「…『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである』。」黙示録7:14
「血で洗う」などと言われると、まがまがしいことに思われますが、これはイエス様の
十字架のことです。自分のわざ、知恵、力などで、自分を義とし、誇るのではなく、主
「…『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである』。」黙示録7:14
「血で洗う」などと言われると、まがまがしいことに思われますが、これはイエス様の
十字架のことです。自分のわざ、知恵、力などで、自分を義とし、誇るのではなく、主
「主は心を見る」
サムエル記上16.7
なんと恐ろしい言葉でしょうか。
人前でどれほどうまく取り繕っても神様の前には心の中まで見透かされてしまうというのですから。
この言葉を聞いて自分は神様の前に正しいと断言できる人は一人もいないに違いありません。
しかし、この聖言葉は同時に大きな恵みの聖言葉でもあります。
神様の前に心さえも隠せないのではなく、隠す必要がないからです。
なぜなら、イエス様の十字架によって罪はすでにあがなわれ私たちは義とされているからです。
イエス様はあなたの心の隅々まで御存じです。
自分自身さえ見限るほどの恥も欲も過ちもすべて知った上で、あなたを十字架によってあがなったのです。
それはただイエス様があなたを愛するが故です。
ただ感謝するほかありません。(正野)
「こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。
そうでないと、おし流されてしまう。」ヘブル2:1
この世で信仰に立って生きようとすると、いろいろな困難に出会いますが、それは当然のことです。
「主よ、あなたはわたしを知り、わたしを見、わたしの心があなたに対していかにあるかを試みられます。」エレミヤ12:3
神様はわたし達を造られた方です。創造者はその造ったものを良く知っています。人は何かを
造ったとき、それが意図されたとおりのものであるか、いろんなテストをします。同様に、神様
「あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。
そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。」伝道11:5
「どうして」と言う疑問の言葉をしばしば使います。自分が知らないことに不安や苛立ちを