も、そして家屋にも被害のないことが分かり、また近所に住んでいる私の両親も無事とのことが判明し、やっと安心することができました。
さて、安心したところで後半夜10時35分までの仕事へ、と思った矢先に全員が再度集められ、この時になって帰宅命令です。おお、やっと開放されたか!と急いで愛車へ。この時夜7時でした。工場の正門を出たところで、普段より自動車が多いことにすぐ気が付きました。大通りに出るや、既にすごい渋滞でした。あっちゃぁー!と思い、会社に引き返して車を置いて走って帰るかと思い悩みましたが、明日また車を取りに来るのも面倒だし、えい行ってしまえ!とそのまま帰路についきました。
普段は自宅まで車で20分ですが、この日自宅に帰れたのは夜9時30分を回っておりました。世間の通勤者からすればラッキーでしたね。都内にいたら帰宅できませんでしたもんね。車内でTVのニュースを見ながら、座ったままですから2時間半なんて楽な方でした。
その後はTVのニュースに釘づけでした。まさか日本がこんな大災害になるとは思いもよらず、ただ呆然としておりました。土曜は明け方にも余震があって、何度も起こされ、5時ころからはまたまたTVを見ておりました。
車のガソリンがなくなっていたので、土曜日の朝8時ごろガススタンドへ。満タンにして帰宅。この時に満タンにしておいてよかったです。しかし、乾電池、ガスボンベに思いが至ったのは今日のことでした。しかし、スーパーでは既に売り切れ状態でしたね。昨日なら何とか手に入ったかもしれませんが、あっと言う間に売り切れたようです。まあ、最悪の場合はキャンプ用のガスランタンとかがありますから何とかなるか・・・
しかしTVのニュースから流れてくる被災地の状況を見るに付け、一刻も早く、1人でも多くの被災者たちが、また不明の方々が無事に発見され、安全な場所に避難できることを、切に願っています。
明日は子供たちもお小遣いの中から出し合って、皆で震災募金へ寄付に行ってこようとおもいます。