がぶろぐ

非運動系のボーダーコリー「がぶ」。
小柄で巻き毛でビビリだけど、リッパな家庭犬目指して頑張ります!

がぶのひと吠え

2021-04-27 23:07:32 | 思い出話

朝、一度ご飯のために起きた後、

二度寝をするのが日課だった、がぶ。

出勤ぎりぎりまで寝ていたところをみると、

よほど気持ちよかったんでしょうね。

そんな至福の時間を邪魔する方との攻防は、

ほぼ毎日くりひろげられていたわけですが、

ある日、今日は静かだなぁと思っていたところ、

わんっ!

という、大きなひと吠えが聞こえてきました。

何事かと、声のしたほうへ行ってみると、

寝室の隣の、誰も居ない部屋で、

抗議の表情を浮かべたがぶが仁王立ちしてました。

一度は素直にその場を立ち去ったモノの、

むしゃくしゃした気持ちが収まらず、ひと吠えしたようです。

でも、イヌってたいていその場で発散するものじゃないのかねぇ。

ま、がぶらしいといえば、がぶらしいけどね。

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想い

2021-04-11 23:12:54 | Weblog

がぶが立てなくなってからの16日間。
僕は居間に布団を敷き、毎日隣で寝ました。
しんどそうな様子を見るのはツラくもありましたが、
一緒にいられて幸せでした。



16日間というのも、おそらく闘病生活という意味では短い方なのでしょうね。
しかもその間、ワレワレに迷わせる要素をほとんどもたせることなく、
後悔ない諦めと、ちょっとの介護と覚悟をさせて、
あっという間に逝ってしまいました。
もうあっぱれとしかいいようがないです。



今回のことで、ああすればよかった、こうしたかった、など、
一切ないんです。
これって、すごいことですよね。
自分で思い描いていた理想の別れ方ではなかったのに。
もっと一緒にいたいという気持ちは、
この先何年生きてくれても変わらなかったと思います。
もうちょっとお世話したかったという気持ちがないわけではありませんが、
旅立つ2日前の動画見ると、もう本当に辛そうで、
これでよかったんだと改めて思っているところです。



最期の日も、この前でも後でも、
僕は看取ることができなかったかもしれません。
がぶがこの日を選んだ、といえばかっこいいかもしれませんが、
きっとそうでもないような気もしています。



がぶは僕には従順でしたし、だれに対しても温厚でとてもいいやつでしたが、
気を遣うタイプではありませんでした。
特に歳をとってからは結構気ままな部分も多かったように思います。
だからこそ余計に、僕に執着してくれるようになったのはうれしくもありましたが、
ミミが遠くなり、目も白内障がすすみ、
潜在的に不安を感じることが多くなってきていたのかも、とも思っています。



なので、今回もワレワレのためにがんばって生きていた、というよりも、
その時その瞬間を、がぶ自身が生きたいと思って生きていたんだと思うし、
尽き果てた時が、たまたまその時だったんだろうと思います。

でも、それでいいんです。

がぶの思うように生きてくれたのなら、それでいいんです。
最後の光景に入ることもできました。
僕はがぶのおかげで最高のドッグライフを過ごすことが出来ました。
本当に感謝しかありません。



ただ一つ、ウソとなり得ることを書いてしまっていたことに気づきました。
ここ数年かんがえていたことでもあるのですが、
がぶがいなくなったら、もうイヌを飼わないだろう、ということ。



ありがたいことに、がぶのことだけでなく、
ワレワレ、特に僕のことも多くの皆さんにご心配いただいておりますが、
皆さんが思っている以上に大丈夫で、
自分で思ってる以上にダメージがあるようです。
今までの記事では、できるだけ冷静に書いてきたつもりですが、
実際には、がぶにしがみついて泣き崩れることもありました。
病院でも説明を聞いている間は冷静だったのに、
自分の思いを伝えようとした瞬間、
思いがけず涙があふれ、うまくしゃべれなくなってしまったり。
みなさんからいただいたコメントを読み直しては涙したり。
そして、時間が経てば経つほど、しんどかったりします。
もう、コテンパンにやられた感じです。



それに、もし新しいコを迎えたとしても、
もうこんなに手をかけることはできないと思います。
「がぶが悪いコにならないように」と、
パピーの頃は本当に、本当にたくさんの時間をかけてきました。
がぶのもともとの性格や、
関わってくださった皆さんのおかげもありますが、
どこへ連れて行っても、誰と会わせても、
どんな小さな子供や、赤ちゃんに会わせても、
なんの不安も感じることはありませんでした。
でも、仮にがぶをもう一度迎えられたとしても、
この先、同じようには育てられないだろうなと思うんです。



それでも世の中、絶対なんてありません。
もしかしたら、明日にでも運命的な出会いがあるかもしれません。
これだけツラい思いをしても、
「それでもやっぱりイヌと暮らしたい!」
と思うかもしれません。
いや、そうなれたらいいなぁとも、実は思っています。



だって、こんなにステキな時間、
他の何ものにも代えがたいものだと知ってしまったのですから。

「ケモノのぬくもりを知ったものはそれなしでは生きられない」

尊敬する獣医師のこの呪縛のような言葉から、
僕は抜け出すことはできないかもしれないし、
抜け出したいとも思ってはいないんです。
今は無理だと思っていても、そんな日がそう遠くない将来、
訪れることをココロのどこかで願っています。



がぶ、14年前のあの日、出会ってくれてありがとう。

そしてこのかけがえのない14年間を、
本当にありがとね!


こんな脱力でおサボりなブログにお付き合いいただいたみなさま。
本当に長い間ありがとうございました!
今、がぶのいなくなったココロの隙間を埋めるように、
過去記事を読み直しています。
本当にいろんなところへ行ったし、いろんなことをしたなぁって思います。
がぶがいなければ行かなかった場所、出会えなかった方々。
改めてがぶの存在の大きさを感じますし、
また、ブログも続けてきてよかったと思っています。
それもこれも、読んでくださる皆さんがいなければ、
こんなに長く続けることはできませんでした。
感謝してもしきれません。
といいつつ、まだコメントのお返しもまだだというのに、
駆け足的に記事ばかり書いてスミマセン・・・。
忘れられない、忘れたくない出来事や想いも、
やはりどんどん忘れていってしまうもの。
書けるうちに書いておきたかったのです。
本当に最後まで勝手でスミマセン。
とはいえ、今後もしばらくはここを閉じるつもりはありませんし、
もうちょっと、書き足りなかったことなど書いてみようかなと企んでいます。
それこそ記憶力がどんどん弱まっていくワレワレのための備忘録でもあります。
もしお時間のあるときにでもお立ち寄りいただけたら幸いです。
あ、まずはコメントのお返しですけどね(笑)。

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経過

2021-04-08 21:45:52 | Weblog

今回は備忘録も兼ねています。
かなり長いですし、楽しい記事ではないと思います。
苦手な方は遠慮なくスルー、もしくは途中退室してくださいね。


2月2日 健康診断。
体調不良のサインといっても確信的なものではなかったんです。
食後に「伏せ」の体勢をとることがたまにあり、
それがちょっと気になりました。

がぶは普段、後ろ足を横に出すような伏せはしますが、
この真っ直ぐの「伏せ」をあまりしませんでした。
おなかが痛い時などに似たような姿勢をとることはあったので、
ちょっとおなか痛いかな?だるいかな?程度でした。
実際それ以外は特に変わった様子もなく、食欲もフツーにありました。

この健康診断で、初めて肝臓の数値が高くなっていることと、
エコーでは腫瘍らしきものを指摘されました。
ガンを想定するほどの数値ではないこと、
確定診断にはそれなりのリスクもあること、
などから、経過観察としました。
知りたがりなワレワレを理解してくれたのか、
「ピンポイントでの採取は無理かも」との前提ではありましたが、
注射器様のもので肝臓の組織を採取してくれて、検査にだしてくれました。


2月13日 細胞診の結果がでる。

奇しくもがぶの誕生日に検査結果を教えてもらいました。
採れた細胞が少ないので確定的にはいえないけれど、
良性の可能性が高いとのことで、一安心しました。


3月4日 昼の散歩で歩かず。

外に出て、数歩で座り込んでしまいました。
この時はアシのせいかな?とも思ったのですが、
無理せずその場で抱っこして戻りました。
戻ってからは特に変わった様子もありませんでした。
夜寝る前にしたおしっこが赤っぽくみえましたが、その後は普通に寝たので、
一応朝までシートを捨てずにとっておき、寝ることに。
朝シートを見ると赤くはなかったので気のせいかと思ったところ、
朝ご飯の時にへたりこんで、珍しく失禁。
その色は明らかにおかしく、がぶも立ち上がれなくなっていました。

急いで病院へと思ったのですが、あいにくの休診日。
それでもいつもの病院の別院がやっていたのでそちらへ駆け込みました。
エコーと血液検査をしてもらった結果、
貧血と肝臓の数値が異常に高いことが発覚。
おそらく腫瘍からの出血ではないかと。
出血が止まらなければ最悪の結果もあると聞き、
覚悟しておく必要があるかもとおもいました。
結局この時から、立ち上がることは一度もできませんでした。
実はこの日の朝方、珍しく吠えてがぶつかい子を起こしたそうです。
しばらく撫でていたら落ち着いて寝たそうですが、
きっと自分でも急激な体調の悪化が不安だったんでしょうね。
この日から、僕は居間に布団を敷き、一緒に寝ることにしました。


3月5日 再び病院へ。
貧血の具合などを確認するためにもう一度血液検査をしてもらったところ、
出血が止まっていない様子。
このまま止まらなければ2~3日と言われたのですが、
食欲はあったので、なんとかがんばって欲しいと願っていました。
止血と肝臓の薬をもらい、帰宅しました。


3月10日 再び病院へ。
なんとか2~3日の山場を越え、薬もなくなったので、
再び病院へいきました。
血液検査の結果、貧血は下げ止まっているらしい。
ただ、この時エコーも撮ってくれたのですが、
先月よりも状態はよくないようでした。


3月11日 大学病院を紹介してもらう。
それまではリスクのある手術は考えていなかったのですが、
覚悟をしていた2~3日を越えられたこと、
14歳まで僕のわがままに付き合ってくれたこと、
倒れてからの数日ではありますが、特に夜はツラそうなこと、
できることならあまりツラい時間をながびかせたくないこと、
出血を止めるには最終的には外科的な手術しかないこと、
やるなら輸血の準備や設備、人員のそろったところが望ましいこと、
など、いろいろと考えた結果、
大学病院を紹介してもらうことにしました。
診察日は次週の水曜日。なんとかそれまでがんばって欲しい。


3月14日 脱力状態に。
それまでは立てないまでもアシをバタバタ動かしたり、
上半身を起き上がらせたりはしていましたが、
この日の夜くらいから、ほぼカラダが動かない状態になり、
抱き上げてもダランとしてどこにもチカラが入っていない感じでした。
いつも室温を下げてもはぁはぁするくらい暑がりなうえに、
カラダのしんどさも重なり、
それまでは息づかいが荒いことがおおかったのですが、
もうはぁはぁする気力もない感じに見えました。
数日前から食欲も落ちてしまったので、
おやつや缶詰、肉にパンやヨーグルトなど、
手当たり次第試してみました。
それでも食べれるのは少しだけでした。


3月15日 再び病院へ。
せっかく紹介してもらった大学病院。
水曜日の検査を無事に受けられるようにと、
点滴と飲めなくなっていた薬を注射でしてもらいました。
効果がどこまで見込めるかはわからなかったけれど、
やらないよりはいいだろうと。


3月17日 大学病院へ。

すでに抱っこするにしても脱力状態で、
問診や診察、移動や説明を聞く間のことなどを考え、
キャンプ用のカートに乗せてみました。
これがジャストサイズ。
大げさすぎるかな?とも思いましたが、
検査にもこのまま預けることができたので、
精神衛生上もよかったです。

検査の結果は前回の記事の通りです。
先生の説明もとってもわかりやすかったのですが、
CTの画像はよりイメージしやすく、撮ってもらえて本当によかったです。
それは延命治療はしないと決めていたワレワレに、
何の選択の余地も与えないようなモノでした。

だって、これ。
なんともない部分を探す方が難しいくらいじゃないか。

延命治療はしない、ということのほかに、
僕の中できめていたことがあります。
それは、何もしなければ数ヶ月単位でこの状態が続くというなら、
どんなにハイリスクでも手術をしてほしい。
何もしなければ数日しか残されていないというなら、
ハイリスクな手術はしない。ということでした。
ちょっと一般的な感覚とは反対かもしれませんが、
長く苦しませたくないというのと同じくらい、
出来れば自宅で看取りたいという気持ちはあったからです。
結果的に予想外の結果にはなりましたが、
ここからの過ごし方に迷うことがなくなりました。

最期の2日間くらいは、それまで荒い息づかいすら出来ない感じだったのが、
その脱力感を越えるくらいのしんどさだったのか、
再び息づかいが荒くなっていました。
瞬きもほとんど出来なくなり、目が乾燥してきました。
もういつそのときが来てもおかしくないと思っていました。
どのみちそのときが来るなら、
出来ることならその瞬間、そばに居てあげたい。
そう思うとちょっとした時間も離れるのが怖くなりました。
朝がきて、昼になり、また夜が来る。
時折息づかいがさらに荒くなる度に、ココロがざわつきます。

そして3月21日、日曜日。
もうシリンジを使ってでも、水を飲むことすらできなくなっていました。
夕方、もう口を大きく開けることが出来ないのか、
口角側だけを開けるように荒い息をし始めたところで、
僕は分かった気がしました。
そこから1分くらいでしょうか。
大きく暴れることもなく、一瞬だけ全身にチカラが入ったあと、
息を引き取りました。

結局、がぶは最期の最期もきちんとサインを出してくれたような気がします。

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診断

2021-04-04 23:08:29 | Weblog
「組織球肉腫」
 
大学病院で出された、もっとも可能性の高い病名。
最終的には組織検査が必要だけれども、
1ヶ月まえの健康診断の結果や数日前の血液検査の結果、
ここ数日の急速な体調の悪化などを考えると、
おそらくこの可能性が一番高いだろうと。
僕は今までこの病名を聞いたことがなかったのですが、
大型犬に多いらしいですね。
そして、ものすごく進行の早い病気だそうです。
発覚してから、数日から長くても半年。
もしこの病気だったとして、抗がん剤が効く可能性は50%。
今回、がぶの場合もこのままだと1週間だろうと。
 
「もしくは・・」
と、続けられた時には、
もしかしたら回復する可能性のあるものが告げられるんじゃないかと、
一瞬期待してしまいましたが、
聞こえてきた言葉はいわゆる「ガン」でした。
 
もともと延命治療はしないと決めていたワレワレ。
それでも今回の体調悪化の原因が出血で、
もし外科的手術で出血を止められる可能性が少しでもあるなら試したい、
ということで受診した僕としては、
もう選択の余地はありませんでした。
 
最初の問診では、血液検査やエコーを行い、
場合によっては腫瘍に針を刺し、採取できた細胞を顕微鏡で観察する細胞診やCTを撮り、
総合的にみて、どんな病気かを調べるということでした。
おおよそ半日の待ち時間。
その間、考えていたのは、CTまでたどりづけるだろうか、ということでした。
今までやってきたことと同じ検査までしかできず、
「最終的には組織検査が必要ですが、おそらくガンです」
と言われることが一番怖かった。
今考えれば、僕が欲しかったのはセカンドオピニオンではなかったんだと思います。
出血を止める手術が出来るかどうか。
出来るなら可能性が低くてもして欲しい。
その一点だったんだと思います。
なので、せっかくここまで来て、今までと同じ検査しかできず、
そのまま何もできずに帰ることになっていたら、
きっとここまで納得した見送りはできなかったと思います。
実際には担当の先生が、がぶの現状をみて、
検査に時間をかけていられないということと、
まるで動けない状態だったということもあり、
麻酔なしですぐにCTを撮ってくれたようです。
結果的に出された診断は「手術はできない」ということで、
僕の望んでいたものではありませんでしたが、
現状を理解するだけの十分な情報をもらうことができて、本当によかったと思っています。
 
一ヶ月前に受けていた健康診断も本当に良かったと思います。
これがなければ、いつ頃から病気が始まっていたかの予想もできず、
今回の診断も理解できないまま、慌てふためきながら、悪あがきをしていたかもしれません。
そしておそらくこれが半年前に受けていても、何も出なかったんだろうと思います。
もちろん、ちょっとしたサインがあったから、この時期に健康診断を受けたのですが、
本当にいろんなことが必然だったように思います。
 

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