本日、標記の会議を上伊那農業高校で行いましたので、出かけてきました。いつものように、石城諏訪清陵高校校長先生と一緒に出かけました。2人で一緒の車で出かけますと、それだけ「旅費」の節約にもなりますし、行き帰りに様々な話ができて、とても有意義だからでもあります。昨日紹介した「エコマネジメント」の1つでもあります。
今日は、学校に立ち寄り、宿題を持ち、執務することなく上伊那農業高校に向かいました。本校7時15分発でした。
上農の庭園 建物はすべて2階建て以下です
上農の不思議な廊下
諏訪からですと、下道で行く場合、有賀峠を越えて辰野に出て、それから上農のある南箕輪村に向かうのが一番よい選択肢かと思います。
諏訪に来てわかったのですが、有賀峠の向こう側に、諏訪市分の集落があります。どうしてそういうことになっているのか、また、調べてみたいと思いました。
県境をめぐっては、例えば、佐久市(旧臼田町)の田口峠の向こう側に、広川原と馬坂(まさか)という信州側の集落があります。長野県が持つ唯一の利根川の支流、馬坂川の脇に両集落が山を背に点在しています。この両集落、臼田町誌の民俗編を作るときに何度か訪れました。なぜ峠の向こう側に信州の集落があるのか、これには伝説があり、信州の殿様と上州の殿様が、「鶏の朝の時を告げる声を聞いたら、お互いに道を進め、出会ったところを国境にしよう」と申し合わせたところ、「信州側の殿様が、鶏に早く時の声を告げさせ、早めに出かけたので、峠の向こう側に国境が引かれることになった」といった話であったかと思います。この資料は佐久の自宅にあるので、うろ覚えの話ですみません。
ちょっと調べました、以下のウェブ上の記事は参考になります。
http://www.geocities.jp/gunmakaze/column/06tagutitouge.html
帰りは、往路と違った道で帰ってきました。高遠にいったことがなかったので、そちらを経由し、杖突峠を抜け、茅野に出て、諏訪に戻りました。
高遠城址公園
桜の名所です。
今日は、雨模様でもあり、人影はありませんでした。