母が入院する前、ほっぺたは紫色でところどころ小さく黒い色がまじっていた。
病室に入ると眠っていたが、腰が痛いと言って横向きにしか寝なかった母が、背中を下にしてまっすぐ寝ていた。痛くないのかな、と思ったがすでに意識がない状態、意識があっても体を動かせなかった。
ベッドの脇には電子機器が心臓などをモニターしていた。不整脈がある、とお医者様は言われた。血圧は上が105から90ぐらい、下は50ぐらい。幅が少なくなると危ない、と言われた。日がたつにつれて呼吸するときの苦しそうな息が大きくなった。
呼吸がずいぶん苦しそうなのに、顔色はだんだん綺麗になっていった。紫色が消えていった。全力を上げて排毒していた。だが、呼吸はますます大きくなり苦しそうだった。こんな苦しい呼吸をやれと言われたら、5分持つかなあ、などと考えた。それを数日、続けた。
やれと言われても、とてもできない、なぜ、こんなエネルギーがあるのだろう、どこから出てくるのか、今でも不思議で、理解できない。
今なら心臓を守るためには塩分を入れる。即座に醤油を入れる。
今年は猛暑で脱塩、脱水して目がまわったり、吐き気がして横になった誰かさんだが、醤油で30分後、外を歩けるようになった。脱塩で急な血圧低下、それを醤油で血圧を上げたので歩けるようになった。低血圧のままで、目がまわっているのに立ったりすると脳に血液が行かないので立てないようにして脳を守った。血圧が上がれば脳にも血液が充分送れる。こういう原理になっているにちがいない。
しかし、醤油そのものを薬を長年飲んだ体に使って良いのかどうかわからない。飲食物なのだから良いに決まっているが、長期の生活習慣でそうではないかもしれない。複雑怪奇で良くわからない。
何がどうなっているのかわからなかった。だが、そのような心配は無用だった。会話できない。
何もできず、眠っていて目を覚まさないので、仕方なく脇で目覚めを待った。少しでも目を開けたらこの世界に留めるため呼びとめるため、腕をつかんで引き止めるため。息子は母の片方の足を、とにかく、さすっていた。血行が良くなるように。足がついている自覚があればこの世界から飛び立つことはできないだろう。いざ、飛びだそうとしても足があるのを思い出せばーーーー
点滴は排毒を助けたか、それとも邪魔をしたのか。なぜ、大息をついて、苦しんだのか。別の点滴などなかったのだろうか。数日の延命処置とわかっているなら、もっと楽に呼吸させる方法はなかったのか。なぜ、延命処置で苦しまなければならないのか。数日なら楽にできただろうに。その数日をなぜ、苦しめたのか。楽にさせてやりたかった。
大きな深呼吸を急速にやっている状態、こんなことは数分とできない。それを数日、ぶっ通し。ものすごい体力。本当に病人なのかと疑うほどの呼吸のたびに聞こえる大きな息。こんなに体力があったのに、なんで今頃になって排毒しているんだ、すぐにでも排毒できただろうに。断食しても体力があれば点滴などいらない。父は点滴で断食したが体力のない状態だった。
家にいて少飲少食で治ったろうに。それを妨げたものはいったい何だ、これまでのツケを支払っている状態、ツケを作ったのは何だ、ここまで毒をためたものは何だ。人体の排泄機能を失わせるもの、毒としか言いようがない。それを言われるままに受け入れた脳がすでに、体力を消耗させるのを望んでいたかのよう。どうせ消耗させるなら少飲少食をやれば良かったのに。
交代した日にこの世界からーーーー
顔色は普通に戻った。へんてこりんな色は完全に消えた。ものすごく痩せた。
排毒終了だった。排毒に全エネルギーを使いきって、そのあとの生命維持の分まで使い果たしたかのよう。
自らのお身体を、綺麗に、綺麗に、綺麗にして永遠に旅立れた。