ごく最近買った雑誌『歴史通』という本は、読み出すと様々な分野が、目新しくてしばらくは、時間を忘れて見入ってしまいます。今日はその中から、映画のことについて書かれている記事を中心に今日の話を続けたいと思います。記事の題名は、【「ひめゆりの塔」を汚す者たち】、著者は近現代史研究家・田中秀雄氏です。
副題として、●時代に阿りながら、ふと見れば共産党の片棒を担いでいるだけのこと・・・・「ひめゆり学徒」の政治利用は今名を続く・・・・として今井正映画監督についてのこれまでの業績やその批判を書いています。今井正監督といえば日本を代表する映画監督で。日本映画でもっとも権威あるキネマ旬報ベストテンの常連でした。この監督について私の思い出と評価を書きます
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昭和二十八年(1953)度の『キネマ旬報』の日本映画ベストテンがまず載っています。順位、タイトル、監督名の順です。
★、一位・・・「にごりえ」・・・今井正・・(原作、樋口一葉)
★、二位・・・「東京物語」・・・小津安二郎
★、三位・・・「雨月物語」・・・溝口健二・・(原作、上田秋声)
★、四位・・・「煙突の見える場所」・・・五所平之助・・(原作、椎名麟三)
★、五位・・・「あにいもうと」・・・成瀬巳喜男・・(原作、室生犀星)
★、六位・・・「日本の悲劇」・・・木下恵介
★、七位・・・「ひめゆりの塔」・・・今井正
★、八位・・・「雁」・・・豊田四郎・・(原作、森鴎外)
★、九位・・・「祇園囃子」・・・溝口健二・・(原作。川口松太郎)
★、十位・・・「縮図」・・・新藤兼人・・(原作・徳田秋声)
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今改めて、この映画の名前を見直してみると、全部見ていることに気がつきました。しかし改めてもう一度見たいとか、手元にビデオとして残しておきたいのは「東京物語」、「雨月物語」、「煙突の見える場所」くらいになってきました。映画というのは時代に堪えられない映画というものがあるんだなあと就く図く思った映画は、イデオロギー色の強い映画です。
今日は、雑誌で取り上げていた、「ひめゆりの塔」の監督、今井正について私が感じたことを書きます。今井正監督の映画で印象に残っている映画といえば、「青い山脈」、「また逢う日まで」、「山びこ学校」、「にごりえ」、「ここに泉あり」、「武士道残酷物語」などがありますが、もう一度見てみたい映画は、一本もありません。
昭和28年の頃の日本映画の充実は大変なものですが、この今日取り上げる「ひめゆりの塔」は確か、学校で授業の一環として全生徒映画館に連れて行かれ見せられました。当然見た後は、感想文を書かされたのは言うまでもありません。当然そこで書かれる感想文は、先生の気に入るような文章が並んでいたことと思え荒れます。
私もずいぶん前の事ですから、どんなことを書いたか忘れましたが、多分戦争の悲惨さや日本軍の非道について書いたと思います。そういう時代でしたから。津島恵子、香川京子ぐらいしか思い出せませんが、今井正としては不本意な順位だと考えたと思いますし、本人としてはこの年一位になった「にごりえ」よりこっちの「ひめゆりの塔」の方に力を入れたのではないでしょうか。しかし映画そのものは今日の目から見ると。一方的でひたすら暗い映画です。
昭和28年と言えばサンフラン条約が結ばれ、日本は一応独立をした事になっていますが、今に至るも完全に独立をしたと胸を張れない状況なのは当時も変わりません。ひたすらアメリカに阿り、悪いのは日本軍国主義だというプロパガンダの役目を果たしさらに、共産主義賛歌の裏顔も垣間見せています。今井正は、同じ映画監督山本薩夫氏と共に日本共産党員です。
この頃の映画に出てくる日本軍人の姿は、殆どが悪役です。「ひめゆりの塔」と手同じワンパターンの描き方です。その辺のところが時代について来れない所以だと思いますが、しかもアメリカ軍の悪辣さはほとんど描かれません。たとえば、この映画の後半、壕内に避難している日本人たちに向かって米軍が「無益な戦いはやめましょう」とアナウンスします。圧倒的にアメリカがすべてを制してでの上でのアナウンスです。
この戦いは今になって思うと決して無益ではなかったはずですが。そのようなアメリカ側からの見方で撮られています。見る観客にも厭戦気分に向かわせようという意図を持った映画になっています。結局ひめゆり部隊は全滅します。海岸を逃げ惑う女学生たちは機銃掃射でみな死んでいきます。米軍の放送は一体なんだったのかと、筆者は書いています。
これは見るに堪えない反戦とお涙ちょうだい映画です。今見ると、その古臭さに辟易とします。実にGHQに都合のいい映画とも言えますが、共産主義者としての反米映画をつくるかと言えばそうでもなく、日本の悪いところを穿り出すような。自虐史観満載の映画をつくります。たとえば「青い山脈」などという映画は、戦後民主主義のそれも自虐思想を埋め込む大きな役割を果たしました。
今見ると、笑止としか思えない、気障なセリフが臆面もなく飛び出してきます。原節子、杉葉子、池部良、若山節子、伊豆肇、彼らが話す会話は今聞くとお尻がむず痒くなるような、何とも幼稚な子供だましのような会話です。作者の石坂洋二郎氏は今図書館に行っても本を見つけるのが難しいくらい、棚には並んでいません。朝日新聞に連載されたのは130回前後と言いますが、この民主爆弾は強烈でした。
しかしそれもこれも時代だったのかもしれません。あの時代、まぶしいくらい輝いていた「青い山脈」という映画も、今となってはクスンデしまったと思われるように、「ひめゆりの塔」という映画も、後に色々なことが様々な証言と共に、プロパガンダでない真実が分かってくるようになっています。今井正氏の「ひめゆりの塔」という映画の原作は石野径一郎氏の『ひめゆりの塔』と『鉄の暴風』(沖縄タイムス)、『沖縄の悲劇 姫百合の塔をめぐる人々の手記』(仲宗根政善著)だそうですが、中でも大きな割合を占めたのが石野径一郎氏だと言っています。
その石野氏のエピソードが載っています。それによると彼の友人ともいえる沖縄の名門出身の親泊朝省(おやどまりちょうせい)氏(1903~1945)氏夫妻が二人の子供を道連れに自決したと言いますその遺書には次のように書かれていたと言います。
■ [宣戦の詔勅に明らかなる如く、わが日本の戦争目的は世界人類の幸福、世界の平和に寄与せんとする道義的精神に立脚して出発している。戦争の経過に於いても皇軍の世界に示した道義心こそ、人類史上嘗てないものとして敵に勝利を収めている。その第一はアッツ、サイパン、硫黄島、沖縄に於ける、上は最高指揮官より下は一兵卒に至るまでの玉砕がそれである。大命の下でその戦いが敗れることが当然判っていても最後の一兵まで戦い抜いたのが皇軍の本姿であった]
そして、■ [私は皇軍の絶対再建を希望し、またそれが出来得ると信ずる。故に私は皇軍の再建のために後に続くものを信ずるのである]・・・・石野はこの遺書の存在は知りませんでしたが、自決の報を聞いて、親泊の署名入りの国旗を壁に貼って酒を手向けて夫妻の冥福を祈ったといいます。その石野が戦後一変したというのです。
昭和二十五年石野径一郎氏は、『ひめゆりの塔』を単行本として出版します。あくまでも小説としてです。主人公も架空の人物です。26年に沖縄に帰郷した折、小説の内容が事実に反すると現地の人から批判されましたが、石野は「フィクションであるが文学的な真実である』と反論したといいます。風土や自然については沖縄出身ですから石野ならではと言えるかも知れませんが、人物描写は如何にも作り物という印象がぬぐえません。判りますイデオロギーをくっつけると不自然になってしまうのです、そのいい例がNHKの朝ドラに見られます。
日本の軍国主義を批判するためにアメリカに阿った日本軍の軍隊の描き方など、ステレオタイプのワンパターンだったのでしょう。今考えると改めてそう思えます。この文を書いた田中秀雄氏も実情がわかった今となっては、読むに堪えない小説です。と言わしめています。その他の参考文書『鉄の暴風』も例の赤松大尉が集団自決を命じたという例の大嘘が書かれた本だというのです。
聞けば聞くほどいやになります。そうとも知らず一時、今井正の作品を追いかけた時期がありましたが、時代に堪える作品はイデオロギー抜きの作品にしか残れないでしょうが、そこが監督の見せ場ですから難しい話になります。日本人日本兵が悪いとしなければ、話が上手くつながらない筋立てを作ることに懸命な当時の左翼監督の時代を超えられない悲しさがあります。