サイコロジスト101

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健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

健康心理学2010年4月27日使用資料

2010-04-27 10:35:46 | Weblog
2010年4月27日開講健康心理学の授業で、使用する資料です。

健康心理学は、医療の仕組みが治療中心から予防中心へと変化するプロセスで生まれてきました。

医療分野からの強い要請もあり、また治療できない病が増えてきたのが要因です。

もちろんこれは、主要な先進国での話です。

まだまだ感染症で若いうちに命を落とす危険性が高い国がたくさんあります。

戦争や、紛争、テロ、事件、事故、災害など、予防しきれない医療ターゲットもあります。

とはいえ、すべての国でQOL向上を目指した医療に力が注がれつつあります。

こうした状況を今日の授業では深く認識してください。

2010/04/27・記

医療のヘルスプロモーション091026資料

2010-04-27 09:28:40 | Weblog
昨日の医療のヘルスプロモーションの授業で配布した資料です。

これだけ量があると、手元資料もいりますよね。

健康日本21というヘルスプロモーションについて、理念や具体的方針についてお話しました。

2010年度が最終年となるこの国家事業です。

国ー都道府県ー市町村という縦の関係ばかりか、学校・病院・保健施設・企業などの重層的な連携が強調されているこの事業。

成功したものもあれば、多くが積み残し課題を多く持つものあり。

健康心理学を学ぶ大学生は、高い志をもって、国民民なの健康寿命延長への取り組みに関わろうとおもってください。

具体的な手法について、5月10日以降に話しつつ、みんなで議論してもらいます。

メタボリックシンドロームへの対策等も健康日本21の一環とみていいのですが、まだ基準が怪しいと警戒する向きも。

問題点は常にあぶり出して、修正論議も具体的進展へと向けたいものです。

2010/04/27・記



16年ぶりに京橋のマンションに

2010-04-27 09:19:34 | Weblog
日曜日。

娘が京都に帰るというので、昔なつかし16年前まで住んでいた京橋のマンション付近を尋ねてみました。

喪服をきたままだったので、通り過ぎる人は異様な雰囲気を感じ取ったのか、少し距離をおかれていたような。

JR環状線のガードを越えたところからマンションを見上げたら、飛行機が。

そうか、住んでいたころは毎日のことだったので当たり前とおもっていたことだけど、このマンションはいつも伊丹空港に着陸する飛行機の通過点だったのです。

けっこう五月蠅いなとおもいつつ、慰霊祭での前原国土交通大臣が伊丹空港をどう扱うのだろうとタクシーの運転手さんと話をしたことを想い出しました。

帰宅後テレビをみてびっくり。

前原さんは慰霊祭の後、橋本大阪府知事と会談して、伊丹と関空の一体化について合意したという話。

慰霊祭を終えて、何をしとるのか!と少しだけ怒りが。でも、大臣として分秒を争う仕事の最中の慰霊式出席だからしかたないかとも思う。

それにしても、昔住んでいた場を訪問するって、なかなかいいもんです。

学生諸君。年をとったらこの気持ちもわかるかもよ。

2010/04/27・記


JR尼崎事故から5年

2010-04-27 08:53:28 | Weblog
この日曜日、4月25日は、JR尼崎踏切脱線事故から5年。

JR主催の慰霊式に参列してきました。

アルカイックホール入口にはものものしいJR職員やら警備の職員が車寄せからホールへの通路を警戒。

遺族に1人の担当者がいて、控え室に案内してくれました。

8時過ぎには着いていたので、早々に祭壇に献灯。1人1つのロウソクの灯火を並べていくのです。

あとで席から数えてみたら、300-400灯くらいになったでしょうか。

控え室で珈琲などの接待を受け、親族が集まるのを待ちました。

9時前にホールの遺族席に移動。

女性の声で開式の案内。

9時17分黙祷。約1分。

まず国土交通大臣の前原誠司さんが追悼のことばを。公共交通機関は安全が使命であり、事故は遺憾であること、昨年問題となった事故調査委員会への働きかけをきっかけとした、組織を守ろうとする体制が依然として存在することに対してけっこう厳しい口調で指摘していました。

両サイドに、会場のほうに向いた2名の恰幅のいいSPが目を光らせていたのが、なんとも異様でした。

昨年までの大臣追悼ではSPいなかったのではないかな。

次いで9時46分、昨年就任の佐々木隆之JR西日本社長のお詫びと追悼のことば。

昨年までの山崎前社長とほとんど同種のお詫び、お悔やみの言葉。

特に記憶に残ったことばは、経営トップとしての厳しい状況を認識し、企業再生にむけて正面から向き合い、精一杯とりくむといったこと。リスクアセスメントにも全力を尽くすと言い切りましたね。

上位下達の風土を改め、従業員自らが判断する風土を作るともおっしゃったのですが、会場警戒の様子を見る限り、かなり厳しい上意下達システムは鉄道運行システムには欠かせないものと逆に訴えているようでもありました。

そのあと、石橋位子さんが、大切な息子さんの死を悼む慰霊のことば。事故から1825日たったという言い出しから、短いようでこれだけ時間がたったのだという気持ち。時に言葉をつまらせながら子どもを亡くした深い悲しみをぼくとつと語られました。おもわず貰い泣きする家内。私も目に涙が。

エターナル・エムという男性3人グループがステージ右側から、長い前振りの話と、やけに大声の「希望の月」演奏。

10時になり、ステージ左下の椅子に女性バイオリニストが着席し、G線上のアリアが演奏されるなか、参列者全員による献花。

約1時間のセレモニーのあと、写真の事故現場へ献花に。

5年が経過して、マンションは壊されるのかと思っていましたが、そのまま保存されていました。

深くえぐられた駐車場には観音様の像が据えられ、涙ながらの遺族の献花はいつもながらの光景。

私たちはそのあと、亡き義姉が祭られている墓に。

まさに快晴。一点の雲すらないすばらしい青空のなかに、小さな白い雲の固まりが墓場の切れる林の上にぽっかり浮かんでいました。

106名もの人が一瞬にして亡くなる事故。あってはならないことです。本当にJR西日本は、二度とこのような事故を起こさないシステムを構築できるのか、みんなで見張っておきたいことですね。

2010/04/27・記