先ほど速報させてもらいましたが、本日の大会ではるか姫がようやく?!JOの標準記録を突破しました!
コーチから、「父の日にいいプレゼントもらいましたね~」と言われましたが、今日が父の日だなんてすっかり忘れてました。。
父になって○○年、思わぬ最高のプレゼントになりました!
今回の大会は、本人はもちろんのこと家族全員が「ある思い」を持って臨んでました。
実は5月末に約5年近く通った日高のスイミングスクールを辞め、6月から小川町にあるスクールに移籍(転校)しました。
というのも今年に入ってこれまでのスクールが選手育成クラスの活動縮小を表明し、練習日数、時間が大幅に削減されてしまったからなんです。
日高のスクールの責任者いわく「この方針に不満な方は系列の坂戸のスクールに移ってください」とのことで、大勢の仲間たちは坂戸に移っていきました。
ふるだぬき家も移ることを検討していましたが、一番候補の東松山のクラブが閉鎖したこと、一番信頼しているコーチが日高に残ることもありそのまま日高に残ることに決めました。。
しかしコーチの思いとは裏腹にスクールの選手コースに対する扱いがひどくなり、2月から何度も標準タイムの壁にはね返され、アニキも中学生活最後の1年と考えたときに「このままでいいのかな」って何度も思ってました。しかし二人が日高のコーチを信頼していることもあり、「このままでいくしかないんだろうな」って思いこむようにしてました。
そんなときにはるかとよく大会で一緒になる別のスクールのお友達が閉鎖した東松山のスクールから小川町のスクールに移ったことを聞き、一度はあきらめた移籍話がもう一度検討の舞台にたってきました。5月末、「一週間みんなでどうするかそれぞれ考えよう」と提案し、出た結論は「新しい、レベルの高いクラブで頑張ってみよう」でした。そこからは慌ただしく退会の手続き、新しいクラブへの入会手続き・・
日高のコーチにしてみると突然の退会の話。二人とも目をかけていただいただけに非常に心苦しい思いでしたが、コーチが嫌で辞めるわけではなく、ましてやたくさんのお友達と別々になるということは、二人にとっても非常にさみしい思いだったと思います。我々両親としてもそこで誤解受けたくないので、慌ただしい中でしたが、とにかく非常に気を遣いました。
6月からは新しいクラブ(RIDGEND:リジェンド)(※小川町のKAWARAスポーツの中にあります)で、はるかはお友達同級生と毎日のようにバトル、アニキもレベルが高く、豊富な練習量にヘトヘトになりながら頑張っていました(もちろんよめだぬきも片道50分の距離を送迎の毎日・・)。。
そんななか先週の日曜日の記録会ではるかが日高の仲間からもらったもの。。
それが写真の日高の仲間たちからの温かい「寄せ書き」でした。。聞くところによるとK谷コーチは最後まで書くことをしぶってたそうですが。。その思いもなんとなくわかる気がしただけに、みんなの気持ちが非常に嬉しかったです。
今日のレースにあたって二人に話したこと。「いいタイムが出て、当然RIDGENDのコーチに感謝するのはもちろんだけど、これまでお世話になった日高のコーチや仲間にも感謝しよう」
ということで、とりあえずはるかの初全国大会の出場が決まりまして、たくさんの祝福を受けました。
とにかくお世話になった前のスクール、受け入れてもらった今のスクール、日曜にお世話になっている沼影の仲間の皆さん本当にありがとうございます。
とりあえず一つ決まりましたが、大変なのはこれから。今回、リレー2種目でも狙ってますので、リレーメンバーみんなで行くためにこちらも最終予選までになんとか数秒クリアすべく頑張らなくてはいけない。また今のクラブにはたくさんのJO出場選手がいますので、「出るだけ」にならないようにしなくちゃいけない。。泳ぐのは本人ですから泳ぐことは本人とコーチにすべてお任せしますが、親として出来るサポート(栄養、休養面)はしっかりやって、二人が水泳を通して一人の人間として成長していってもらいたいと思います。
子供達が頑張ってるのに、オヤジ大丈夫か・・という声が聞こえそうですが・・(-_-;) 頑張ります。。
コーチから、「父の日にいいプレゼントもらいましたね~」と言われましたが、今日が父の日だなんてすっかり忘れてました。。
父になって○○年、思わぬ最高のプレゼントになりました!
今回の大会は、本人はもちろんのこと家族全員が「ある思い」を持って臨んでました。
実は5月末に約5年近く通った日高のスイミングスクールを辞め、6月から小川町にあるスクールに移籍(転校)しました。
というのも今年に入ってこれまでのスクールが選手育成クラスの活動縮小を表明し、練習日数、時間が大幅に削減されてしまったからなんです。
日高のスクールの責任者いわく「この方針に不満な方は系列の坂戸のスクールに移ってください」とのことで、大勢の仲間たちは坂戸に移っていきました。
ふるだぬき家も移ることを検討していましたが、一番候補の東松山のクラブが閉鎖したこと、一番信頼しているコーチが日高に残ることもありそのまま日高に残ることに決めました。。
しかしコーチの思いとは裏腹にスクールの選手コースに対する扱いがひどくなり、2月から何度も標準タイムの壁にはね返され、アニキも中学生活最後の1年と考えたときに「このままでいいのかな」って何度も思ってました。しかし二人が日高のコーチを信頼していることもあり、「このままでいくしかないんだろうな」って思いこむようにしてました。
そんなときにはるかとよく大会で一緒になる別のスクールのお友達が閉鎖した東松山のスクールから小川町のスクールに移ったことを聞き、一度はあきらめた移籍話がもう一度検討の舞台にたってきました。5月末、「一週間みんなでどうするかそれぞれ考えよう」と提案し、出た結論は「新しい、レベルの高いクラブで頑張ってみよう」でした。そこからは慌ただしく退会の手続き、新しいクラブへの入会手続き・・
日高のコーチにしてみると突然の退会の話。二人とも目をかけていただいただけに非常に心苦しい思いでしたが、コーチが嫌で辞めるわけではなく、ましてやたくさんのお友達と別々になるということは、二人にとっても非常にさみしい思いだったと思います。我々両親としてもそこで誤解受けたくないので、慌ただしい中でしたが、とにかく非常に気を遣いました。
6月からは新しいクラブ(RIDGEND:リジェンド)(※小川町のKAWARAスポーツの中にあります)で、はるかはお友達同級生と毎日のようにバトル、アニキもレベルが高く、豊富な練習量にヘトヘトになりながら頑張っていました(もちろんよめだぬきも片道50分の距離を送迎の毎日・・)。。
そんななか先週の日曜日の記録会ではるかが日高の仲間からもらったもの。。
それが写真の日高の仲間たちからの温かい「寄せ書き」でした。。聞くところによるとK谷コーチは最後まで書くことをしぶってたそうですが。。その思いもなんとなくわかる気がしただけに、みんなの気持ちが非常に嬉しかったです。
今日のレースにあたって二人に話したこと。「いいタイムが出て、当然RIDGENDのコーチに感謝するのはもちろんだけど、これまでお世話になった日高のコーチや仲間にも感謝しよう」
ということで、とりあえずはるかの初全国大会の出場が決まりまして、たくさんの祝福を受けました。
とにかくお世話になった前のスクール、受け入れてもらった今のスクール、日曜にお世話になっている沼影の仲間の皆さん本当にありがとうございます。
とりあえず一つ決まりましたが、大変なのはこれから。今回、リレー2種目でも狙ってますので、リレーメンバーみんなで行くためにこちらも最終予選までになんとか数秒クリアすべく頑張らなくてはいけない。また今のクラブにはたくさんのJO出場選手がいますので、「出るだけ」にならないようにしなくちゃいけない。。泳ぐのは本人ですから泳ぐことは本人とコーチにすべてお任せしますが、親として出来るサポート(栄養、休養面)はしっかりやって、二人が水泳を通して一人の人間として成長していってもらいたいと思います。
子供達が頑張ってるのに、オヤジ大丈夫か・・という声が聞こえそうですが・・(-_-;) 頑張ります。。