「イエス・キリストを、いつも思っていなさい。」
テモテへの第二の手紙2.8
イエスキリストを思うとはどのようなことでしょうか?
それは、いついかなる状況に置かれてもイエス様の十字架によって救われた者であることを忘れず、すべての背後にイエス様の姿を認めることです。
その状況が自分の過ちゆえに生み出されたものであったとしてもそうです。
その過ちもイエス様の十字架によって罪赦されています。身勝手なように思えるかもしれません。
しかし、それでもすべての罪はイエス様の十字架によってあがなわれて、その罪も例外なく赦されているのです。
今あなたが置かれた状況は、人の思惑でも自分の罪のゆえでもありません。
ただ、イエス様のゆえです。イエス様はあなたを愛するがゆえに今この場所にあなたをおかれました。
それにこたえるには今置かれた場所で全力を尽くすほかありません。
どうぞ目の前の状況に惑わされず、イエスキリストをいつも思い全力で生きて下さい。(正野)