最後の一葉

あの壁、最後の一枚の蔦の葉を見て。ああジョンジー、あれがベーアマンさんの傑作なのよ。

ブリューゲル

2012年11月17日 11時29分01秒 | ひとり言


 ブリューゲルの絵には中心がなく、絵の随所に言い伝えや皮肉、批判などが散りばめられている。何よりも特筆すべきは庶民から王様や貴族に至るまで逃れようもない死があちらこちらに描かれている。
 いったい、彼の描きたかった主題は何だったのか。一つの主題を描く描き方ではなく、あらゆるモチーフ・主題を一枚の絵の中に描くのは何だったのか。
 私が彼の絵を観て共感するのは、一つには人生を懸命に生きる人間や生き物全体のその「けなげなさ」だ。こういう絵を描きたい。
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エゴン・シーレとコンポジション

2012年11月14日 00時35分30秒 | ひとり言


 エゴン・シーレはその強烈な画風から「表現主義」・「象徴主義」と言われているが、1918年スペイン風邪で28歳で亡くなった。
 私は彼の絵を観て、絵を描く上でもっとも大事とされる「コンポジション」が「構図」と必ずしもイコールではないと。。。おおよそ80%はイコールだろうが、緩と急、暑いと寒い、直線と曲線、明るいと暗い、厚いと薄い、勢いと平静、綿密と省略、などなど中々表現することが難しい20%の別の要素があるような、必要な、気がする。それが「表現主義」・「象徴主義」なのではないだろうか。
 あるいは、画面の分割。せめぎ合い。取捨選択。か・・・。それにしても、このような絵は私には描けない。
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油彩№76「大学一年の女性」(6日目)

2012年11月11日 16時02分10秒 | 油彩画(人物)
 今日の教室で、皆の前に絵を出されてF先生から「グリザイユで勉強して随分良くなった。K会展も倉敷美観地区みたいな観光地よりも人物画にしたらどうか」と。
 その時は単純に喜んだが、後で考えてみると、常々「同じモチーフを最低10年は追及しなさい」とおっしゃっているので、これよりも風景画が劣るということの裏返しではないかと。。。教室が人物画の教室のため、描く機会が多い人物画の方が段々良くなっていくのは仕方ないが。。。
 私なりの結論・・・K会展は今まで通り風景画でいく(へたでもいい、最低10年は頑張る)。 その代り、県展は人物画でいこうと思う。
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油彩№76「大学一年の女性」(再挑戦・5日目)

2012年11月10日 23時20分31秒 | 油彩画(人物)
 完成は取り消し。最初っから描き直す気で明日の教室を含めてあと3回描き上げたい。したがって、50号の№77はボツ。

 今、柴田淳に夢中。きっかけはドライブ中にかかっていたラジオの彼女の数曲から。だから、彼女の姿形からのものではなく純粋に歌声で。
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油彩№77「女学生」(1日目)

2012年11月05日 22時46分56秒 | 油彩画(人物)
 F30号のは完成ということにしたので、次の日曜日の教室用としてF50号で描いた。ちょっと顔が大きいかもしれない。行ってから直そう。今回は木炭ではなく油絵具でデッサンした。左の完成版を見ながら約10分で。来年の県展出品用として描くことにした。今まで、静物画、風景画、静物画でダメだったので、次は人物画でいくつもり。

 それはともかく、K展用の100号の風景画が決まらない。気があせるものの、いいのが見つからない。倉敷考古館のエスキースはF先生からダメ出しされたので(はっきりダメと言われた訳ではないが)、もっか探しているところ。
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