神奈川県庁合唱団

横浜で活動している、神奈川県庁合唱団の練習報告、活動予定、団員募集。ミュージカルから合唱組曲まで幅広く

良寛相聞を歌うために3

2011-10-29 03:26:35 | 曲解説
4曲目の後半は、初めて会った時の詩です。
夢という言葉がキーワードになっていきます。
それぞれ、違う意味が込められていきます。
「君にかく あいみることの 嬉しさもまだ
    醒めやらぬ 夢とぞおもう」 貞心尼
あなたにこうしてお会いしたことの嬉しさは、
いまだ覚めやらず、これは夢なのかと思います。
この夢は、眠っているときの夢、
醒めてしまうとなくなってしまう夢です。
「これは夢なのかと思います」とは、不安な気持ちがうかがえます。
憧れの良寛に会ったのですから、幸せの絶頂でありながら、この幸せがいつまで続くのかという気持ちもあったでしょう。
それに対して、良寛は
「夢の世に かつ 微睡みて 夢をまた
 語るも夢も それがまにまに」
夢の世に = 現実の世界だって夢のようにはかない
夢をまた = 貞心尼との出会いは、微睡の中の夢(しあわせ)
語るも夢 = あなたに、語ってることも夢のようだ
それがまにまに =それはそれで夢のままで良いのでしょう
「それ」も夢のことですが、ここまでくると通り一辺倒の言葉では表現できないので、あえて夢でではなく、”それ”ということばで表現しています。
何回も出てくる、夢がキーワードになります。
そして、”夢”を良寛が漢文詩で表現したテキストを織り込み、説得力を与えてます。
4曲目、「相聞Ⅱ」は8分以上の大曲。
二人の心の動きを緊張感を持続させて表現できるようにしたいです。
by 練責

良寛相聞を歌うために2

2011-10-23 02:10:06 | 曲解説
以下、練責が書物やインターネットで調べたことから、練責の想像も含めて書かせていただきます。練責はもともと理系男子ですし、良寛のことはあまり資料が残っておらず、いろいろ解釈があるようですので、事実異なる点があるかもしれませんが、そこはご容赦下さい。また、ご意見がある方、是非メールをください。

良寛70歳、貞心尼30歳で二人は出会います。
良寛の書にふれた貞心尼が教えを受けるために良寛を訪れるのです。
でも、最初に貞心尼が良寛のもとを訪れた時、良寛は不在で貞心尼は会うことができません。
良寛は貞心尼のことをうわさで聞いていて、あまりよく思ってなかったそうです。歌好きの尼など鬱陶しいと思っていたとあります。この、最初の訪問も、もしかしたら居留守を使ったのでは、と想像したりします。
良寛に会うことができなかった貞心尼は良寛に手作りの手毬と、一つの歌を残します。
「これぞこの仏の道に遊びつつつきやつきせぬ御法なるらむ」(4曲目の冒頭に使われます)
手まり、これこそが仏道に遊びつつ、ついてもついても尽きることのない御法を体現しているのかしら  というの、大意です。
この歌を読んで、良寛の気持ちは急激に動きます。
良寛というと手まりを子供と一緒につくというイメージが強いのですが(2曲目の手毬がまさにそう)、そのことについて、彼は詩の中で「児童と手毬なんてかついて一体どういう訳なのだと問われても、相手に説明のしようなんかない」という、記述があります。手毬をつくということは良寛の寂しい心が実は背景にあるのです。なぜ、そうなったかは詳細は後に書きます。
そんな、良寛の手毬について、一つの明確な理由を貞心尼は提示します。手毬をつくことによって仏に近づいているのだと。
良寛はこれにこう答えます。
「つきてみよ ひふみよいむなやここのとお」
解釈は「さあ、あなたもてまりをついてごらん。ひふみよいむなやここのとお。てまりをつく、この行為の無限の反復の中に仏道の悟りがひそんでいるのだよ」
良寛は貞心尼から歌で、自分がやっている手まりが仏道に近づくためのものだという考えに、同調していきます。
つく という言葉には弟子につくという意味もあり、貞心尼の弟子入りが認められたという解釈もあります。この、返歌をもらった貞心尼の喜びもすごかったでしょう。
また、「ひふみよいむなやここのとお」は 悟りに至るキーワードとして、この曲全体に一貫して使われていきます。
二人の心が高まっていくところでも、坊さんと尼さんという本来そういう関係が好ましくない中で、心が接近していきますが、常に「ひふみよ・・・」それをおし止めようとしたでしょう。でも、その上で二人の関係は接近していきます。

その3に続く

良寛相聞を歌うために1

2011-10-21 02:12:42 | 曲解説
良寛相聞は4曲で構成される組曲です。
相聞とは男女の相思を詠みあう歌で、この曲は江戸後期の禅僧「良寛」とその弟子「貞心尼」の間で交わされたものです。
1.相聞Ⅰ/パストラーレ
2.手まり
3.君や忘る道
4.相聞Ⅱ/夢のあとに
の、4曲ですが、「手まり」良寛の有名な詩で、相聞歌ではありません。
良寛の人柄を伝える、紹介のような形で取り上げられたのかと考えてます。
のこりの3曲が相聞歌ですが、詩が書かれた順番は演奏順と逆で、4曲目の相聞Ⅱが、出会いの頃、3曲目が愛情が高まっていく頃、そして1曲目は、すでに相思相愛の頃となります。
出会った時の、一番感情の動いていく詩を終曲に取り上げることで、組曲としてのドラマチック性を高めたのかと考えてます。
各曲の詳細は次回に