最後の一葉

あの壁、最後の一枚の蔦の葉を見て。ああジョンジー、あれがベーアマンさんの傑作なのよ。

油彩№116「寄島町 三郎島」(F6号・2日目完成)

2022年02月23日 14時27分12秒 | 油彩画(風景)
 昨日の反省の通り、手直ししました。 調子に乗ってやり過ぎる私ですが、ギリギのところでストップしました。でも、やっぱりやり過ぎたか。主にペインティングナイフで描き込んでからパレットナイフで削りました。
 崖の右下が削られているのか、崖が透けて向こうの島が見えているのか、よく分からない感じになっていますが、適度な未完成感があって、まあいいでしょう。
 また、あまり崖を描きすぎて、空がさみしくなってしまったので、いつも私がよくやるように、ペインティングナイフでバーンと雲を描き込みました。
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油彩№116「寄島町シリーズ 三郎島」(F6号)(初日)

2022年02月19日 12時48分23秒 | 油彩画(風景)
 油絵教室にて。左の絵は阿部先生の手が入った絵、右の絵が今日描いた絵。筆のタッチとか、明らかに違います。ああ、一水会の阿部先生のような絵が描きたいなあ。一体どうしたら左の絵のような絵が描けるのだろう。中々難しい。
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私の好きな画家

2022年02月14日 22時32分00秒 | 絵に関すること
 
 国吉康雄 私のブログで最頻登場、3回目の登場です。太平洋戦争当時、米国での生活は辛かっただろう。退廃感、無力感、虚しさが伝わってくる。

 私は今年3月末で再任用が任期満了になる。4月には66歳になる。やっと私の本当の人生が始まる。高校時代、「一生四畳半生活で構わない。結婚もできなくていい。僕は本物の画家になるんだ」と思っていたあの頃の気持ちに立ち返ろう。美大志望で、毎朝、毎夕、美術室で木炭デッサンを描いていたのに、何の間違いか、今の職場に就職し、現職42年3ヶ月、再任用4年9ヶ月で都合47年間も公務員として働いた。もういいだろう。家内も了解済みだ。この期に及んでも「退職後は税〇士として地域に恩返ししようか」と思ったりしている。そんなの単に、無職のオッサン(いや、お爺さんか)になるのが怖いだけなんじゃないか。そんな気持ちだからいつまで経ってもこんなチマチマした絵しか描けないのだろう。つまらない男だ。本当に。情けなくなってしまう。色々、悩んだのだけど、意思は決まってきた。これまで息もできた、水も飲めた、今の職場には感謝している。ただ、これからの人生は私の青春時代のあの思いに立ち返ろうと思っている。
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ただただ、残念で仕方ありません

2022年02月06日 22時40分22秒 | ひとり言
 私のブログ仲間のBitter & Sweetさんが昨年12/28にお亡くなりになっていたことを今日今知りました。
 彼女とは10数年の(ブログ上の)お付き合いをしていただいておりました。

 私より1つ年下で同時期ではないと思いますが(いや重なっていたかもしれません。私がいたのは25~28歳で、彼女が24~27歳の時ですから)、同じ所(霞ヶ関の某大〇省・某課)で勤務した経験があることもあり、いつも私がブログを更新するたびに応援メッセージを入れてくれてたのに。
 心から、心からご冥福をお祈りいたします。


※ Bitter & Sweetさんのブログより(写真を除く) ・・・当時の雰囲気は私もよく分かります。あの頃が懐かしいけど、あんな激務の職場はごめんです。というか、65歳の今の私には体力的に無理です。通常(特に国会開催中は)夜2時、3時まで仕事で、予算がきつくなった3月はタクシー券がなくなり、地下鉄とJRの最終便で帰してもらえました。


* * * * * * * * * *


私の初仕事・霞ヶ関某省・某課
あろうことか、初出勤の日・父がくっついて来た
社会人になるのにみっともない
何度も断ったのだが
道に迷って遅刻したら大変だから、と

確かに外出するときはたいていが父の車であって

通学や横浜あたりまでの外出は別として
友達と電車に乗って行くことはあっても
私が一人で東京まで行ったのは
高校3年の冬休み・某予備校の冬期講習の時が初めてだったから
心配する気持ちがわからないでもない

…結果
言っている本人が地下鉄の出口を間違えているのだから
お話にもならない(;´д`)

辞令交付や挨拶回りをしている間
本人は親切な秘書課の方々に応接室に通され、お茶をふるまっていただいて、えらく感激して、後々まで事あるごとに人に話をしていた
配属先に落ち着いたところでやっと帰った

一安心もつかの間
さっそくデスクを与えられ仕事開始
電話を取ったはいいが、全然内容が理解できない
つないだらイケナイ電話もある
恐ろしくてひっきりなしに鳴る電話に手が出ない

隣は同期入省の男性
二人で同時に手を出して譲りあう(出来れば相手に取ってほしい)
これでやっていけるのだろうか、と不安でいっぱいだった

フロアの職員はほとんどが男性でタバコの煙が立ち込める
私の向かいの席には父よりも年上のベテラン女性
この方が、朝、出勤してからの手順や日常の細々とした雑用の数々をメモにして
それこそ手取り・足取り・ここでの仕事の何たるかを懇切丁寧に教えて下さった

掃除の仕方(お茶がらをまいてから箒を使う)
お茶のいれかた・出しかた
お茶碗の洗いかた(最後に熱湯をまわしかける)
小切手の現金化のやりかた
飛行機や新幹線の切符の買いかた
国会への出入り…

父が付き添って来たことについては
「上には上があるから大丈夫」
かつて
初出勤どころか翌日もその次の日も、授業参観さながら、娘の仕事ぶりを見学したあげく
忙しくて昼食に出向けない上司のために、デスクまで昼食を運ばされるのに及んで
「娘にこんな仕事はさせられない」と、辞職させてしまったお父様がいらしたとか

引越しの手伝い・同窓会の手配など
これも仕事?と思われるようなこともあったが…

* * * * * * * * * *

出勤スタイル・仕事場(何回も登場してる画像で申し訳ないですが)
国会や他省庁に出向いたり、大臣や議員・長官・局長などへの対応も数多い
今はどうかわからないが
30数年前は服装はスーツ・ジャケット着用
場合によってはドレッシーなワンピース・ブーツ不可だった
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