サイコロジスト101

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健康心理学、生理心理学、ストマネを学びましょう!

西里先生との交流

2008-01-08 20:33:37 | Weblog
2007年11月11日日曜日、トロント大学名誉教授の西里先生が本学に。
健康心理学科共同研究によるシンポジウム出席のため。
大学卒業後、フルブライト奨学金で米国に。
なんでも、今田寛先生とは同じ船であったとか。
浜晴世先生とも親しくされたとのこと。




ストレスマネジメント研究の歴史-4

2008-01-07 20:06:55 | Weblog
PGS研究会

 震災ストレスケアの真っ最中の1996年、大学時代の同級生で当時大阪府立青年の家指導主事をしていた田嶌和久君からストレスマネジメント教育に関する研修企画お誘いをいただいきました。
 震災後の活動について、方々の保健所や学校主催の講演会に呼ばれてお話していたので、お引き受けすることに。早稲田でストレスマネジメントの国際会議をするというので、ボストン大学からザイコフスキー先生と、スウェーデン・オレブロ大学からソリン先生を招いて盛大に会議を準備していたので、もしやと大阪にお呼びして、ぜひといったらザイコフスキー先生も参加いただくこととに。私をはじめ、早稲田大学の竹中先生、大阪府立看護大学の服部先生とゴージャスな講師陣を率いて、2月に研修会開催です。
 大阪府教育委員会から70名ほどの現場教師が集まって、一泊二日の泊まり込み研修で勉強してくださいました。言うに及ばず、たいへん評判がよかったので、翌年の1998年2月に第二回ストレスマネジメント研修を開催することに。二回目のほうはOSMAの仲間を中心に、わきあいあいの開催でした。その中に当時高槻市茨木市立養成中学校の体育教諭坪田泉先生と、高元伊知郎の両先生が参加されていました。
 同時期、こころの健康総合センターでもストレスマネジメントをテーマとした研修を企画したところ、心理師やナース、保健師にまじって教員も参加。その中に、高槻市立第六中学校養護教諭に復帰寸前の香田順子先生も参加されていました。講師役の当時大阪少年鑑別所にいた大野太郎さんのもとに、香田先生がfaxを送り、学校でやってみたいのでよろしく指導をとのこと。私たちは大慌てで、高槻市内や大阪府立看護大学で毎月のように研修会を開催し、授業計画をねることになりました。
 その秋、大阪府教委主催で第三回めとなるストレスマネジメント研修を開催したところ、坪田、高元、香田の3先生が揃い踏みとなり、1998年の年末に梅田か茨木市内の喫茶店でお会いして、1999年から毎月定期的にストレスマネジメント教育の実践家を養成するための研究会を開催することを決定。PGS(Practical Group for Stress Management)研究会の発足につながりました。
 1999年1月以来、毎月のように大阪府立看護大学や大阪府立青少年会館の研修室、あるいは大阪府職員研修所を借りて研鑽の日々。コアメンバとして私、大野くん、高元先生、坪田先生、香田先生、当時山本病院にいた心理師の百々尚美さん、関学大学院生の廣川空美さんなどがとっかえひっかえ議論を重ねつつ、毎回新人の参加者を得てわいわい楽しんでおりました。忘れてはならないのは、大阪府こころの健康総合センター医師の野田哲朗先生、近畿福祉大学の堤敏彦先生のお二人も強固なメンバーとして参加してくれました。
 年があらたまって2000年になるころ、私も参加していた大阪府21世紀版青少年健全育成計画がほぼ完成となっていました。その過程でストレスマネジメント教育の推進事業を組み込むこととし、2001年度から3年間にわたるストレスチャレンジ教育事業を開始することに。2000年度はその準備をかねて、八尾、貝塚、松原の3地区で私と香田先生が中心となって地域の子どもたちを相手に、ストレスマネジメント教育を実践する試みをしました。
 ストレスマネジメント教育は、NHKをはじめ、毎日TVなど多くのメディアでとりあげられ、PGSの主要メンバーのほとんどが取材協力。活気有る一時期でした。
 そして2001年5月から開始したストレスチャレンジ教育事業は、毎年度大阪府下7地区で事業を開催。PGSメンバーが講師役を務めつつ、地域の大人たちにストレスマネジメント教育のなんたるかを講じ、実践技法を伝授すること3年。その間に、幾重もの新人会員を得つつ、PGS研究会の基本理念・基本技法が確立することになりました。
 この間に、私たちPGS流ストレスマネジメント教育のテキストを編纂することになりました。

 1 ストレスマネジメントテキスト(2002年)、これが定番テキスト。

 これがこのテキストに添付の本です。このほか、

 2 ストレスマネジメントワークブック(2002年)、子どもが記入しながら学ぶワークブック
 3 ストレスマネジメント・フォキッズ(2003年)、小学校低学年向けの教材集
 
 の2册も東山書房から出版されました。
 2004年3月に無事任を終えた後も、2004年から3年にわたって堺市教育委員会主催のストレスマネジメント教育研修もPGSメンバーが講師役となってストレスマネジメント教育を広げてきたという次第です。

2008/1/7 山田冨美雄記



ストレスマネジメント研究の歴史-3

2008-01-05 11:02:33 | Weblog
日本生理人類学会ストレス研究部会
 震災の直後、日本生理人類学会の理事会で、私たちの活動の現状を報告しました。当時、大阪市立大学の宮野道雄先生たちは、避難所での生活関連調査や、避難行動に関する調査を産経新聞の記者とともにおこなっておられました。
 学会理事長の佐藤方彦先生の一声で、この学会にストレス研究部会を作り、私たちの介入を学会の一研究部会としてサポートしてくれることとなりました。部会長は私、メンバーは宮野先生をはじめ、学会の若手。ストレスマネジメント介入の必要性も含めて、学会でシンポジウムなどを企画したり各種イベントを企画することとなりました。
 当時、阪神淡路大震災にまつわる特集をくんだ学会はいくつかありましたが、私たちの活動を支えてくれたのはこの生理人類学会が一番でした。日本発達心理学会が3月末に開催されたときに、ワークショップ「ストレスマネジメント教育」を主催したのですが、急遽震災ストレスの現状と対応というテーマに置換し、自分を知ろうチェックリストをつかった子どもたちの現状を服部先生に報告してもらいました。直後、朝日新聞論壇にその詳細を、服部先生に書いてもらいました。以後、テレビの取材が殺到しはじめました。
 学会以外では、3月に大阪府立こころの健康総合センターが中心となって、ロサンゼルスの元消防隊員で災害時PTSD予防の専門家、デビッド・ロモさんを呼んで、災害支援のボランティアを対象として講演会を開催。大阪府立病院講堂は満員の大盛況でした。日本ストレス学会は4月に、カイ・エリクソンという災害社会学者を呼んでくれました。私は彼夫妻を被災地神戸に案内しました。
 こうした喧騒の中、じっくりと私たちの活動を学術的に支えてくれたのが生理人類学会ストレス研究部会でした。3年間の介入活動を終えた頃、宮野先生が編集長となって和文誌を発刊することになり、ストレス研究部会の活動もその任を終えたと判断し、特集号を作ってもらうことになりました。
 そのおり、全国の小中学校で、震災発生後に生じるいろいろなできごとを時間経過にそってわかり易く解説した、マニュアルが必要だと意見が一致し、1998年の1月に「小学生版 震災ストレス・ケアマニュアル」を出版することになりました。
3000部を刷り、生理人類学会経由で全国に配布しました。朝日、毎日、日経、ダンケイなど主要新聞社も関心をもってくれ、ほぼ8割を配布し終えました。
 このマニュアルは、その後発生した鳥取地震、台湾地震などでも利用されたと伺っています。今も100部くらいは私の手元に残していますが、PDFファイルとして、PGS研究会のホームページ、webpgsから無料でダウンロード可能にしています。

2008年1月5日記 山田冨美雄


ストレスマネジメント研究の歴史-2

2008-01-05 10:33:47 | Weblog
子どものストレス研究会
 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部地震が発生。死亡者5502名(同年5月統計)、避難者者30万人の大被害となった。
 西宮市教委からOSMA研究会の服部先生に学校で心ケアをしてくれないかとの依頼を受け、2月5日に当地訪問。西宮北口周辺の小学校2校、中学校1校に子どもたちの心のケア介入することとなった。
 今でこそ、災害や事件が発生すると、学校に医師や心理士などの専門家が派遣されるのが当たり前になったが、当時はおそらくはじめてのこと。双方何をどんな順番で行ったらいいのかわからない状態でした。
 2月初旬、上六の都ホテルロビーで私と服部先生が介入計画を相談したことを昨日のように生々しく思い出します。まず子どもたちの元気の様子を測定しておこう、それからストレスマネジメントを学校でやりましょうということになりました。
 パイノスという人たちが、1989年のアルメニア地震の1年半後に使った、CPTSDR(子ども版PTSD反応指標)を使うことに。しかし、小学校低学年の子どもから中学3年生までに等しく使えるかどうか。専門家による面接調査は物理的に無理。なんとかならないかというので、イラストを使った、集団検査法のアイデアが生まれました。
 誰にイラストを描いてもらうかが課題でした。運良く、パソコン通信仲間のイラストレーター、ハンドルネーム「モップさん」実名小浜さんに依頼したら二つ返事。原稿料もいりませんという熱意で2日後にはアウトライン完成、1週間で原画完成。印刷は看護大に出入りの印刷屋さんに特別の配慮でお願い。数日後には自分を知ろうチェックリストver1.0が完成したのです。
 2月中に検査の因子構造と信頼性くらいみたいねというので、中学3年生を対象として、CMIとあわせて実施。担任の先生にマニュアルどおり読んで実施してもらいました。回収した調査用紙を、看護大の学生(まだ1回生しかいない)20名ほどにお願いして、エクセルに入力。エラーチェックのあと、SPSSで因子分析。4因子構造であることを確認し、それぞれを、①不安、②うつ、③混乱、④愛他と命名しました。CMIとの相関もとり妥当性を確認。
 急遽完成版を使って、子どもたちの震災ストレスを測るプロジェクトを、看護大に集まったOSMA、KASMAを中心としたメンバーに説明しました。子どものストレス研究会報告の瞬間です。
 こうして西宮の小中学生1800余名への介入がスタートしました。3月初旬のことです。併せて、羽曳野市内の小学校2校、中学校1校(合計1800余名)にもお願いして、いわゆる対象群として調査をさせていただきました。
 こうして3月、7月、翌年1996年1月の丸一年間、共通の検査用具を使っての客観的震災ストレス評価の確認と、ストレスマネジメント介入がスタートしました。
 「阪神淡路大震災と子どもの心身」は、こうした私たちの学術的活動記録を集大成したもので、1999年に名古屋大学出版会から出させてもらいました。今でもこの本の表紙をみるたびに、あの頃の加熱した議論が思い出されます。

2008年1月5日記 山田冨美雄

ストレスマネジメント研究の歴史-1

2008-01-05 02:15:20 | Weblog
OSMA(オズマ)
 日本で最初のストレスマネジメントの研究会は、おそらく私たちが作ったOSMAが最初ではないでしょうか。1994年のことでした。
 OSMAとは、Osaka Stress Management Associationの略。日本語では、大阪ストレスマネジメント研究会というんですが、ちょっとかっこよくつけたんでしょうね。
 大阪府立看護大学(現大阪府立大学看護学部)の設立にあわせて、服部祥子先生と私が発起人となって作ったものでした。矢内順吉副学長を顧問とし、医療・教育・福祉の三位一体による健康づくりこそ大切というのが歌い文句でしたか。
 設立メンバーが写るこの写真は、第一回の研究会のおりのもの。
 看護大の医師、心理士、看護師、作業療法士、社会福祉士などのほか、他大学の心理学や福祉・看護などの先生がたがメンバーとなって、月1回看護大に集まって勉強会をしましょうという、他愛ないものでした。
 この研究会の発足と前後して、大阪府立こころの健康総合センターストレス対策課の夏目誠先生、野田哲郎先生を中心としたKaSMA(Kansai Stress Management Association)も発足しました。
 これら二つの研究会は、翌年1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による災害、通称阪神-淡路大震災後に西宮市教委で活動した「子どものストレス研究会」の母体となっていきました。
 研究会本体は、1995年から3年間にわたって当時文部省からいただいた科学研究費試験研究A「子どもから老人までを対象としてストレスマネジメント教育システムの開発(交付額2720万円)」の中心研究班として研究会の質を高めつつ、シェイプアップを図ることになりました。
 1995年から研究班活動としてはじめたグリーンバーグの包括的ストレスマネジメント2版の輪読は、1996年3月には報告書としてまとめられました。
 PCについないで家庭で気軽に計測できるストレス反応測定器を企画・設計・開発し合計10台完成品を研究班員にくばって科研の研究は1998年3月に終焉を迎えることとなりました。OSMA自体はさらに月一度の開催を継続しつつ、包括的ストレスマネジメント6版の翻訳活動へとつながっていきました。

2008/1/5・山田冨美雄