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JR尼崎事故から5年

2010-04-27 08:53:28 | Weblog
この日曜日、4月25日は、JR尼崎踏切脱線事故から5年。

JR主催の慰霊式に参列してきました。

アルカイックホール入口にはものものしいJR職員やら警備の職員が車寄せからホールへの通路を警戒。

遺族に1人の担当者がいて、控え室に案内してくれました。

8時過ぎには着いていたので、早々に祭壇に献灯。1人1つのロウソクの灯火を並べていくのです。

あとで席から数えてみたら、300-400灯くらいになったでしょうか。

控え室で珈琲などの接待を受け、親族が集まるのを待ちました。

9時前にホールの遺族席に移動。

女性の声で開式の案内。

9時17分黙祷。約1分。

まず国土交通大臣の前原誠司さんが追悼のことばを。公共交通機関は安全が使命であり、事故は遺憾であること、昨年問題となった事故調査委員会への働きかけをきっかけとした、組織を守ろうとする体制が依然として存在することに対してけっこう厳しい口調で指摘していました。

両サイドに、会場のほうに向いた2名の恰幅のいいSPが目を光らせていたのが、なんとも異様でした。

昨年までの大臣追悼ではSPいなかったのではないかな。

次いで9時46分、昨年就任の佐々木隆之JR西日本社長のお詫びと追悼のことば。

昨年までの山崎前社長とほとんど同種のお詫び、お悔やみの言葉。

特に記憶に残ったことばは、経営トップとしての厳しい状況を認識し、企業再生にむけて正面から向き合い、精一杯とりくむといったこと。リスクアセスメントにも全力を尽くすと言い切りましたね。

上位下達の風土を改め、従業員自らが判断する風土を作るともおっしゃったのですが、会場警戒の様子を見る限り、かなり厳しい上意下達システムは鉄道運行システムには欠かせないものと逆に訴えているようでもありました。

そのあと、石橋位子さんが、大切な息子さんの死を悼む慰霊のことば。事故から1825日たったという言い出しから、短いようでこれだけ時間がたったのだという気持ち。時に言葉をつまらせながら子どもを亡くした深い悲しみをぼくとつと語られました。おもわず貰い泣きする家内。私も目に涙が。

エターナル・エムという男性3人グループがステージ右側から、長い前振りの話と、やけに大声の「希望の月」演奏。

10時になり、ステージ左下の椅子に女性バイオリニストが着席し、G線上のアリアが演奏されるなか、参列者全員による献花。

約1時間のセレモニーのあと、写真の事故現場へ献花に。

5年が経過して、マンションは壊されるのかと思っていましたが、そのまま保存されていました。

深くえぐられた駐車場には観音様の像が据えられ、涙ながらの遺族の献花はいつもながらの光景。

私たちはそのあと、亡き義姉が祭られている墓に。

まさに快晴。一点の雲すらないすばらしい青空のなかに、小さな白い雲の固まりが墓場の切れる林の上にぽっかり浮かんでいました。

106名もの人が一瞬にして亡くなる事故。あってはならないことです。本当にJR西日本は、二度とこのような事故を起こさないシステムを構築できるのか、みんなで見張っておきたいことですね。

2010/04/27・記




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