なんとなくそんな気持ちの日々に

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重信房子について

2006-02-23 18:16:44 | 国際関係
日本赤軍の重信房子に懲役20年…ハーグ事件

 zakzakのニュースから。東京地裁は、本日、日本赤軍の重信房子に対して懲役20年を言い渡した。問われた罪は、1974年の在オランダ・フランス大使館占拠事件の指揮による殺人未遂や逮捕監禁などである。裁判で争点となっていたのは、重信がPFLPに武器調達などを依頼したか、そして実行犯である和光晴生に襲撃を指揮したかであった。重信側は、和光がPFLPの作戦に個人的に参加し、また、事件当時日本赤軍は結成されていないため襲撃を指揮する立場になかった主張していた。
 事件当時日本赤軍は結成されていないという主張はちょっと無理がある。これでは、検事側に論破されて当然である。確かに、「日本赤軍」を正式に名のるようになったのは1974年11月であり、1974年9月のフランス大使館占拠事件の後である。しかし、1972年のテルアビブ空港(現ベングリオン空港)での事件後、「アラブ赤軍」を重信のグループは名のっている。つまり、日本赤軍というグループ名ではなくても、作戦を実行できる組織はあったのである。
 重信は、逮捕後、こんな歌を詠んでいる。―携帯のかすかな音する運動房圏外に居るわれを自覚す―(『ジャスミンを銃口に 重信房子歌集』より)おそらく圏外とは、携帯電話の圏外と社会的な圏外の意味が込められているのであろう。それは、今回の裁判での彼女の主張と、検察側に代表される法的正義との間のズレをそのまま表しているのではなかろうか。