テレビではあっちこっちで、桜が咲いて、花見客の賑わいを写しています。それとともにこの歌が盛んに流れています。森山直太郎の「さくら」という歌です。はっきり言って今までこの歌には全く関心がありませんでした。聞く気が全くしませんでした。まず母親の森山良子の歌も、歌にこめられた姿勢にも、反感じみたものを持っていました。平和主義者を気取り、反戦主義で自虐史観の持ち主だと思っていました。
事実その通りでしょう。フォークソングを歌うシンガーソングライターは、凡そいかがわしいベ平連に関連して日本に一時期ブームを起こしましたが、生き残った連中は、反戦主義を標榜して、日本を貶め、反米を唱え、チャイナや北朝鮮にシンパを送る、今時珍しい、進歩的だと気取る実に嫌味な連中の仲間であり、森山良子はその中心的役割を担っていました。
その息子の歌ですから、はじめから偏見を持って、聞く気も起きなかったのですが、何かの動画の特攻隊の映像のバックにこの歌が流れているのを見ました。ほんとに何気なく見て、聞いていたのですがその歌が実に映像に合っているのです。そしてその歌が森山直太郎の「さくら」だと知ったのです。最近のというかこの歌がはやった頃の歌は、この歌と共通する独特の唱法です。この唱法自体に中々馴染めませんでした。
しかし、この歌を改めて聴き、その森山直太郎の世界に取り込まれてしまいました。その唱法は実に難解で、簡単に口ずさめないほど高度なテクニックを要する、プロフェショナルな唱法です。森山直太郎は上手い歌手だと改めて知りました。未だそのほかの詳しいことは分かりませんが、自虐史観を強く持った時代の人たちも今は少数派になりつつあるのか、親を反面教師とした歴史観を息子が出てきても不思議ではありません。
そして改めて、この歌は、祖国のために祖国を護るために、自らの命を懸けた若い兵士達の鎮魂歌といっても、間違いではないでしょう。歌はそれを聴く人の感性によって、まちまちですが、私はそのように今は解釈して聞いています。そうすると桜の花に、その儚さと、潔さをいっそう感じるからです。
今日はこのことだけを書こうと思っていましたが一寸短い気がするので雑誌『WiLL』5月号の短いコラムをひとつ載せたいと思います。政界記事からです。
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【永田町コンフィデンシャル】
「財政破綻は待ったなし」はウソ 九段靖之介
おーい。誰か教えてくれ。不景気に増税をすれば、景気が回復するのか。そんな経済理論があるのなら教えてくれ。
目下、国会は与野党ともに増税の是非をめぐって揺れている。何を理由に揺れているのか、さっぱり分からない。日本はここ十五年来のデフレだ。デフレとはヒト、モノ、カネがうまく回らない。結果、物価は下がり給与も下がる。総じて経済の縮小、不景気を言う。この不景気に増税を重ねれ場、肺炎患者の着物
を剥ぐに等しい。
野田首相は「不退転の決意」で増税をやるというが、不退転の決意でやるべきはデフレからの脱却、景気の回復策ではないか。政策の手順を間違えている。財政再建より大事なのは国民経済だ。ヒト、モノ、カネがうまく回るようにする。国民経済が回復して、初めて財政再建も緒に就く。なのにやるべきことがアベコベだ。政策の優先順位を間違えれば、悲惨な結果を招くだけだ。
(※感想・・・・改めて言うのではないが、野田義彦というヒトは本当に心から「不退転の決意」などと言う言葉を軽い気持ちで言葉の流れで言っているのでしょうか。世のうわさでは財務省の言いなりになっているだけだ、東北の復興が何ににもまして一番などと調子のいいことを言っておきながら、なに一番は増税ではないか。調子こいてんじゃないよという言葉も耳にします。首相までやろうとしているヒトだから、そんな常識はずれな事をするはずがない、と思いたいですが。
先の鳩山、菅とどう考えても非常識な首相が続きました。ごく常識的な顔をしていますが、これがとんでもない買い被りで、本当はなんにも知らない、口先だけの市民運動家に毛が生えた程度の、権力欲だけは旺盛な、そしてそれを回りに気付かれないように、控えめに目立たぬように、しかしなってしまったからには、本性が剥き出しになり、保身と権力欲と回りに融和だけはする芯のない、職業政治屋そのものを曝け出してしまったのではないでしょうか。
自らの信念が我々に一寸も伝わってこないのは、国民のための政治ではなく財務省の省益が最優先され、首相はその使いっ走りをしているだけに見えます。松下政経塾出身者の限界でしょうか。こんな前の二人に続いて非常識なヒトしか民主党にはいないのでしょうか。野田首相は疑いもなくこの路線をひた走っています、実に、イランに勝手に飛んでいった鳩山氏といい、わけの分からないヒトが多すぎます)
インフレの折の増税はともかく、デフレに増税は禁じ手のはずだ。学者によっては「いま増税をやれば、二度と立ち直れない。致命的なことになる」と、まっとうな主張を言うものもいるが一方で多くの学者が増税やむなしとしている。財政赤字はもう限界だ、財政再建は待ったなしだ、という財務省の後方に載せられている。
財務省のいうように、財政破綻はホントに待ったなしの状態なのか。かって他ならぬ財務省が何と言ったか。02年、アメリカの格付け会社が日本国債をボツワナ並みとした時、財務省は数字を並べて、「これこのとおり、日本の財政は健全です」と世界に向けて喧伝した。
日本の国債の95%を日本国民が保有している。政府(親)が国民(子供)から借金しているだけで、経済全体からすれば右のポケットから左のポケットにカネが移ってるに過ぎない。日本は通貨発行権を持っている。いざとなれば、お札を刷り増してなんとでもなる。自国通貨立ての国債のデフォルト(債務不履行)は、理論的にあり得ない。
さらに日本は貯蓄超過国で、超過分は一千四百八十八兆円もある。経常黒字は十七兆円で、二百五十二兆円の対外債権を持ち、外貨準備は百兆円もある・・・・そう主張したのは財務省ではなかったか。こんな金持ち国がどこにある?野田首相は「いや、それは十年前の数字でして」というが、当時の財政赤字はすでに七百兆円。それが八百四十兆円になったからと言って、増税を急ぐ理由にはならない。
本欄で前にも書いたが、一口に八百四十兆円の赤字と言うが、埋蔵金の存在を世に知らしめた高橋洋一によれば、財務省は六百五十兆円の国民資産を隠している。高橋は財務官僚として、国のバランスシート(貸借対照表)をはじめて作った男だ。資産がどこにどれだけ存在するか、精査なくしてシートはできない。余計なことをしやがると、高橋は追い出された。今になって、高橋の主張がデタラメだと財務省がいうなら、ならばこれまでデタラメなシートを公示してきたのかという責任問題になる。
最新のシートによれば、国の資産は七百七十八兆円で、負債は一千百三十五兆円。差し引き三百五十七兆円の赤字だ。資産を見ずに負債だけを見て「さあ、大変だ」というなら、トヨタも新日鉄もとっくの昔につぶれている。つまりは、バランスシートの読み方を知らない。いや、実は知っていて「待ったなし」だと叫んでいる。それはなぜか。
昨年夏、IMF専務理事ラガルドが、日本も消費税を15%に上げろと勧告した。日本の5%は低すぎる、国際標準並みにしろという意味だ。余計な内政干渉だが、これには次のように反論できる。日本のGDP(国民の稼ぎ)のうち、官が特別会計その他の名目で五割以上(かっては六割近く)を召し上げ、民の可処分は五割以下だ。比べて欧米の場合、官の取り分は二~三割で、残る六~七割が民の可処分だ。つまり日本の官は、すでに種々の名目をつけた税金で、民の可処分を存分に削っている。だから消費税5%が妥当なのです、と。
それを財務省は言わずに、ラガルドを外圧として利用している。その尻馬に乗って安住財務相は消費税アップをG20で公約した。日本はIMFにアメリカに次ぐ資金を拠出し、財務省から理事を出している。篠原某が副専務理事だ。この篠原がNHKの取材に、ラガルドと同様の発言をしている。ラガルドの勧告も萩原(?)の振り付けかもしれない。要は、目下のドサクサに乗じて、国民経済なんぞそっちのけで、役人が天下り先に蓄えるヘソクリを増やしたいだけの話だ。
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こんな話が、この手の雑誌の、しかも九段靖之介氏のコラムに載っているということは、かなりの人々もふざけるなという、ふざけた増税案に反対するのは当然でしょう。とにかく今の民主党による法案の作成は、当然止めなければならないと思っています。
詐欺ともいえるマニフェスト(政権公約)で国民をだましてつくられた政権です。詐欺は犯罪です。もっともらしい理由をつけてのらりくらりしていますが、いつまでも騙されては、いないでしょう。増税やむなしとしても、この政権での執行は止めなければなりません。民主党は党首が誰に代わっても、皆共犯者なのですから。