『「歴史」というものについての、根本的な勘違いがある。
何かそういったものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのだ。
しかし、どこに?
過去はいったいどこに実在しているというのか、ちょっと考えてみればよい。
今やどこにも実在していない過去は、現在の自分の「頭の中」にしか存在していないとは、たちまちに気がつくことではないか。
歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の、何ものでもないのである。』池田晶子
彼女は、人生については「わからない」と言っているのにもかかわらず、すべての事象については「意識の産物」だと言っている。
いわゆる、「唯心論」は正しいと言っている。
その一例が上記のエッセイであるが、そこも私とは違う。
私は、それについても「わからない」という立場だ。
何かそういったものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのだ。
しかし、どこに?
過去はいったいどこに実在しているというのか、ちょっと考えてみればよい。
今やどこにも実在していない過去は、現在の自分の「頭の中」にしか存在していないとは、たちまちに気がつくことではないか。
歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の、何ものでもないのである。』池田晶子
彼女は、人生については「わからない」と言っているのにもかかわらず、すべての事象については「意識の産物」だと言っている。
いわゆる、「唯心論」は正しいと言っている。
その一例が上記のエッセイであるが、そこも私とは違う。
私は、それについても「わからない」という立場だ。