リディア・フレム著 友重山桃訳 ヴィレッジブックス 2014年12月10日 初版
父が亡くなり、母が認知症で施設暮らしとあっては、そろそろ真剣に考えなければならないのが、実家の処分。
戦中派世代の母はとんでもなく捨てられない人で、実家に入ると物の多さに酸欠状態になりそうなほど。
父の死後、三重の実家にせっせと通ってある程度の整理をしたものの、いつも捨てる捨てないで大ゲンカになった。
泊りがけで整理をし、明日の朝、ゴミの集積場に運ぶばかりにしていたものを、母が早起きして「やっぱり捨てない」と言いだし、それら全部をまた部屋に逆戻りさせたことも多々。 京都からわざわざ実家に出向いて一日中頑張った挙句が「捨てない!」
私の時間や労力はまったくの無駄だった。
父が亡くなってから母の捨てたものは、仲の悪かった姑が送ってきた布団。
木綿地の木綿綿の重た~い地味な布団で、そんなものを持っていたのにも驚いたけれど、結局、母が捨てたのはその姑の布団と飲兵衛の父が客人のために使っていた大量の徳利と御猪口だけ。
私や兄の中学校の制服、体操服、紡績工場に勤めていた父のナッパ服、と呼ばれていた制服。
私の七五三の着物も一式。
母の着られなくなったスーツ。
結婚式の引き出物らしき食器セット。
お店でもできそうなほどの大量の食器。
布団もシーツも枕も、、、、民宿が開けそうなほど(笑)
読みもしない本、プレーヤーもないのになぜか残っているものすごいレコード。
衣装ケース2杯ほどの記念切手。
洗濯石鹸やトイレットペーパーも10年ぐらいは籠城できそうなほどで。
とにかく、衣類の量が半端なくて、たんすに収まりきらないものが大きな風呂敷に無造作に包まれて部屋中を占拠している。
世間で言うところの汚部屋、ごみ屋敷を笑えない。
物を大事にするというのと捨てられないというのは根本が違っていると思う。
例えば、古くなった肌着を、これはもう一度雑巾にしてから捨てる、とか言いながら、母がそれらで雑巾がけしているのを見たことないし、駅弁の容器でも、どこかに行く時、お弁当を作ってお弁当箱にすれば現地で捨てられるから帰りの荷物が軽くなるっていうけど、お弁当持ちで公園すら出かけたことがない。
思い出が云々といっていても、母のようにボケちゃったら、思い出もクソもないだろう、って思う。
まぁ、そんな私の思いやかつての苛立ちとは無関係に、この本は進んでいくんだけどね(苦笑)
父が亡くなり、母が認知症で施設暮らしとあっては、そろそろ真剣に考えなければならないのが、実家の処分。
戦中派世代の母はとんでもなく捨てられない人で、実家に入ると物の多さに酸欠状態になりそうなほど。
父の死後、三重の実家にせっせと通ってある程度の整理をしたものの、いつも捨てる捨てないで大ゲンカになった。
泊りがけで整理をし、明日の朝、ゴミの集積場に運ぶばかりにしていたものを、母が早起きして「やっぱり捨てない」と言いだし、それら全部をまた部屋に逆戻りさせたことも多々。 京都からわざわざ実家に出向いて一日中頑張った挙句が「捨てない!」
私の時間や労力はまったくの無駄だった。
父が亡くなってから母の捨てたものは、仲の悪かった姑が送ってきた布団。
木綿地の木綿綿の重た~い地味な布団で、そんなものを持っていたのにも驚いたけれど、結局、母が捨てたのはその姑の布団と飲兵衛の父が客人のために使っていた大量の徳利と御猪口だけ。
私や兄の中学校の制服、体操服、紡績工場に勤めていた父のナッパ服、と呼ばれていた制服。
私の七五三の着物も一式。
母の着られなくなったスーツ。
結婚式の引き出物らしき食器セット。
お店でもできそうなほどの大量の食器。
布団もシーツも枕も、、、、民宿が開けそうなほど(笑)
読みもしない本、プレーヤーもないのになぜか残っているものすごいレコード。
衣装ケース2杯ほどの記念切手。
洗濯石鹸やトイレットペーパーも10年ぐらいは籠城できそうなほどで。
とにかく、衣類の量が半端なくて、たんすに収まりきらないものが大きな風呂敷に無造作に包まれて部屋中を占拠している。
世間で言うところの汚部屋、ごみ屋敷を笑えない。
物を大事にするというのと捨てられないというのは根本が違っていると思う。
例えば、古くなった肌着を、これはもう一度雑巾にしてから捨てる、とか言いながら、母がそれらで雑巾がけしているのを見たことないし、駅弁の容器でも、どこかに行く時、お弁当を作ってお弁当箱にすれば現地で捨てられるから帰りの荷物が軽くなるっていうけど、お弁当持ちで公園すら出かけたことがない。
思い出が云々といっていても、母のようにボケちゃったら、思い出もクソもないだろう、って思う。
まぁ、そんな私の思いやかつての苛立ちとは無関係に、この本は進んでいくんだけどね(苦笑)
頂き物のタオルやシーツなどはどんどん貰ってきて、私たちの古くなったものを処分してますよ
お母様、認知症とは大変ですね。
症状の進行にもよりますが、家庭での介護はほとんど無理のように思います。
施設入所の方が安心できますね。
大正生まれは少なくなりましたが、昭和一桁世代は、苦労されたせいでしょうか、なかなか物が処分できない人が多いように思います。
施設に入った姉のマンションは憧れの住まいでした。
が すべて処分
今の個室には テレビと少しの衣装と本 義兄の描いた絵など・・・
毎日毎日 考えさせられます。
実際問題としては、住んでなくてもまだ母が生きてるから家の処分はできないね。
せめて不要品をなんとかしといてくれたら、って思うわ。
捨てるにしても有料だし、最後家を潰して更地にするまでどれだけ要るんだろ。
ま、私はあまりタッチする気にはならないんだけど。
消耗品はいいけど、引き出物みたいな趣味の悪いものとかってどうしようもないね。
まだ母が元気だったころ、近所のバザーにだせば?って言ったのね。 そうするわ、とか言いながらそんな気はさらさらなくて、またしまいこんでました。
物に執着して執着して、いまやボケてなにも分からない状態って、皮肉すぎます。
父の死後、あっというまにボケました。
施設に入れるまですったもんだがあって、兄とも疎遠になりました。 隠し立てする必要もないので書きますが、晩年の、まだらボケだった当時の母とトラブって、私、母から絶縁状まで届いてる娘なんですよ。
母の姿を見てきたので、私は物を溜めない、わずかの金銭に執着しないで元気なうちにやりたい事をやろう!って決めたんです。
母の場合、戦時中のモノ不足もあってモノやお金に執着するのも分かりますが、それもやっぱり程度モノだと思います。 明らかに異常な域でした。
母は若いうちからモノに執着してなんでもかんでも溜めこむ人でした。 転勤族なのに持ちモノが多すぎていつも大変でした。 私は幼いころからそういう環境に居たせいで、すっかり反面教師でお勉強(笑)
モノにも人にも執着しない体質になりました。
どこかで思いきらないと処分はなかなかできませんが、私はとにかく自分が死んだあと、「これだけしか持ってなかったのか」って言われるのが目標です。
わが家だって、母がいなくなったことで処分できたってものが多かったです。
一緒に片づけるってことは、かなり困難なことだと・・・。(^_^;)
私たちの親世代は、おおむね物をため込む?ことが多かったんじゃないかな???
今、空き家問題が深刻になっていて、7軒に1軒が空き家なんだとか???
今年のように雪が多かったこちら地方は、倒壊の危険もはらんでいるので、親のいなくなった空き家問題はより深刻です。。。
私が大学に入るので親元を離れたのが19になる年。
母は45歳でした。 兄も大阪に出ていたので両親は45歳で二人暮らし。 めっちゃ暇だったと思うんですけどねぇ(笑) なにをして過ごしていたんでしょう。
玉石混交(というのか?)の実家。いっさいがっさいを処分する、というわけにも行かないので整理が要りますよね。
いったい誰がするんでしょうか。
頭が痛いです。
大阪府にある、『豊能障害者労働センター』では、4つのリサイクルショップを運営していて、バザー品はそこで売られています。売り上げ金は、主に障害者福祉(被災地の障害者支援を含む)に使われています。
私も「ずっと長く使う」と信じて買ったものが、意外と使わなくなった、ということが、よくありました。以前はもったいないと思いながら、不用品を泣きたい気持ちで仕方なく捨てていましたが、今はここの労働センターに送れるので、とても嬉しいです(^^) それで、私と同じように、「使わないものを捨てられない」と悩んでいる人を助けたくて、多くの人に、ここの労働センターを教えているのです。
バザー品の送り先のHPは、http://www.tumiki.jp/bazar.html です。ここでは、一般のリサイクルショップで引き取らない物、他のバザー会場で売れ残った物も受け入れていて、それらはきちんと商品として販売されています。
また、ここの送り先を気に行って下さったら、知り合いの方にも伝えて頂けると嬉しいです。私は一人でも多くの「もったいなくて捨てられなくて困っている」方々を助けたいので(^^)
あなただったかどうかはわかりませんが、以前も『豊能障害者労働センター』での不用品回収の事を知らせてもらったことがあります。
情報ありがとうございます。 ブログを見てくださってる人が拡散したり、利用できたりすることがあればいいですね。
ただ、実家にある大量の物は、ほぼボロみたいなものですから、ちょっと難しいかもしれません。
ありがとうございました。