クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

加古川線全駅下車の旅(その1)

2013-11-10 19:09:02 | 陰陽連絡線

 お待たせしました。2012年師走の加古川線駅巡りの模様をお伝えします。2012年冬の「18きっぷ」の使い始めということで、12月14日(金)~16日(日)と設定しました。行きは高速バス、帰りは飛行機ということにしました。
 出発に先立ちまして、加古川線の概要を紹介します。加古川線は、加古川と谷川を結ぶ全長48.5km、駅数19の地方交通線で、粟生にて神戸電鉄と北条鉄道に連絡しています。長らく非電化路線でしたが、平成16年12月19日に電化を果たしています。この路線は西脇市を境に性格が大きく異なります。加古川~西脇市は、電化と同時に投入された103系3550番台が中心で、出入区の関係で125系が入ります。西脇市~谷川は通称「谷川線」と呼ばれ、125系が闊歩するだけのローカル線で、駅設備も一段と貧弱になっています。
 それでは出発しましょう。


2012年12月14日(金)。この日も通常通り勤務でしたが、母に送ってもらい、信越本線457M(115系N20編成+L8編成)で新津駅を出発。新潟駅到着後、22時5分発の「おけさ号」(新潟200か575)で一晩過ごします。途中、栄PAと菩提寺PAで休憩。


5時40分に京都駅前の新阪急ホテル前に到着。どうやって加古川線にアプローチしようかと迷いましたが、6時12分発の東海道線705Kで一気に加古川まで進みます。221系B8編成のみで混んでたので、長岡京で下車した女性の隣に座らせてもらい、朝食を取りながら一人で第九コンサート。



7時58分に加古川駅に到着。8時16分発の1327S(103系M1編成)に乗り換え、加古川線の駅巡りを開始。



粟生にて停車時間があったので、1330Sを狙います。こちらは103系M6編成でした。



9時3分に滝駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。



ホームの先端まで行ってみました。周囲は住宅地ですが、向こうに独特の山容の山が見えます。



では、ホームの上へ。ベンチ3脚に乗車駅証明書発行機。勿論無人駅です。



駅裏の様子を。一昨年の12月に播但線を旅しました。この時も麓の山々が色づいていましたが、同じ兵庫県内の「陰陽連絡線」でも雰囲気が全然異なります。優等列車がなく、全列車がワンマン運転だからか。



それでは駅舎撮影。見ての通りの待合ブースです。公衆電話が設置されています。これでも競馬収益金をもととする自治振興資金で建てられたものです。尚、加古川方には仮設タイプのトイレがあります。



最後に時刻表を。下り19本、上り18本です。


烏山線にも滝駅がありますが、そちらも無人駅です。で、滝野駅までは近そうなので、歩いてみることにします。烏山線の方は近くに龍門の滝がありますが、こちらにもあるのかな。


つづく


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いよいよ終末期を迎える特急はくたか号

2013-11-08 22:50:07 | 北陸線

 北陸本線の国鉄型電車の次は、特急はくたか号の話題をお伝えします。
 特急はくたか号は、越後湯沢からほくほく線を通って金沢・和倉温泉・福井に行く列車で、首都圏と北陸を結ぶ重要な役割を果たしています。トランスポンダを搭載し、ほくほく線内にて「高速進行」区間で140km/h運転を行ってきました。後に、683系8000番台が投入され、最高速度が140km/hから150km/h、そして160km/hと引き上げられて現在に至っています。
 では、特急はくたか号の模様を見てみましょう。



2013年7月13日。谷浜駅を通過する「はくたか4号」。681系W14編成+683系N13編成でした。



谷浜から直江津に戻って「はくたか6号」を。前の編成は、独特のフォルムの683系N03編成でした。



後ろの編成は、681系N12編成でした。両方とも北越急行の車両とは結構レアじゃないですか。



3、4番線に行って「はくたか9号」を。前の編成は681系W13編成でした。



後ろの編成は681系W03編成でした。ホワイトウィングはJR西日本車です。



2013年8月25日。魚津駅に到着する「はくたか17号」は、681系N11編成+N01編成でした。



549Mなどで名立駅に移動し、「はくたか19号」を撮影。681系W11編成+N02編成でした。夕日に当たってロマンチックな色合い



2013年10月5日。直江津駅に入線する「はくたか5号」。前の編成は、まるで中間車のような683系N13編成でした。



後ろの編成は681系W01編成でした。「和倉はくたか」の併結相手が上下で異なるようになってから、混色の「はくたか」が結構見られるようになりました。



その直後にやってきた「はくたか4号」。前の編成は681系N02編成。



発車したところをパチリ。後ろの編成は681系N11編成でした。



名立までの往復を終えた後、「はくたか6号」をパチリ。前の編成は681系W02編成。



後ろの編成は681系W11編成でした。この列車は正調のホワイトウィングでした。



12時過ぎにやってきた「はくたか9号」をパチリ。前の編成は681系W13編成でした。



後ろの編成は、683系N03編成でした。終焉が近づくにつれ、日に日に注目を集めています。


 特急はくたか号は以上です。北陸新幹線が開通すると、この681系・683系による「はくたか」は終焉を迎えます。北陸新幹線が開業すると、681系は京都車を含めて淘汰されるでしょう。683系8000番台の行方は如何に。尚、「はくたか」の愛称は、北陸新幹線の列車名に受け継がれます。
 次は、2012年12月の加古川線の乗り継ぎ旅をお伝えします。


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いよいよ終末を迎える北陸本線の国鉄型電車(第2回)

2013-11-06 22:51:00 | 北陸線

 北陸線の国鉄型電車の話題をお伝えします。
 北陸新幹線の開業を控え、日に日に注目を集めている北陸線の国鉄型電車。10月13日~14日に「北陸本線100周年記念号」として、「くずりゅう」とか「ゆのくに」とかのヘッドマークを掲出して、国鉄色の475系6連が敦賀~糸魚川を走り抜けたことが記憶に新しいでしょう。これから475系電車を中心にお伝えします。撮影日は2013年10月5日(土)でした。



北陸線533Mが直江津駅に到着すると、すぐに485系R26編成による「北越2号」と並びました



「北越2号」が発車すると、デカ目の475系A24編成が姿を現しました遅ればせながら初撮影です。



このA24編成はJR西日本オリジナル色です。クハ455-59に「北陸本線全通100周年」が掲出されていました。



「はくたか4号」が発車すると、このA24編成が546Mとして姿を現しました



475系電車(クモハ475-51)の車内。ロングシートは車端部のみで、ボックスシートがずらりと並んでいます。



クハ455-59にて。トイレがある車両の洗面所は健在です。



クモハ475-51にて。急行列車として運用されていた頃の名残で、洗面所は固く塞がれています。



475系電車に乗る機会はそうないと思われるので、直江津駅から名立駅まで堪能してきました



名立駅の駅舎です。昭和44年7月築の、プレハブ風の駅舎です。トイレは糸魚川方にあります。桜並木があり、4月上旬ともなれば素晴らしい光景となるはずです。



名立駅には学生時代の平成14年2月に降りたことがあり、その当時は委託駅でした。しかし、平成20年4月に無人駅となって現在に至っています。自動券売機とゴミ箱があるのがせめてもの救いです。窓口跡には北陸新幹線の車両が描かれています。皮肉にも、北陸新幹線開通後は不便になるのに。



扉を挟んで直江津方には本棚があり、えちごトキめき鉄道の基本経営計画も掲出されています。



入口側には地元有志の写真や北陸本線の線路切り替え前の風景が展示されていました。



名立からの戻りである535Mは、JR西日本オリジナル色の413系B05編成でした。


 北陸本線の普通電車は以上です。今回は475系電車を中心にお伝えしましたが、国鉄色に染め上げられたA19編成やマリンブルーのA07編成などもいます。これらが見られるのは北陸新幹線開通までで、それ以降は521系タイプの車両に置き換わります。国鉄の雰囲気を味わいたければ今のうちですよ。
 次は、特急はくたか号についてお伝えします。


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飯田線全駅下車への道 第2回(その8)

2013-11-04 22:46:41 | 中部縦貫線

先日は失礼しました。飯田線駅巡りに戻りましょう。


前回はこちら


駅に戻ると、女の子が1人待っていました。彼女とともに、15時33分発の224M(213系H12編成)に乗車して田畑駅を出発。



15時44分に下島駅に到着。片面ホーム1面のみの構内ですが、ホームは広いです。



迎えの車がしこたま待ってたので、先に周辺散策。駅前は、大きな寺院の入口という感じがします。そう、日蓮正宗の寺院である信盛寺へは西方800mです。



進んでも進んでも杉並木です。滞在時間が21分しかないので、ここら辺で引き返します。林の先には㈱タカノ下島工場も。



駅前に戻ると薬師堂があり、庚申塚が多数あります。積雪でもう訳わかりません。



車が掃けたところで駅舎撮影。昭和3年12月築の木造の待合室です。トイレはありません。



待合室内部の様子。広く細長く取られており、木製ベンチが1列になっています。何度も書いてきたことですが、無人駅で券売機の類もありません。



では時刻表を。上下それぞれ21本ずつです。滞在時間が21分しかありません。



出発する前に駅裏を。段丘下は住宅地で、ニシザワショッパーズなどがあって賑やかです。奥羽線の下川沿駅と同様のパターンです。


16時5分発の231M(313系R105編成)で岡谷へ。結構乗ってたので、伊那松島で下りた眼鏡女性と相席させてもらいました。



伊那松島を出たところ。山の稜線に日が沈み、素晴らしい夕景となりました


辰野でゴミ処理を果たし、岡谷にて速攻で中央本線441M(115系C6編成)に乗り継ぎ、松本にて篠ノ井線439M(115系N32編成)に乗り継いで。長野到着後、MIDORI内の大阪王将に入り、蟹豆腐ラーメン餃子セットで夕食。尚、長野駅内の大阪王将は、MIDORI改装工事に伴い、今年7月に撤退しています。



余った時間で駅前をぶらぶら。陸橋ではアルクマのイルミネーションが



19時37分発の「妙高5号」(183系N103編成)で直江津へ。上り列車の遅れでハラハラさせられましたが、直江津にて1355M(115系N19編成)に乗り継ぎ、長岡にて463M(E127系V1編成+V13編成+V11編成)に乗り継いで新津に帰還しました。


 「飯田線全駅下車への道 第2回」は以上です。今回は、伊那地方の9駅を巡ってきましたが、昨年12月の時点でも駒ヶ根駅の凋落ぶりが見て取れました。今年4月の簡易委託駅化は、それに拍車をかけています。また、駒ヶ根ソースかつ丼は心残りでしたがしょうがない。
 次は、北陸本線の普通列車をお伝えします。


飯田線全駅下車への道 第2回   おわり


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寝台特急あけぼの号 来春に廃止

2013-11-02 17:53:38 | 奥羽本線

 これから「飯田線全駅下車への道 第2回」の最終回といきたいところですが、大きなニュースが入ってきたのでお伝えします。
 Yahoo!のニュースによれば、今年度を以て寝台特急あけぼの号が廃止されることが明らかとなりました。昨年3月に「きたぐに」「日本海」の臨時列車化された時点で「あけぼの」もそろそろかと思いましたが、いよいよ現実のものとなるようです。「北斗星」や「カシオペア」がEF510牽引に移行していく中、この列車は最後までEF81とEF64牽引を守り続けました。
 そもそも、「寝台特急あけぼの号」はどんな列車なのか。昭和45年7月に走り始め、上野から日本海側を通って秋田、大館、弘前を経て青森まで結んできました。下りは、上野を21時16分に出て青森には9時52分に着きます。上りは、青森を18時23分に出て上野に6時58分に着きます。昭和55年から24系客車を守り続けてきましたが、一般的なB寝台の他、B個室、「ゴロンとシート」、A個室をつないでおり、新幹線の通らない奥羽本線の北側の利用者に幅広く支持されてきました。
 しかしながら、冬季を中心に羽越本線では強風の影響を受け、奥羽本線では雪などの影響を受け、「寝台特急あけぼの」は大幅な遅延や運休が生ずることが多々ありました。真昼の新津駅にて「回送」で撮影タイムになることもありました。このような光景も間もなく過去のものとなります。
 私個人の考えですが、寝台特急あけぼの号の廃止の背景には、「日本海」廃止から始まった青森運転所所属の24系客車の淘汰計画があると思うんです。利用客減少云々というより、24系客車のうち何両かが検査期限切れを迎えるだけじゃないかと考えられます。現に、何両かが廃車となってますし。仮に、GWやお盆や年末年始といった繁忙期に臨時運転するにしても、「きたぐに」の時のように編成を減らしながら運行し、来るときが来れば完全廃止→24系客車全廃の流れにいくと思われます。来年以降の東北発の「ホームラン号」は期待しない方がいいと思います。
 このように、夜行列車の減少が続いていますが、唯一の明るい話題は「ななつ星 in九州」が先月走り始めたことです。今は、昼の移動は新幹線や飛行機、夜の移動は高速バスの時代です。今時の夜行列車は、旅の目的そのものになりうるジョイフルトレイン的な楽しさがあり、且つダイニングカーでフルコース料理とか懐石御膳とかが優雅に召し上がれるようでなければ生き残れません。


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飯田線全駅下車への道 第2回(その7)

2013-11-01 21:27:13 | 中部縦貫線

14時29分に宮田駅に到着。



それでは周辺散策。駅前には「輪苑」。一輪の会(地元有志のボランティア)によって設立されました。



その中心には「輪条の泉」。中央アルプスからの湧水で美味しい水だったので、空ペットを持ってくればよかった~。



「輪条の泉」の奥には蔵造りの建物。程よく雪が積もっていて素晴らしい雪景色となりました



「輪条の泉」から少し飯田方へ。住宅の向こうにはちょっとした商店街が続いています。周辺は宮田宿という旧宿場町です。平成の大合併の嵐の中、宮田村が独立を守っているのは誇りです。



では、宮田駅の時刻表を。上り22本、下り22本です。宮田駅での滞在時間は21分しかないので、宮田ワインは断念です。



残り短い時間で構内踏切を渡って駅の西側へ。「オギソのばね」の看板がありますが、駅前はNHKニッパツの工場があります。



ホームに上がると、ダテメガネの若い女性が待っていました。そうこうするうちに、313系R編成による謎の回送列車が。その後、14時50分発の227M(213系H11編成)に乗車して辰野方面へ。



15時12分に田畑駅に到着。片面ホーム1面のみの構内で狭いです。



それでは駅舎撮影。昭和14年12月築の待合所で、近くにトイレがありません。



駅舎内部へ。駅舎が細長いので、ベンチも長いです。無人駅で、券売機の類すらありません。



それでは周辺散策。駅前には「まっくんバス」のバス停が。でも、使える本数だとはいえません。天竜川に近いということで、「浸水予想域1.0m」の看板が。



天竜川に向かって歩きます。周辺は古くからの住宅地です。



7分ほど歩いて踏切を渡り、ようやく開けてきました。交差点を渡ったところに浄化センター。いつの間にか天竜川から離れてしまいました。トイレに行こうにも近くにコンビニはなし。



仕方ないので駅に戻ります。蔵造りの家では、冬の風物詩である南天がなっていました


続きはこちら


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