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『おそらく、従来の宗教がとってきた、超越的なものを「信じる」という意識の形態が、もう無理なのだ。
人はそんなものを「信じられない」。
人生とは自分が生まれて死ぬまでの一定期間のことであり、自分とは自分以外の何ものでもないと思い込んでいるからだ。
しかし、ふと気がついていれば、自分が生まれ、自分が死ぬというこのこと自体は、自分の意志を超えている。
すなわち「超越的」事態なのである。
それならば、超越的なものは、「内在する」。
神仏を外に求める必要などない。
神仏は、自分の内に、自分を超えて、あるいは自分そのものとして、今まさに存在している。』池田晶子
そのことに気づくと、宗教は、哲学と同じ次元となっていくらしい。
人はそんなものを「信じられない」。
人生とは自分が生まれて死ぬまでの一定期間のことであり、自分とは自分以外の何ものでもないと思い込んでいるからだ。
しかし、ふと気がついていれば、自分が生まれ、自分が死ぬというこのこと自体は、自分の意志を超えている。
すなわち「超越的」事態なのである。
それならば、超越的なものは、「内在する」。
神仏を外に求める必要などない。
神仏は、自分の内に、自分を超えて、あるいは自分そのものとして、今まさに存在している。』池田晶子
そのことに気づくと、宗教は、哲学と同じ次元となっていくらしい。