弁護士太田宏美の公式ブログ

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文化遺産ヤロスラブリ歴史遺産地区

2015年10月06日 | 日記

ヤロスラブリが黄金の環のほかの都市と異なるのは、サンクトペテルブルクなど
と同じ、地域全体(110ha)が歴史遺産地区になっていることである。
ヴォルガ川とコトロスリ川の合流地点にあり、11世紀から商業の中心として
発展。
11世紀にキエフ大公国のヤロスラフ賢公によって建てられた。
ソ連時代に多くの教会などの宗教施設が破壊されたことは周知のとおりであるが、
ヤロスラブリでは約80のうち56もが全く無傷で残った。このような例はほかにない。
17世紀に建立された多くの教会が存在している。
また、18世紀にエカテリーナ2世による都市改善にあたって主要な歴史的
建造物を維持しつつ新古典様式に刷新された。
こうして新旧の建物が一体となった調和のとれたスケールの大きい美しい町となった。
歴史的にも17世紀にモスクワがポーランド軍によって占領されたとき、モスクワに
かわって事実上の首都として機能するなど重要な役割を果たした。

町の建設は1010年。

宿泊したホテルはコトロスリ川に面していた。ヴォルガ川との合流点まで
往復30分程度とみた。朝食後出発まで時間があったので、出かけてみた。
コワイ体験をした。
ちょうどヴォルガ川に近づいたころ、急に霧に襲われた。
あっという間のことであった。

ヴォルガ川では釣りをしていた。

 

あっという間に殆ど見えなくなった。こういう経験は初めてであった。
方向音痴の上、前が殆ど見えないのでは、道に迷うのではないかと怖くなった。
急いで引き返すかことにした。ホテルに着いたときは本当にほっとした。

 

川沿いの土手では若者たちが朝の訓練をしていた。

 

川沿いの道をやや寒い中上半身裸でランニングしている人もいた。

 

それぞれが川のある生活を楽しんでいた。

ホテルの前から見るコトロスリ川の眺めである。

  

ヴォルガ川とコトロスリ川との合流点にある公園である。市章の斧を持った熊が
見える。1005というのはヤロスラブリ建設が1010年なので町の歴史が
1005年になるということ。

 

 

市章です。

   

スパソ・プレオブラジェンスィー修道院です。12世紀に創設された要塞型の修道院です。
現存する一番古いものはスパソ・プレオブラジェンスィー聖堂です。16世紀のもの。
3つの黄金のドームを持っています。

  

鐘楼もあります。

  

「イーゴリー軍記」が発見された図書館です。

  

その他にも建造物がありますが、庭を飾る色とりどりの花が印象的でした。

  

  

あちこちで鐘楼の鐘の生演奏を見、聞きましたが、遠くにあってよく見えませんでした。
ここでは模範演奏をしてもらえる予定で、楽しみでした。
が、とうとう姿を見せませんでした。残念!

  

聖なる門(入口)の天井部分はフレスコ画でした。一部を・・・

  

比較的こじんまりとしていましたが、落ち着いたいい雰囲気でした。

次の見どころは預言者イリヤー教会です。
1650年に裕福な商人の寄付で建てられたもの。フレスコ画が有名。当時のものがそのまま
残っている。部屋一面がフレスコ画で覆い尽くされていました。素晴らしかったです。
写真撮影は禁止。

 

が、その雰囲気は外面からも少しばかりみえます。

   

この教会はソヴィエーツカヤ広場にあります。広々とした広場で、ソビエト時代の建物が
あります。

  

なお、スパソ・プレオブラジェンスィー修道院はホテルからヴォルガ川に至る道沿いに
ありますが、この道は”教会通り”でした。
これはロシア方式でたぶんChurch of Epiphany
というのではないかと思います。

  

あとは名前はわかりません。

  

  

  

ホテルの近くの様子です。特別な建物ではありませんが、雰囲気はあります。

  

  

  

ロシアの町にはどこでも無名戦士の墓が見られました。

  

もう一度ヴォルガ川を。

  

最後に私の写真と言いたいのですが、撮っていませんでした。
ということでバガヤヴリェースカヤ広場に立つヤロスラフ賢公の像で締めくくり。