がぶろぐ

非運動系のボーダーコリー「がぶ」。
小柄で巻き毛でビビリだけど、リッパな家庭犬目指して頑張ります!

アッシュ、ありがとね。

2020-05-21 23:04:03 | 駆け抜けていったモノたち
アッシュとの出会いは、がぶがまだ生後数か月の頃でした。



しつけ方教室の看板犬だったアッシュ。
そこは、イヌと人がいっしょに暮らしていく上で、どうすべきかをイヌたちに教えるのではなく、
イヌたちにどう接していけばいいかを、ワレワレ飼い主に教えてくれる場所でした。
もしかすると今ではそういうほうがメジャーなのかもしれませんが、
少なくとも当時の僕にはとても新鮮でした。



かつて実家で飼っていたイヌを、ある期間訓練所に預けたことがありました。
「しつけ」や「訓練」というと、そういうイメージを持っていましたが、
この教室は僕の想像とはまるで違うものでした。
そしてアッシュはただのモデル的な看板犬ではありませんでした。
機械的に従うというより、求められていることを理解し行動する、
まさにパートナーという感じでした。



中でも一番驚いたのは、
自分の中で湧き上がる「怒り」ではなく、
求められた上で他のイヌを「叱る」というような行動でした。
そんな場面を目の当たりにしたときの衝撃を、
いまでも忘れることはできないし、
僕の中のイヌという概念を、いい意味で大きく打ち砕いてくれました。
驚きと同時に、こんなこともできるのかと、ワクワクしたことを覚えています。
アッシュという具体的で大きな目標が見られたことは、
今の僕とがぶとの関係には欠かせないものだったと思います。



見た目はちょっと怖かったけど、
実はヒトには甘えん坊で優しかったアッシュ。
僕たちは先生とアッシュのようにはなれないけれど、
僕たちにとってのいい関係へと導いてくれました。
アッシュは僕たちにとって、いつまでもあこがれの存在です。



本当にありがとね。

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素直に伝えよう

2015-12-15 23:47:24 | 駆け抜けていったモノたち
先日、チョコラブの「セロちゃん」が虹の橋へと旅立ちました。



異変に気づいた翌日、向かった病院ではすでに手遅れだと言われたそうです。

セロちゃんは同じしつけ方教室の生徒さんで、

がぶが最初にお宅訪問をしたオトモダチでした。



「5日間できる限りのことはやったから後悔はない」

というカイヌシさんの言葉が心に残ります。


僕はちょっと悩んじゃいました。

何をどう書いたらいいか。



セロちゃんがいなくなったことの寂しさももちろんですが、

同世代で一緒に成長してきたコがいなくなるというのは、

この歳になると、今まで以上に落ち込んでしまいます。


そんなある時、

ふと座ったスツールの下に、ありえないものを発見。



なぜここに?

おそらくキレが悪いまま歩いてきて、

振り返りざまに投げ落としていったんだろうと想像はできますが、

日常に転がる想像を超えたハプニングの発見に、

思わず一人で声を出して笑ってしまいました。



そして気づかされました。

「思わず」くらいでいいんですよね。

楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しい。



何かを「書こう」と思うから悩んじゃっていたのかもしれません。

思ったこと、感じたことをそのまま表現すればいいだけなんですよね。


言葉って、面白くて、難しい。

表現次第で伝わったり伝わらなかったり。

ともすればその表現方法に気を取られがちですが、

もっとシンプルでいいんですよね。



ブログだけじゃなく、がぶとの接し方もそう。

楽しいと伝えられる今こそ、素直にその気持ちを共有しておきたいと。


セロちゃん。



もうそのカラダに触れられないのは悲しくて寂しいけど、

それ以上にたくさんの楽しい思い出をありがとうね。




実はセロちゃんとお別れの日、カイヌシさんは話してくれました。

「またイヌを飼いますよ」

イヌとの関わり方は人それぞれだけど、

僕はそんなカイヌシさんを頼もしく、

そしてイヌ好きとしてちょっとうれしく感じました。

きっとまたステキな出会いが訪れますように。

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一緒にいたい。

2014-12-11 23:54:44 | 駆け抜けていったモノたち
昨日、がぶのオトモダチのケリーが虹の橋へと旅立ちました。



前日までゴハンも食べて、自分で歩くことも出来ていたというのに。

最後は寝ていたカイヌシさんに挨拶をするように起こしてから旅立ったそうです。



15歳。

実家で一緒に暮らしてきたイヌたちがみんな13歳前後だったので、

がぶにもせめてそこまではと願ってきたけれど、

その半分を超えた今、

13歳なんてもちろん、

15歳だとしても全然短く感じてしまいます。



いつかは必ずくるその時。

どうしても避けられないものだというのなら、

せめてその瞬間には一緒にいたい。

僕らの「勝手」から始まった一緒の生活。

たとえがぶが望んでないとしても、

最後の「勝手」を許してほしいとさえ思っています。



そう考えると、最近は体調不良で入退院を繰り返していた中、

最後の瞬間にカイヌシさんと一緒にいられたというのは、

ケリーはもちろん望んでいたことだと思うし、

カイヌシ孝行だなぁと思いました。



今日の昼、会社に寄ってくれたので、

がぶも一緒に最後の挨拶ができました。

声に出そうとするとどうにも胸がつかえて言葉にならないから、

ここに書いておくね。



いままで遊んでくれてありがとね。

おやすみ。

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ダイコク、またね。

2013-03-24 22:00:35 | 駆け抜けていったモノたち
がぶつかい家の実家に暮らす、ケヅメリクガメの「ダイコク」。



先週、突然虹の橋へと旅立ってしまいました。

原因は・・・わかりません。

この18年間、ほぼ同じような生活をしてきて、

てっきり僕らと同じくらい生きると思っていたので、

とっても驚いたのと同時に、

飼うことが難しい動物なんだということを改めて実感しました。



特別、スキンシップやコミュニケーションをとるわけでもなく、

イヌなどとはまるで違う関わり方ではありましたが、

なんとも言えない存在感と安定感のあるコでした。



車に乗せて、長距離ドライブをし、



大草原にも行きました。

カメらしからぬ素早い動きでそこらじゅうのタンポポを食べまくり、

大きなゲップをした後、突然寝始めた時は驚きましたが、

あの満足そうな表情が忘れられません。



家にいても決まった時間になると、

自分の寝どこに入っていくダイコク。

この大草原でも寝どこを探してか、

僕らが見てない隙に山奥へと向かっていったそうな。



なかなか春の兆しがみられなかった、今年の冬。

今日あたりはようやく春の日差しを感じられました。

春はもうすぐだったのに。



ばあちゃんとダイコク。

長寿の象徴だったフタリがいなくなってさびしいですが、

ばあちゃんについていったのかなと思えば、

陸ガメなので竜宮城はいけないけれど、

ちょっとは心強いかな?

今までありがとね。



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じょんぺ、ありがとね。

2013-01-29 00:05:50 | 駆け抜けていったモノたち
がぶつかい家の実家の脱走兵、「じょんぺ」。
実は正式には「ジョン万次郎」という名前だったのですが、
今朝、虹の橋へと旅立ちました。



もともと飼育放棄犬として迎え入れることになったじょんぺ。
当時、まったく落ち着きのない動きやカラダの状態から、
1~2歳ではという話だったので、享年9歳前後ということになりますが、
実際にはもっと年をとっていたんだと思います。



数ヶ月前から足腰は弱っていて、
散歩の足取りもおぼつかず、
歩道の段差で転ぶこともしばしばでした。



どんなことがあっても怒ることがなかった、じょんぺ。
がぶが積極的になれる、数少ないやさしいコでした。
散歩中にノーリードの大型犬に襲われたときも、
逃げも鳴きもせず、ただなされるがまま。
そしてなにより、
いたずらをして怒られても喜んでシッポを振ってるくらい、
ヒトと関わることが大好きでした。



眠っているみたいなのに、
撫でると数日前とはまるで違う感触。
「もう寒くないよね」
と声をかけながらも、どんな反応すらも返ってこないことを実感すると、
胸が苦しくて仕方ありませんでした。



がぶの、遠い将来の「いつか」を想像してしまって、
ということもあるかもしれませんが、
実際に目でみて、手で触れて、
純粋に「じょんぺ」への想いが、
たくさんのまとまらない言葉としてあふれてきました。



いままで僕の中を駆け抜けていったコたちも、
その旅立ちの日はいい天気のことが多かった気がします。
そして今日も、特に午前中はとってもいい天気でした。

最初は「散歩」も知らず、全力であちこち歩き回るばかりだったけど、
今はちゃんと「道を歩く」ということがわかるようになったんだから、
自由に動くようになったそのアシで、
迷わず虹の橋まで行くんだよ。



結局、言葉はまとまらないままだけど、
この想い、せめてこの1ページに残しとくね。

たくさんの思い出、ありがとね。

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ありがとうね

2011-04-06 21:55:29 | 駆け抜けていったモノたち
昨日、チーズママさんからメールをいただきました。



昨年、骨肉腫のため断脚手術を受け、
その後も抗がん剤治療などを頑張ってきたのですが、
チーズパパさんの待つ東京の自宅へ帰った次の日に、
虹の橋へと旅立ったそうです。



もともと連休には札幌に来ることにはなっていたのですが、
抗がん剤治療の関係で、いったん延期になっていました。
それが今回の震災の影響もあり、
パパさんを東京の自宅に残し、札幌に来ていたのです。



抗がん剤治療って、とても大変なんですね。
来たころはゴハンもおやつも食べれないほど体調が悪く、
もう東京には戻れないかもと思われていました。
でもしばらくすると抗がん剤の影響が薄れてきたせいか、
徐々に元気を取り戻し、
ゴハンも食べれるようになっていました。



獣医さんも驚くほどで、
これだったら大丈夫かもということで、
東京に帰れることになったのです。
とはいえ、もちろん病気が治ったわけではありません。
徐々に元気はなくなっていき、
先週末にはまた何も食べなくなっていました。



たいていのコは、ヒトが好きか、イヌが好きか、
どちらかに偏ることが多いと思いますが、
チーズはイヌにも僕にも同じように、
目の前の相手と本当に楽しそうに接してくれる、
元気でやさしいコでした。



でもそれはもしかしたら、
チーズママさんが僕のことを「チーズのオトモダチ」と呼ぶように、
チーズも僕のことを本当にイヌだと思っていたのかもしれませんね。



チーズママさんにメールを返しているときは、
まだいくらか冷静でいられたのに、
いざ声にだして伝えようとすると、
「チーズが・・・」と言った後、
口は動いているのに声が出ず、
自分でも驚くくらいに感情が乱れていることに気付きました。



言葉って、大事ですよね。
言わなくても伝わる関係というのもステキですが、
言葉にはそれ自体にも大きなチカラがあるように思います。
感情を解き放つ、カギのような役割もあるかもしれません。



チーズにも会うたびに、いろんな言葉をかけてきました。
果たしてどのくらい伝わっていたでしょうかねぇ。
そして、あの時最後とわかっていたなら、
きっと言葉にだして伝えたかった言葉。
今ならここでも伝わるかな。



チーズ。
本当にありがとね。

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イヌとともに

2009-10-04 23:58:00 | 駆け抜けていったモノたち
昨日は、がぶつかい子の実家の先代「はち」の命日だったので、
まだ自然が多く残る郊外のペット霊園に、お参りに行きました。



はちは僕にとって特別な存在で、
がぶを迎え入れるきっかけになったイヌでもあります。
見方によっては、がぶとズイブン似ていました。
そして見かけだけでなく、性格もどことなく近かったりします。
がぶは洋犬版のはちみたいです。

はちは、がぶつかい子家族にとって、初めてのイヌでした。
新聞の「あげます欄」をみて、僕も一緒にもらいに行き、
実は僕もやったことがないのに、初めてのシャンプーをしてあげ、
ほぼ毎日のように会いに行ってました。



はちはとっても人見知り・イヌ見知りでしたが、
僕にはとっても懐いてくれました。
それまで一緒に暮らしてきた、どのイヌよりも。
僕が行くと、飛びついてきて喜んで、
イキオイあまって僕の頭を乗り越えていくこともよくありました。



はちは9歳のとき、イヌとの事故がきっかけで、内臓疾患が見つかりました。
家族総出で、できる限りの看病をしました。
おそらくここまで手をかけてあげられる環境も、なかなかないと思うくらいでした。
はちもよく頑張ってくれました。
最後の日まで自分の足で立ち、
最後の瞬間まで、意識もはっきりしていました。

具合が悪く、ほとんど寝てることが多くなってからも、
僕が行くとシッポをふって出迎えてくれた、はち。
僕はその日、自分の判断ミスで、
はちの最後の光景に間に合うことができませんでした。

何かを探すように、あたりをぐるっと見回したあと、
虹の橋へと旅立ったそうです。
まだ開いていたその目には映っているのに、
僕を認識してくれないことがわかると、悔しくて悲しくて、
はちにしがみついたまま、離れることができませんでした。



人格ならぬ、犬格を感じていた、はち。
それから家族はペットロスになり、
何をしても満たされない、悲しみの日々が半年続きました。

「ケモノのぬくもりを知ったものは、それなしでは生きられない」
イヌで失った笑顔は、イヌでしか取り戻せない。
当時ペットが飼えないマンションに住んでいながらも、
まずは僕たちがイヌを飼おうと、
がぶを迎え入れることを決めました。



がぶのおかげで、今では家族みんな笑顔を取り戻しました。
「ペットロスはなおらない。でもそれでいい。」
実際、まだなおったわけではありません。
いまだに思い出しては涙を流すこともあります。
それでも、はちの話をすることができるようになりました。
時にはくらべたり、時には笑い話にしたり。



イヌってすごいなぁと思います。
イヌってありがたいなぁと思います。

がぶ。
いまその瞳には僕らが映っていて、しっかり認識してくれているよね。



いつか「その日」が来たときに、
どんなにつらい状況だったとしても、
きっとその最後の光景に入りたいと思います。



そしてがぶにもそう望んでもらえるよう、
僕の中を駆け抜けていったものたちに感謝しつつ、
努力の日々を続けて行こうと思います。

だなんて、



中秋の名月を眺めながら、感傷に浸ってしまいました。
ちょっと強引でしたかねぇ?(笑)

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それでも僕はイヌが好き

2008-12-15 18:16:35 | 駆け抜けていったモノたち
がぶつかいの実家のこたつ犬、どんちゃん



今日、大好きなべべさん(がぶつかい母)に抱かれながら、
虹の橋へ旅立ちました。
ここ数日、ごはんをほとんど食べませんでしたが、
昨日まで自分の足でしっかり歩いていたそうです。
直前まで、身体は動かなくても、
べべさんをしっかり目で追っていました。
最後は暴れることもなく、静かに息を引き取りました。



ただ、どんちゃんの場合、元のカイヌシさんが先に待ってるので、
寂しくはないでしょう。
たとえ2年であっても関わりをもった者としては、
やはり寂しいですけどね。


「動物はこれがあるから飼いたくない」
という方もいますが、
僕はそれでもイヌとの暮らしは続けたいと思います。
今までもいろいろな別れがありました。
とてもつらく悲しく、今でも思い出すたびに苦しくなるような別れもありました。
でも、今はがぶのおかげで、日々をより面白おかしく暮らせていると思います。



でもそれは、決して感情や記憶が上書きされるわけではなく、
今までの思い出と一緒に生きています。
時には思い出して悲しんだり、時には比べて笑い話にしたり。
それでもどうしても忘れてしまう出来事もあるけれど、
想いが消えるわけではありません。
記憶の容量に限りはあったとしても、
心の容量に限りはないと、僕は思います。



「ペットロスはなおらない。でもそれでいい。」
ある記事に書いてあった言葉です。
なおらないからこそ、一緒にいられる時間はできるだけ一緒にいたい。
今までのイヌたちに感謝しつつ、
そのイヌたちのためにも、
今を精一杯幸せに生きていきたいと思います。



今朝は初めて、涙をポロっと一粒落としたそうです。
自分でも何か感じてたんでしょうかね。



どんちゃん、
幸せな思い出をいっぱい、ありがとね。

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