哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

なぜ人をいじめてはいけないのか?

2014年02月15日 | 哲学・心の病
『「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う我々は、人を殺してはいけないと、問う以前から知っている。
知っているからこそ、その理由を問うのである。』

これは、池田晶子さんの言葉であるが、私は、何かしらの行いが「なぜ悪いのか(または、なぜ良いのか)」、その問いへの答えとして、彼女の言っていることが、その理由として使えると思っている。

たとえば、「なぜ人をいじめてはいけないのか」という問いの場合、私たちは、「いじめ」は悪いことだとわかっているから、この問いを発するのだ。
悪いことかどうかわからない人は、「いじめ」を真摯に問うことはない。

(わかりやすく?、)別の言い方をすると、なぜと問わない人には、「いじめ」という行為は存在していない。
人は、自分が認識したこと以外は、この世に「存在しない」。
「存在しない」ものは、なぜと問うことはないし、問うことができない。

「いじめ」がまったくない離れ小島で育った人たちは、「いじめ」がどういうものかわからないし、「なぜ人をいじめてはいけないのか」と問うこともない。

と、ここまで書いていて、あるエピソードを思い出した。

南米アマゾンの先住民だったと記憶しているのだが、曖昧だから、間違っているかもしれないが、彼らには、「孤独で寂しい」という気持ちがわからないらしい。
なぜなら、つねに家族的な仲間と一緒にいるからであり、長時間一人になったことがないからである。
だから、彼らは、「なぜ孤独は悪いことなのか」と問うことは、絶対に「ない」。

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