哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

青年期の「いじめ」

2014年06月29日 | 哲学・心の病
「青年期のいじめ」について、次の説明があった。

『青年期には、仲間である他者は自分の思いどおりにはうごいてくれず、また自分のねがうとおりには自分を評価してくれないがゆえに、潜在的にはつねに自分を「いじめる」様相をおびて登場する。

集団リンチそのものであるような「いじめ」は断固として排除されなければならないし、排除するためには大人の強い姿勢も必要である。
しかし、青年期の仲間関係に必然的にふくまれる摩擦や軋轢をも「いじめ」とよぶかぎりでは、「いじめ」はけっしてなくならない。

そのような「いじめ」のない青年期を考えるということは、青年期から仲間関係をはずして考えるにひとしい。
青年は、仲間から認められるのか認められないのか、認められるためにはどのようにふるまうべきかを、そのむずかしい仲間関係をくぐりぬける中で経験し、それをとおして大人社会に参入する準備をしていくのである。

そこにまた、「いじめ」にあってもその仲間集団に準拠せざるをえないから、そこからぬけだせないという二重拘束的な集団力学が生まれ、いじめ問題が複雑化していく理由がある。』


私は「いじめ」へと発展する恐れがある仲間とのいざこざは「百害あって一理なし」だと思っていたが、この説明を読んで大人へと成長するうえで必要なことであることを知ったし、改めて自分自身の過去を振り返ってみたら確かにそうだと納得した。

そして、青年期までに(異性との恋愛も含めて)人間関係を学ばずに大人となったならば、社会人になったときに(異性との恋愛も含めて)うまく人と付き合っていけないのではないかと思った。

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