あるフォトジャーナリストのブログ

ハイチや他国での経験、日々の雑感を書きたくなりました。不定期、いつまで続くかも分かりません。

ハイチ(2) 2010年1月19日

2010年01月19日 | 日記
1月16日、モナ以外の友人たちと連絡がとれた。その一人はフォーベール。被災時は家にいたが、揺れを感じた瞬間に家を飛び出し、難を逃れた。家族も全員、無事。先ずはホッとした。

フォーベールは私が泊まるオロフソンホテルをベースに仕事をするドライバー・ガイドだ。無口だが、淡々と仕事をこなす、優秀なガイドである。私の他に、お世話になった日本人記者も多い。数年前に無くなった父親もガイドで、クリスマスイブに行なわれていたヴードゥー儀式に連れてもらったことがあった。
平時の仕事は空港とホテルへの送り迎え。料金は通常、30ドル。またジャーナリストやNGOとの仕事は、日当100ドル。しかし、仕事が無い日の方が多い。そんな時、ガイドたちは、ホテルの中庭の木陰に座り、ぼんやりと仕事を待つ。
「なにか仕事はないの?安くてもやるよ」
その問いに、「お前たちのような高級ガイドを雇う金はないよ」と言って、さらりとかわす。決して、高額ではないが、私のようなフリーランスには、それでも大変な額だ。あらかじめに決まった仕事がなければ、彼らを雇うことはできない。

知り合いの安否を尋ねた。同じガイド仲間のアレックスは無事だ。また、近所で土産屋を営むミルフォートも無事だそうだ。だが、娘は地震で倒壊した自宅の中で亡くなった。
ミルフォートは、私の本「ダンシング・ヴードゥー」に、登場する人物だ。
十年前に、彼の家を訪ねたことがある。家はホテル沿いの道をさらに15分ほど登った、低所得者層(最底辺ではない)が暮らすの地区の一画にある。今回、最も被害を受けた、コンクリート・ブロックの壁とトタン屋根を組みあせた住宅だった。妻は十数年前に亡くなり、男手ひとつで2人の娘と息子を育ててきた。訪問のさいに、娘を一人、紹介された記憶がある。すでに成人した女性だった。もしかしたら、亡くなったのはその娘かもしれない。心からお悔やみを申し上げます。

今回のような大事件が起きると、ガイドたちは途端に忙しくなる。フォーベールは今、ウオール・ストリート・ジャーナルの記者のガイドをしている。普段よりも、さらに高額な日当で働いているに違いない。元気で、がんばれと言いたかった。不謹慎に聞こえるかもしれないが、「稼げよ」と告げた。
その言葉に、フォーベールが笑っているのを確認した後、電話を切った。ジャーナリストたちは突然、津波のように大挙して押し寄せては、皆一様に去っていく。日本のハイチの報道も、あと一週間で消えていくだろう。それが、マスコミである。そして、自分もその一人であることには違いはない。
今から17年前、ハイチは軍政の厳しい時代だった。その頃、ガイドのアレックスがふともらした言葉を今でも覚えている。
「ジャーナリストやNGOが来ない、そんなハイチになれば嬉しい」
 全く、同意見だ。しかし、悲劇は繰り返されてしまった。

写真は、祈るミルフォート




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