哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

グリーン・パラドックス

2014年05月26日 | 哲学・心の病
NHK『エネルギーの奔流』を観て、「グリーン・パラドックス」を知った。

どういうことかというと、太陽光や風力などの再生可能エネルギーによる発電量を増加しようとすると、火力や原子力などによる発電量が増加するということらしい。

その仕組みは、こうだ。

第一に、ドイツでは、太陽光や風力発電を増やそうとしているがその電気代は高く、電気料金がその50%である火力や原子力で発電しているチェコなどの国に工場移転しようとしている企業が増えている。

第二に、再生可能エネルギーによる発電量を増やそうとすると石油などの化石燃料の価格が下落し、貧しい国々は化石燃料による発電量を増やそうとする。

今回の記事は以上だが、徐々に私の意見もまじえて、エネルギー問題についての記事を気が向いたときに書いていこうと思っている。

お釈迦様でも

2014年05月22日 | 哲学・心の病
私は、真理や生きる意味を求めて哲学書を主に本を読んだが、そこには私が求めているものはなかった。

次いで、科学書を主に色々なジャンルの本を読んだが、やはりそこにも私が求めているものはなかった。

それなら、自分で本でも書こうかと思ったが、書くべきほどのものがそのとき自分にはなかったので、書くべきときが来るまで待とうと思っていたある日、素敵なエッセイを読みたいと軽い気持ちで手に取ったある雑誌に、次の文があった。

『結局のところ、「人生とは何か」もうずいぶん長いこと、このことを考えている。
考えるけれども、考えるほどにわからない。
というのは、じつは正確ではない。
わからないということが、いよいよはっきりとわかるのである。』池田晶子

私のように考えているのは、この地球上に私ひとりだけだと思っていた。
単にわからないではなく、考えれば考えるほどわからないということが確信へとなっていくのは、自分だけだと思っていた。

この文に出会うまでは。

それから、8年が経(た)とうとしている。

つづく?

続・誹謗中傷の心理

2014年05月14日 | 哲学・心の病
他人の悪口を言う人には、少なくとも2種類の人がいるらしい。

まず1種類目として、他人の悪口を言う人はストレスがある人。
心に不満があってそれを解消するために他人の悪口を言う。
そして、その人はそのストレスに気づいていない。
誰にだってストレスや不満はある。
そしてそれを、誰にも迷惑を掛けずに解消する手段を持っているが、他人の悪口を言う人の心理として自分の精神状態を分析できず、そして無意識に他人の悪口を口にするなどして、誹謗中傷することでストレスを発散させている。

2種類目として、他人の悪口を言う人は、言われている人より自分が劣っていることを自ら宣言している人。
それも無意識のうちに。

誹謗中傷の心理

2014年05月12日 | 哲学・心の病
誹謗中傷をする人は、相手が正しいとか正しくないで誹謗中傷をするのではなく、自分が不幸だったり、自分の劣等感を振り払うためにやっています。
ですから、そういう人を相手に正論をぶつけても意味はありません。

本当の意味で幸せな人が、他人の悪口を書き込んだりするでしょうか?

悪口を言うのは、自分が不幸だったり、劣等感を感じているからです。

境界性人格障害の診断基準

2014年03月24日 | 哲学・心の病
DSM-IV-TRでは次の基準のうち5つ以上該当すると、「境界性人格障害」の疑いありとされています。

ただし、この基準は診断する人が違えば違う診断が下るような曖昧さを含んでいます。
そのためご自身で下す診断は絶対のものではないということを付け加えさせて下さい。
何かしらの症状をもっておられる方がご自身のことを振り返る場合、ともすると、重い症状に解釈しがちですので「参考」という視点は常に忘れないで下さい。
何度も言うようですが、これは絶対のものではありません。

(1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力

他者との別れや他者からの拒絶にあうと、見捨てられたと思って自分の中に大きな変化がおきます。
学校を卒業したり転職したりしたことによって、生活習慣が変わることでも同じような変化がおきます。
この変化は、感情や考え方、行動に現われるばかりでなく、「自分とはこういうものだ」と普段思っていること、つまり自己同一性にも混乱をきたします。
感情が不安定になることで、周囲の状況に非常に敏感になるわけです。
実際、何らかの時間的な制約があって別れなければならなかったり、何らかの理由で計画を変えなければならなくなったことに対しても、見捨てられる恐怖や不適切な怒りを覚えます。
カウンセリングを受けていて、カウンセラーから「今日はこのへんで」とカウンセリング時間の終了を告げられたり、また大切に思っている人との待ち合わせで相手が2~3分遅刻してきたときなどにも、パニック的に恐れや怒りが起こったりします。
これは「見捨てられる」ことが「自分が悪いことを意味している」と信じているからであり、この見捨てられ恐怖は、一人でいることに耐えられなかったり、誰か他人に一緒にいてもらいたいという欲求から生じるものです。
この世界の終わりを告げられるような耐えることのできない見捨てられ恐怖をできるだけ緩和させておくために、なりふりかまわない努力をしようとします。
その努力には、自傷行為や自殺行動なども含まれます。
なぜ、このような人たちが自傷や自殺を繰り返すのか、それはこの見捨てられ恐怖にあるのです。


(2)理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人様式

自分が気に入った人に対して、たった1~2回あっただけで自分の面倒を見てくれる人とみなし、自分を愛してくれる人として理想化します。
そして長い時間一緒に過ごすように要求し、まだ会ったばかりなのに、自分の個人的なことを非常に詳しく分かち合おうとします。
このような人たちは他人に共感したり世話をしたりはできますが、それは相手が「そこにいて」お返しに自分の求める欲求を満たしてくれることを期待しているからです。
しかし、このような人は、理想化からこき下ろしへすばやく態度を豹変させ、自分の面倒を見てくれない、十分にものを与えてくれない、自分と一緒にずっと「そこに」居てくれない、と感じてしまいます。
他人に対する見方を突然に、しかも極端に変化させ、他人に対しては、有益な援助をしてくれる人いう見方と、残酷な罰を与える人という見方が、いれかわり立ち代り出てきて、それによって混乱が自分の中に生じますが、自分ではその混乱は気づいていません。
このような変化は、いったん理想化した相手はいずれ自分を拒絶して見捨るだろうという幻滅を自分で作り上げてしまうために起きるものです。


(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感

自分の目標や価値観、志望する職業、仲良くしている友人のタイプなどが急に変わることで自己像が劇的に急変します。
目標を達成する寸前でそれを放棄したりもします。
自己像とは自分の特徴を代表する雰囲気のようなものですが、この自己像が急変するということは、自分自身でも感じますし、周囲の人にも歴然とわかります。
こうした人たちは、助けを求める者だったのにその役割も突然に変えて、過去に経験した虐待に対して「正義の報復」を始めることもあります。
このような急変する自己像は、自分がまったく存在しない、空虚な感じを持つこともあります。
このような自己像の急変は、意味ある対人関係や支持を得られなくなったと感じる状況で起こってきます。
このような急変する自己像を持つために、自由にやれる仕事や学校などの環境に接すると作業能率が落ちる傾向にあります。
ある程度、枠がしっかりした現場での仕事を得意とします。


(4) 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの
(例:消費、性行為、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)

賭博(とばく)、無責任な金銭消費、むちゃ食い、物質乱用、危険な性行為、無謀運転などをしがちです。
自傷行為は、その致死性によって、高、中、低と3段階に分けることができ、それぞれに直接的あるいは間接的な行為がカテゴライズされています。
致死性が高いとは自殺のことをいい、中程度とは繰り返される自殺企図あるいは重大な自傷、低程度は軽い自傷のことをいいます。
直接的というのは、自分を傷つける行為が即座に身体に損傷を与える行為の場合で、間接的というのは、身体損傷が即時的なものではなく、その害が蓄積することで生じる行為をいいます。
高い致死性をもつ直接的なものは自殺あるいは繰り返しの自殺のことで、間接的なものは状況的危険行動、高度に危険なスタント、程度の重い拒食症などです。
車が往来する道路へ飛び出したり、高いビルの屋上の縁を歩いたりすることも高い致死性をもつ行為と判断されるわけです。
そして注意してほしいのは拒食症もここに入るということです。
拒食症は、それほど危機感をもたれることは少ないかもしれません。
しかし、その実態は、死と裏表にあるということは認識しておいて下さい。
一方、危険なスタントについては、別の見方もできます。
これはスリルを求める心性でもあり、それは個人の進歩を導く原動力にもなるかもしれないエネルギーを秘めています。
ですから、いちがいに自傷の分類に入れることはできません。
カウンセリングではその見極めも必要になってきます。
中程度の致死性をもつ直接的なものは重大な自傷であり、間接的なものは急性アルコール中毒や性的危険行動などです。
よく知らない人と性行為をしたりすることもここに入ります。
低い致死性をもつ直接的なものは一般的な軽い自傷であり、間接的なものは慢性的な物質乱用(覚せい剤や薬の乱用)、過食症、治療のために服薬している行為を自分の意志で中断することなどが入ります。
この分類をみると摂食障害(拒食、過食)は自殺・自傷の一種と考えられ、適切な対応が必要な障害なのです。
一歩間違えば、大切な命を落としかねない障害なのです。


(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し

境界性人格障害をもつ人の8%~10%は実際に自殺をしてしまいます。
またその数倍の人が自殺企図や自傷行為(リストカットや熱傷など)をします。
繰り返えされる自殺企図は、その人が助けを求めているということの裏返しです。
これらの自己破壊行動は、別離の脅威、拒絶、または自分の責任が増えるかもしれないと予感する事態に遭遇することで起きてきます。
また自傷は、自分の意識が自分という身体から遠ざかって感じられる解離性の体験の間に起きます。
自分が自分でないような離人感覚のときに自傷が起きます。
そして自傷して流れ落ちる血をみたり痛みを感じることで、「自分で感じている」という能力を再確認したり、自分が悪いという持続的な感覚から抜け出すことができると、自傷行為は治まっていきます。
自傷をすることで、自分のコントロール感を取り戻すのです。


(6)顕著な気分反応性による感情不安定
(例:通常2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれである、エピソード的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、又は不安)

この障害をもつ人の基本的な不快感は、主に、怒りやパニック的な出来事によって発生します。
健康的な生活をする、あるいは満足する体験をすることによって和らぐことはありません。
パニックを発症する出来事とは、対人関係でストレスを感じる出来事で、その出来事に極端に反応することでパニックが発症します。


(7)慢性的な空虚感

何をするにも飽きっぽく、いつも何かすることを探しています。
また、何かしていても目的を達成する直前でそれを簡単に放棄してしまうことがあります。
この飽きっぽさが慢性的な空虚感です。


(8)不適切で激しい怒り、又は怒りの制御が困難
(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)

この障害をもつ人は、ひどく辛らつないやみを言い続け、また爆発的に激しい言葉を吐いたりもします。
世話を焼いてくれる人や愛してくれる人が、冷たい、何も与えてくれない、世話をしてくれない、自分を見捨てた、と思うと、怒りが呼び起こされます。
怒りを表現した後は、恥ずかしさや罪悪感を感じ、自分が悪いという気持ちが沸いてきます。


(9)一過性のストレスに関連した妄想的観念または重篤な解離症状

これらの症状は、現実あるいは想像上で、見捨てられることへの反応として起きてきます。
妄想にとらわれたり、自分が自分として感じられなくなったり、幻覚や幻聴を聞く場合もあります。
この症状は一過性のもので、数分から数時間持続します。
世話をしてくれる人が現実に世話をしてくれたり、またはそのように感じたとき、これらの症状はなくなります。

マインド・コントロール

2014年03月16日 | 哲学・心の病
宗教を信じることで、人生がより充実したものになることはいいことかもしれません。
しかし、破壊的カルトと呼ばれる、反社会的な活動を行う宗教組織には注意が必要です。
破壊的カルトでは、マインド・コントロールが行われることがあります。

心に孤独や心配を抱える人や、現実社会に強い不満や不合理を感じている人などは、つけ込まれやすいので注意を。
「自分は絶対に大丈夫」と高をくくるのも危険です。
なお、いったんマインド・コントロールが完成すると、その後、離脱して本来の自分に戻るには長い時間が必要です。

マインド・コントロールする方法は、

・行動をコントロールする
命令に従えば、大きな賞賛を与える。従わなければ、強い罰を与える。また、布教活動の時間、住む場所、寝る時間、誰とつき合うか、など、行動を細部まで指示し、自由を与えない。

・思想をコントロールする
組織のリーダーだけが真理を知っているとし、それを徹底的にたたき込む。

・感情をコントロールする
強い恐怖と不安を与える。ハルマゲドンが来て、信じる者だけが救われる、もし命令に反したり、脱会した場合は恐ろしい罰が待っている、など。

・情報をコントロールする
組織に対する批判的な情報に接することを禁じる。その組織に対抗する内容の本や脱会者の文書、マスコミの記事、など。


さらに、「洗脳」では暴力的に人の心を壊してしまいますが、その方法は、

・眠らせない
睡眠時間が少ない状態になると、意識がもうろうとして、正しい判断ができなくなる。

・時間を自由にさせない
次から次に指示を受け続けていると、落ち着いて考えることができなくなる。

・食べさせない
飢餓状態になると、思考能力が低下し、暗示にかかりやすくなる。

・感覚を遮断する
周囲と隔絶された部屋に入れる、など。五感を封じられると、暗示にかかりやすくなる。

・薬物を使用する
幻覚剤や覚醒剤などの薬物により、意識レベルを低下させる。

人格障害の治療法

2014年03月11日 | 哲学・心の病
人格障害(パーソナリティ障害)の治療法について、知らない方が多いのではないでしょうか。
そこで、学びのきっかけになればと思い、今回は、それについてのQ&Aを紹介させて頂きます。

【質問】

『インターネットで調べてみて自分は自己愛性人格障害だと思うのですが、治療法としてはどんなものがありますか?
大切な人をこれ以上傷つけたくないし、傷つけてしまう自分が本当に嫌なんです。
よろしくお願いします。』


【ベストアンサー】

『精神科医です。
自己愛性人格障害の治療としては、対症療法的な薬物療法と、精神療法(心理療法)が行われます。

精神療法としては、最近はもっぱらカウンセリングよりももっと介入的な、認知行動療法が適用されること多いですね。
相談者さんのように、ご自分でご自分の問題に気づかれていて、こうしたサイトにご質問を投稿されるくらいの治療意欲とインテリジェンスがある患者さんは認知行動療法の良い適応だと思います。

具体的にはある体系化された方法で日記を書き、それを元に臨床心理士とともに患者さんの認知(外界の認識の仕方)の歪みを特定してそれを矯正していく方法です。

認知行動療法を行う専門的な施設を受診する必要がありますが、独習も可能です。
ご自身の悩みを解決するために、この治療法に取り組むことを強くお勧め致します。』


そして、実際に精神療法を受けて改善した方のコメントもありましたが、それは、

『私も人格障害(感情の起伏の激しさ、やつあたりで暴力)だった者です。
今は大体穏やかでほんわかした状態です。
周囲も初め一時的と思ってたようですが、今はその変化を驚きつつ、認めてくれてます。』

ということでした。

ただし、ネット上にも私と同じ意見がありましたが、それは、精神療法を受けた人格障害者のすべてが改善するとは限らないということで、現在の医療では改善しない人格障害者もいるということです。

佐村河内氏はパーソナリティ障害か?

2014年03月10日 | 哲学・心の病
私は、ゴーストライターで有名になった佐村河内(さむらごうち)氏は、何らかのパーソナリティ障害ではないかと思っていますが、同じように思っている方のQ&Aがありましたので、それを紹介したいと思います。
それは、

【質問】

『最近話題の佐村河内氏は、自己愛性パーソナリティ障害の兆候があるように思いますがどう思いますか。』


【ベストアンサー】

『私もそう思います。
事件があって初めてこの人のことを知ったのですが、ワイドショーを見ているうちに自己愛性パーソナリティ障害を疑うようになりました。
私と同じことを考えている人がいて驚いています。
報道による彼の言動を見ると、診断基準に当てはまりすぎて怖いです。

・対人関係で相手を不当に利用、つまり自身の目的を達成するために他人を利用➡義手の少女バイオリニストに執着、および金銭的な不当な要求
・自分の期待に従うことを理由なく期待➡マインドコントロール
・過剰な賞賛を求める➡「Bzより上にいます」というメールを一斉送信
・業績がないのにもかかわらず、優れていると認められることを期待➡自身に作曲能力がないのにもかかわらず、上記のようなメール
・非現実的な目標➡演劇部俳優志望からの天才クラシック音楽家へ
・誇大性、虚言癖➡NHKスペシャルでの行動、発言

「10歳でバッハを弾きこなし、大人数相手に喧嘩して勝った」「石原軍団の専務が親戚」という発言、まだまだ出てくると思います。
今後の報道に注目です。』


以上がその内容ですが、私は、「普通でない人」を見かけたら、まずは何らかのパーソナリティ障害ではないかと疑っています。

オリンピックの意義

2014年03月09日 | 哲学・心の病
(パラリンピックの報道に喚起されて、この記事を書きました。)

私の想いと同じ方の記事がありましたので、それを紹介させて頂きます。

『第4回ロンドンオリンピック(1908)の陸上競技では、アメリカとイギリスとの対立が絶え間なく起こり、両国民の感情のもつれは収拾できないほどに悪化していました。
その時に行われた教会のミサで、「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」というメッセージが語られました。
このメッセージを、当時のIOC会長のクーベルタンがとりあげ、次のように述べました。
「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」

オリンピックには、「より速く、より高く、より強く」という言葉もありますから、「参加することに意義がある」と言う言葉は、弱くてもいい、負けてもいいという意味ではないでしょう。
しかし、ただ勝てばいいというわけではありません。
参加し、そしてひたすらに、純粋に、勝つために正しく努力することに意義があると言えばよいでしょうか。』


以上がその記事ですが、私の想いと同じところは、

「人生において重要なことは、努力することである。」であり、そして、

「オリンピックにおいても努力することは重要であるが、それは単に努力することが重要なのではなくて、勝つために正しく努力することが重要なのである。」

ということです。

新たなうつ病治療法

2014年03月03日 | 哲学・心の病
(既存の治療法では改善が見られなかったケースへの新たな治療法)

1.DBS

「扁桃体」の活動がうつ病の原因だとわかり、ドイツのボン大学病院では、2012年12月、うつ病患者の頭に穴を開け、電極を埋め込む「脳深部刺激(DBS)」という手術を行った。
脳の奥深くに電極を埋め込んで電流を流し、扁桃体などを刺激することで脳の働きを正常化し症状を抑えようとするもので、スヴェン・ウェルナーさん(36)は、以前は家族との会話さえ困難だったが、劇的に回復し息子さんと遊べるようになった。


2.TLC

また、分け隔てのない仲間との結びつきを治療に応用した「TLC」と呼ばれる生活改善法も注目されている。
TLCでは、スタッフとの信頼関係を築き、地域活動に参加するなど、社会的な結びつきを強めることを重視した活動を行っている。
さらに、「定期的な運動」や「生活習慣の改善」にも取り組んでいる。

「運動」は、ストレスによって萎縮した脳の神経細胞を再生させる働きが。
昼間に太陽の光を浴び、夜にはしっかり眠るという「規則正しい生活」には、ストレスホルモンの分泌を正常に戻す効果が。
狩猟採集時代の暮らしを取り入れた、この治療を行った結果、100人のうち70人に改善が見られた。

「いじめ」を減らすために(モラル編)

2014年02月25日 | 哲学・心の病
バスのシルバーシートに、高齢者でない者が座らないようにするためには、「モラル」、「法律」、「経済」の三つの方法があるということを、ある本で読んだことがあるが、今回は、いじめを減らすための対策として「モラル」について書いてみたい。


【「いじめ」を減らすために(モラル編)】

私は、以前に読んだ『国家の品格』に書かれている藤原正彦氏の提案を、「家庭」や「学校」で教育するべきだと思っているので、それを紹介したい。

『私にとって幸運だったのは、ことあるごとに「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした。
父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱いものを助けろ」と言われていました。
父は「弱い者がいじめたれているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」というのです。
私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。
だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を躍らせて助けに行きました。
私は体格がよく力も強かったので、必ずいじめている者たちを蹴散らしました。
それを報告するたびに父は本当に喜んでくれました。
あれほど喜んでくれたことは、ほかにはほとんど思いつきません。
(中略)
父は、「弱い者を救うときには力を用いても良い」とはっきり言いました。
ただし五つの禁じ手がある。
一つ、大きいものが小さいものをぶん殴っちゃいかん。
二つ、大勢で一人をやっつけちゃいかん。
三つ、男が女をぶん殴っちゃいかん。
四つ、武器を手にしてはいかん。
五つ、相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん。
「この五つは絶対に守れ」と言われました。
しかも、父の教えが非常に良かったと思うのは、「それには何の理由もない」と認めていたことです。
「卑怯だから」でおしまいです。
で、私はその教えをひたすら守りました。
例えば「男が女をぶん殴っちゃいけない」と言ったって、簡単には納得しにくい。
現実には、ぶん殴りたくなるような女は世界中に、私の女房を筆頭に山ほどいる。
しかし、男が女を殴ることは無条件でいけない。
どんなことがあってもいけない。
しかもなんの理由もない。
そういうことをきちんと形として教えないといけないということです。』

スポーツとバトル

2014年02月23日 | 哲学・心の病
塩野七生さんによると、

オリンピックでの戦いを、単にスポーツとして捉(とら)えるか、それよりも真剣なバトルとして捉えるかによって、勝とうとする本気度が違うという。

日本は他の国に比べて、スポーツとしてしか捉えていないから勝てないらしい。

さらには、裕福で心配の少ない国ほどバトルに真剣にならないためか、スポーツの勝負に勝てないという。

余談ではあるが、

生活に心配のない国ほど、今度は残忍な虐殺事件が起きてしまうとして、ノルウェーの乱射事件を例にあげている。

オリンピック観戦

2014年02月19日 | 哲学・心の病
『オリンピック選手というのは自分ではないが、なぜ人は他人の勝ち負けを、我が事のように喜んだり悔しがったりしているのであろうか。
言うまでもない、それが自分の国の選手だからである。
自分の国の選手だから人は応援するのだから、人々の意識は国同士の勝敗にある。
だから、国家と国旗なのである。
他の国と争って勝つことがオリンピックの精神なのだから、これはその意味では戦争の精神である。
戦争の精神によって、なんで平和の祭典なのだろうか。
要するにあれは代理戦争なのである。』

これは、池田晶子さんの意見であるが、グローバル化が進んでいる現在の日本人は、彼女がいうほど日本人選手のみの勝敗にこだわってオリンピックを観戦しているのだろうか?

少なくとも、私は、そうではない。
私は、日本人選手の勝敗よりも、どこの国の選手であろうと、その選手のパフォーマンスや言動によって感動している。

たとえば、他国の記者たちは葛西選手のことを尊敬をもって「レジェンド」と讃えているようだが、私は、そう讃えられる葛西選手の人柄にも感動するが、紳士的にそう讃える他国の記者たちにも感動する。

また、フィギアの団体戦では、他国のチームの選手たちが、ミスをしてうなだれている同じチームの選手を励ましている姿に、私は感動する。

まだまだ他にもあるが、私には、金メダル獲得や国旗掲揚のセレモニーは、それらの感動に比べたら、 遥かに霞んで見え、それらの感動の方が輝いて見える。

なぜ人をいじめてはいけないのか?

2014年02月15日 | 哲学・心の病
『「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う我々は、人を殺してはいけないと、問う以前から知っている。
知っているからこそ、その理由を問うのである。』

これは、池田晶子さんの言葉であるが、私は、何かしらの行いが「なぜ悪いのか(または、なぜ良いのか)」、その問いへの答えとして、彼女の言っていることが、その理由として使えると思っている。

たとえば、「なぜ人をいじめてはいけないのか」という問いの場合、私たちは、「いじめ」は悪いことだとわかっているから、この問いを発するのだ。
悪いことかどうかわからない人は、「いじめ」を真摯に問うことはない。

(わかりやすく?、)別の言い方をすると、なぜと問わない人には、「いじめ」という行為は存在していない。
人は、自分が認識したこと以外は、この世に「存在しない」。
「存在しない」ものは、なぜと問うことはないし、問うことができない。

「いじめ」がまったくない離れ小島で育った人たちは、「いじめ」がどういうものかわからないし、「なぜ人をいじめてはいけないのか」と問うこともない。

と、ここまで書いていて、あるエピソードを思い出した。

南米アマゾンの先住民だったと記憶しているのだが、曖昧だから、間違っているかもしれないが、彼らには、「孤独で寂しい」という気持ちがわからないらしい。
なぜなら、つねに家族的な仲間と一緒にいるからであり、長時間一人になったことがないからである。
だから、彼らは、「なぜ孤独は悪いことなのか」と問うことは、絶対に「ない」。

瀬戸内寂聴『忘己利他』

2014年01月27日 | 哲学・心の病
瀬戸内寂聴さんの本に書いてあったある言葉。
それは、『忘己利他』。

自分のことはさておいて、人のために生きるということ。
彼女はそれを心がけておられるそうだ。
自己の利益のために行動する、自分が得をするとか儲かるとか、そういう利己的なものは真の愛ではなく、報酬を求めない与えるだけのもの、それが真に生きることであり真の愛、ということだそうだ。

瀬戸内寂聴さんが言っていることは、幸せな人生を送るための助言となるのだろう。
とくに、女性にとっては。
彼女の講演が人気があることからも、人が求めていることを彼女は与えているのだろう。

心理学者の加藤諦三氏をネットで調べていたら、『忘己利他』に通じる彼の言葉があった。

『「うつ病は重症でも2週間で治る、もし……」。
このタイトルの言葉は、アドラーが重症のうつ病者が助けを求めてきたときに、述べた言葉である。
「もし」の次の言葉は「毎朝あなたが、先ず最初にすることは、どうして人を本当に喜ばせてあげることが出来るかと考えることである。そしてそれに固執すれば」である。』

(【ご注意】うつ病は、この方法では、絶対に治ることはありません。)

そして、以上のことから私が思うことは、

『人のために何か善いことをすることによって幸せになる、幸せだから人のために何か善いことをする。
人のために何か善いことをすることによって健全な心となる、健全な心だから人のために何か善いことをする。』

そういったスパイラル状態になるのではないかということである。